蜜(元親+元就)

四国の長曾我部から書状が届けられた。

それは間者から奪い取ったものでなければ矢文といった野蛮な類でもなく、しっかりと使者をつけた改まったもので、目の前にいるこの使者というのも、上下とも落葉色の羽織と袴に身を包み、頭には烏帽子を被った立派な武家姿で、噂に聞く長曾我部軍の荒れた素行は微塵とも感じない。
長曽我部が部下と名乗る者は、南蛮の海を渡り手に入れたという珍妙な品々を持ってきた。しかしそのなかでも元就が一番心の目を輝かせたのは、土佐の山で採れたという蜂蜜だった。
蜂蜜はとても高価でなかなか手に入らない甘味だが、元就はこれが大好きだった。戦で大勝をあげた時だけ、こっそり堺の行商人を呼びつけて購入しては、匙で掬いとり零れるような甘さを堪能していた。

最近は主だった戦もなく蜂蜜もご無沙汰。今すぐにでもこの壷の中の、琥珀色のそれを指で掬い取りたくてうずうずしているのだが、それとは裏腹に、書状に目を落とす元就は厳しい顔つきだ。

(同盟を所望してきおったか…)

書状の内容は、中国と四国の同盟締結を望むものだった。同盟は、豊臣の西国進行に備えるものとある。その筆さばきは太く豪快なのに花押は嫌に細身で、また文には元就が利いたことのない香が焚きしめてあって、噂に聞く西海の鬼がこのような雅な趣向を持っていたかと考えると意外で、一瞬そちらのほうに頭が働きそうになる。
四国とは領海を巡って睨み合ったことはあれど、大きな戦を交えたことはない。
互いを干渉することもなければ、馴れ合うこともなかった。元就は長曽我部の顔を見たこともないから、文だけでは判断しがたい。
文には同盟の誘いだけが書いており、長曾我部側の同盟締結条件は何も記されていない。
さて、どうする。
書状を見る振りをして長曾我部の使者を盗み見れば、変わった様子もなく座っているだけである。

「書状の内容は承知した。これは急用か?」
「いえ、現在豊臣の目はこちらに向いてはおりませぬから。」
「それではこちらの条件を思案する故、しばし待たれよとそなたの主に伝えよ。返事はこちらから使者を出す。そなたは四国へ帰るがよい。」
「はっ。」




元親はその夜、一人で月見酒を愉しんでいた。
部屋の火を消し、久々に晴れ渡る夜空にぽっかりと浮かぶ月の淡い光は美味い肴となる。
時々涼しい風が庭の熊笹をゆらしては、心地よい葉音が耳に響き、つい酒が進んでしまうのであった。

元親は数日前の釣りを思い出した。餌はそれなりにいいものを使ったのだが、如何せん、その良し悪しはなかなか計り難いものだった。
明日、何もなければ自分で行って様子を見てみるか…。

「・・・親父、寝たか?」

障子の向こうから聞こえた声は嫡子の信親で、密やかな声色に何か妙を察したが、そこはあえて流すことにした。

「いや、まだだ。酒呑んでたんだが、お前も一杯やるか?」

すると、障子がスラリと開き、少し困った顔の信親が、月光に照らされ浮かび上がる。

「親父、それが突然なんだが、今越前からやってきたっていう旅芸人が来てな。宿がないからってここに来たんだが…どうする?」
「あぁん?人数は。
「二人だ。」
「男か、女か?」
「一人は男。一人は女。」
「獲物は?」
「男が刀一振り。女は扇だけだ。持ってた行李には服や旅道具一式が詰まってた。」

元親は顎に手をやり考えようとしたとき、幾月か前に加賀の前田が奥方を連れてやってきたことを思い出した。女一人が来ただけで男だらけのこの一帯は一気に華やぎ、あの奥方が美味い飯を作っていったら野郎共は涙を流して喜んでいた。

「おい信、とりあえずそいつら見てみてぇな。ここまで連れてきてやんな。」




そうして連れて来させた男女二人は、まだ大分若かった。
特に男のほうは元服したてといってもいいほどで、まずはその男のほうに元親は尋ねた。


「アンタら、どこから来た?越前とは聞いたが。」
「はい。越前から船と足で参りました。私の笛とこれの舞とで全国を渡り歩いております。」
「そっちの姉ちゃんはー」
「すみませぬ、この女口が聞けぬもので・・・」
「そうか、悪ぃ。」

