天より生まれし・上


※DLC支援獣・天狐が出てきます。


練兵が早く終わり、軍議やこれといった報告事も無く、珍しく日中に時間の空いた甘寧と凌統は、建業の街並み散策をして過ごしていた。
今は夕暮時。あらかた街の賑わいを堪能し、邸への帰り道をゆったりと歩きながら、二人は今日の晩飯はどの店で食らうかとぼんやり考えていた。
すると、凌統が何も言わずに一軒の店先へと近づいて行った。
その店は、数刻前までも二時間程凌統が居座った交易所であり、またかと甘寧は額に手をやって、呆れた溜息をついて仕方なく凌統の後ろを付いて行く。
そんな甘寧のことなど露知らず、凌統は再度店先にしゃがみこみ、陳列されていた小さな香炉を手に持って再びじっと眺めはじめたのだ。

「おいお前ぇ、まぁたそんなもんに時間かけんのかよ!」
「煩いねぇ。この取っ手のとこの動物が可愛いんだよ」
「なら買えばいいじゃねぇか」
「俺、香炉とかあんま使わねぇし。それにもう持ってるし」
「じゃあいらねぇだろ」
「新しいのを買うかどうか迷ってんの!あんたは口出しすんなっつの」

呆れた。
自分よりも長身の男が背を縮こまらせて、両手にちょこんと目当ての香炉を乗せてじっくりと見つめている。その目は真剣そのもの、きらきらと輝いているようにも見えた。
しかし甘寧は、その香炉のどこがいいかも判らなかったし、凌統の言う“可愛い”という単語もどういう意味を示すかいまいち掴めない。


しばらく香炉を色々な角度から眺め、結局凌統は“今日はいいや”といって香炉を店先に戻し(ちょっと殴りたくなったのを押し留めただけでも感謝してほしいぐらいだ)、すぐに近くの飯店に入って二人で卓を囲んでいる。
そこで甘寧は、先程疑問に思ったことを凌統に尋ねた。

「凌統よぉ、“可愛い可愛い”っつってるけどそいつはどういう意味なんだ?」
「はぁ?可愛いもんは可愛いに決まってるでしょうよ」
「姫さん達が使ってるとこは聞いた事あるし納得するけどよ、野郎が使ってるなんざ初めて聞いたぜ」

すると、凌統は箸を止めて腕組みをし、目を閉じてうーんと考える仕草をする。
ややあって口を開いた凌統曰く、確かに野郎に囲まれて育ったけれど、小さい頃に飼っていた犬や鳥が可愛かった、それから殿が飼っていた虎の子供が可愛かった、それは今も可愛いと思えるもの・・・らしい。
成程、よくわからない。甘寧は凌統の話を頬杖をつきながら聞いている。尋ねるのではなかったと、若干後悔しながら。
どうして動物に対する感情が命を持たない物質までにも及ぶのか。
しかし凌統の話は止まらない。
それから、と、凌統は楽しげに続ける。

「小さい時にさぁ、邸の前に変な動物がいた時があってね。尾が二つに分かれてて・・・犬くらいの大きさだったっけ。真っ白な毛だけど所々が赤色で狐みたいな奴で、足を怪我してたから薬をつけて布を当ててやったんだけど、そいつが凄く可愛かったわけよ。鳴き声もキューンってまた可愛くてさぁ。ちょっと撫でたら擦り寄ってきて・・・でもすぐにどっかにいっちまったけどねぇ」
「何だそいつ。化け物か何かだったんじゃねぇか?」
「あんな可愛いのが化け物なわけあるかっての」
「そいつは偏見だろ。つーか、てめぇが見た夢じゃねぇのかよ」
「違うね。ちゃんとこの手で触りました」
「いいや、俺は信じねぇな」
「あんたが信じる信じないは関係ないよ。俺はちゃんと見て触ったんだから」
「いねぇよ」
「いるっつの」
「いねぇ」
「いるって」
「いねぇな」
「いーまーす!」

酒の酔いも回り卓を囲んでの怒鳴りあいになった所で、どちらともなく飯店の店員に金を叩きつけ、店を出た。
それからも、二人ともいるいないの台詞を繰り返し叫びながら道を歩き続け、互いの邸に爪先を向け、遠ざかりながらも姿が見えなくなるまで同じやりとりを続けあった。
そして、甘寧は邸に入ると仕いの者への挨拶もせずに寝室へ行き、派手に鈴の音を鳴らしてどかりと寝台に横たわった。
凌統との怒鳴りあいは挨拶のようなものだ。怒りなどはない。
むしろ、心地いいとさえ感じる。

(いねぇいねぇって、俺あいつの何に対して叫んでたんだっけ)
(ああ、化け物か。面倒くせぇ、いねぇもんはいねぇ)
(いたとしても、鈴の甘寧様が斬ってやるぜ・・・)

一日の最後に景気良く叫んだお陰で、心地のいい喉の乾燥具合と酔い加減に吸い込まれるように、甘寧はそのままうとうとと眠りについていった。



次の日。
甘寧は眠りから覚めると同時に、己の胴の上に何かが乗っている重みを感じた。
瞼はまだ開けない。
何だ?
天蓋や寝台周辺には落ちるものはない。少し温もりを感じる。が、人間の重みではない。殺気も感じないから窓から鳥か何かが侵入してきたか?
うっすらと瞼を開いて自分の上にいるそれを見、甘寧は思わず目を丸くした。
真っ白だが所々が赤い毛並み。ゆらゆらと揺れる二股に分かれた尾、そして、くりくりとした大きな黄金の瞳の狐に似た獣が、己の腹筋の上にちょこんと乗っているではないか。

「・・・キューン」

鳴いた!
そういえばと、昨日の凌統の話の中の獣を思いだしつつ、目の前の獣を照らし合わせる。
凌統が言っていた化け物は本当に・・・

「・・・・・・・・・いた」





今日は朝から軍議だ。
早い時間に兵舎に入った凌統は、ほぼ同時に入った陸遜と談笑をしながら他の将達がやってくるのを待っている。
昨日久しぶりに市井を見に行ったこと、交易所が発展していて可愛い香炉があったこと。そんな話を、陸遜はにこにこと笑いながら聞いている。

(ほら、陸遜は俺が“可愛い”つったって何も言わねぇじゃねぇか)

可愛いもんは可愛い。それを俺が口にしてどうして悪いんだよ。言っていい人間と悪い人間がいるなんて、それこそ偏見だっつの!
昨日の口論めいたやりとりを思い出しながら、凌統はひとり口を尖らせる。
その時丁度、こちらに近づいてくる鈴の音が聞こえてきて凌統は片眉をあげた。
いつもは指定した軍議の時間ぎりぎりに兵舎に入るか、遅刻するか、最悪すっぽかすというのに将が殆ど揃っていない時にやってくるとはまた珍しい。凌統の隣にいる陸遜も思わず苦笑いをしている。
そして、近づいてくる鈴の音がいつもより忙しなく動いているような気がして、凌統は鈴の音の主がやってきたら一言いってやろうと溜息をついて卓に肩肘をついた時だった。

「こんなのがいたぜーっ!」

兵舎の入口にやってきたと同時に、甘寧の歓喜の轟きが辺りに響き渡った。
その両腕は高らかと上に上がっており、目で腕を辿った先にある両手には、狐に似た風貌の白い毛並みをした愛くるしい獣が、大きな目できょとんと見つめていた。
陸遜は何事かと固まっていたが、凌統は違った。
昨日の甘寧へ語ったばかりの幼い頃の記憶が蘇る。あの時の獣が確かにそこにいるではないか。

「あぁーっ!」

椅子を跳ねあげんばかりに立ちあがった凌統は、甘寧の手に抱かれた獣を指差した。
続けて言葉を繋げる。

「どうしてあんたがそれ持ってんだよ!」
「起きたらこいつが俺の腹の上にいやがったんだよ!」
「そいつっ・・・俺の、あの時の・・・!」

俺のといいかけた凌統は、小さい頃に自分の元を立ち去ったあの姿を思い出し、甘寧を指差したまま何も言えずに奥歯を噛みしめた。
そして、その場に居た陸遜は何が何だか分からず、ただただ甘寧と凌統と、そして甘寧が持つ獣を見比べることしかできずにいた。



「ふむ、愛くるしい生き物だな」
「見た事のない生物ですね。このあたりに生息しているのでしょうか」
「ほらみろ、やっぱり俺が見た獣はいただろ?」

甘寧はそのまま卓につき、やがて他の将たちや孫権もやってきたはいいが、軍議そっちのけで甘寧が連れてきた獣に皆釘づけになっている。
昔、凌統が出会ったことがあるというのも皆に周知済みだ。
その獣はというと、卓の真ん中にちょこんと大人しく座っており、二股の尾をゆらゆらと揺らしながら時折辺りを見回している。そして、丁度目の前にいる孫権を見つめ、小首を傾げた。

「キューン?」
「・・・鳴いたぞ・・・」
「可愛いですね・・・」
「ふむ、神獣か何かの類だろうか」
「孫権殿、凶獣という可能性もありますぞ」
「長い事生きてきたが初めて見たな。可愛いなぁ、俺のところにも来ないかなぁ。きっと目立てるぞぉ」
「甘寧、何か餌はやったのか?」
「いや、何もやってねぇ。おっさん何か持ってんのか?」
「持っておらん。こ奴は何を口にするのだ。狐ならば・・・肉食か?」
「ならば私が虎に与えている餌を持って来させよう」
「その、背中に背負っている袋は何でしょうね?何か入ってるんですかねぇ?」

すると、卓の上に座っていた注目の獣はおもむろに立ち上がり、甘寧のほうへとことこと歩き出して、そのまま腕に擦り寄りその場に丸くなって瞼を閉じてしまった。
思わず甘寧は得意気に顎を上げ、甘寧の隣に座っていた韓当は獣の顎のあたりをそっと撫でてみると、獣は気持ちよさそうに小さく身を震わせて、本格的にすやすやと眠ってしまった。
韓当の笑顔に綻んだ細い目が、さらに細くなり、同時に漢達の低い溜息が辺りに木霊する。

「そ、それでは軍議に入るぞ!」

我に帰った孫権が皆に声を上げ、数刻遅れの軍議が始まったのだが、その日の軍議は皆全く身が入らず、やがてこの獣は誰が世話をするか乱闘まがいの論議に発展してしまった。


続く





無料だしと思ってDLした天狐ちゃんが可愛くて可愛くて。孫呉に現れたら大変な事になるだろうなと思いまして。
続きます。