男の隣の女はずっと不安そうにうつむいたままで、元親が女を見る度に目を泳がせる。その表情は、心なしか隣の男に少し似ているような気もする。

「アンタら、兄弟か?」
「はい。こちらは私の姉で、松といいます。私は隆太と申します。」

そういう男は終始穏やかに笑みを湛えながら話している。殺気は感じられないし、どこかからかの間者ならば海を渡る時点で捕らえている。持っていた太刀は信親が取り上げたし、その他の物も点検したし、本当に芸人のようだ。

「よし、わかった。じゃあ空いてる部屋に布団を用意させてやるよ。ゆっくりしていきな。」
「ほ、本当ですか!?ありがとうございます!」
「それで、だ。その代わりといっちゃあ何だが、俺の酒に付き合っちゃあくれねぇか?」
「は、はあ。」
「アンタらの芸を見せてくれよ。」

弟はチラリと姉を見る。
姉は笑みを浮かべて小さく頷いた。

「わかりました。それでは準備をさせていただきます故、暫しお時間を頂戴仕ります。」


女の支度に一つの部屋を与え、自分はそのまま酒を飲みながら待っていた。
しばらくして、笛を持った男に手を引かれるように烏帽子をかぶり水干に袴と、男装した女が現れた。
座敷の中央に女が立つと、ゆったりとした仕草で座り、閉じた扇を前に置くと深々と礼をする。
頭を上げ、数拍後にヒュウと風が舞ったのが合図。
男が笛を鳴らし、女が扇を手にし、夜の静けさも相俟ってあたりの空気は弓弦のようにぴんと張りつめた。

張りつめた空気を扇で切り裂くような、且つ笛の音にあった拍の取り方、足の運びには微塵の迷いはない、女とは思えないほどの力強い舞だ。
つい元親も酒を唇に運ぶのを止めて魅入ってしまう。

女がこちらへ近づいてくる。
目線は元親を見ているようでそうでない。
笛の音が速くなる。
扇を剣のように自らの前に突き立て、元親の左を横切ろうとした時だ。

(しまった!)

「動くな」

優雅な澱が緊迫した空気に沈んでゆく。
耳の後ろで囁かれたのは低い声。
背後を取られ、見えないが何かが首筋に突き立てられている。

「信親。」
「ごめん、親父。動けねぇ」

向かって下手奥にいたはずの信親は、笛の男に腕を取られ組み伏せられ、やはり首筋に笛をたてられている。
それでも元親は、なぜか余裕いっぱいに口元に笑みをたたえてじっとしている。

「動くな。動けば扇に仕込んだ毒針で貴様をこの場で討つ。」
「アンタ男だったんだなあ。アンタはどこの間者だ?それとも賊か?何が望みだ。」
「望むものは、貴様の命ではない。」
「・・・アンタ、誰だ?」

これだけ溢れる殺気を舞っているときまで一寸たりとも残さず隠し、問答を繰り返しても小者がよく口にする台詞とは明らかに質が違う。

「我が名は毛利元就。」

その名前を聞いて、つい元親は目を大きく見開いた。
少し離れた所にいる信親は叫びそうになったところ、笛の男にさらにきつく腕を締めあげられ、低く呻いた。

「・・・中国総大将さんがすげえ博打に出たな。」
「人を欺くは我の得意とするところよ。」

海の上でも毛利の謀略は有名で、やり方が気にくわなかったからどんな野郎なんだろうと考えたものだ。対峙した時は一発ぶん殴ってやろうと思っていたのに。
さっきの舞は本当に見事だったのだ。ああ、でもあの力強さは女のものではなく、男の力強さだったのかと思うと妙に納得する。

「そういや、この間の書状は届いたかい?」
「貴様は何を望む。我が中国と手を結び、何を望むのだ。」
「書状に書いた通りだ。俺はアンタと豊臣を潰したい。それだけだ。」
「その先には何もないのか。」
「ないね。俺等は気の向くままだ。」
「同盟の条件はなんだ。」
「毛利の、金だ。」

何?と一際低い声が聞こえる。

「銀でもいい。俺んとこで重騎作っててな。部品も予算もすぐ足りなくなっちまうんだ。ここにはいい銀山なんかはないが、いい蜂蜜はある。その蜂蜜を買うってのはどうだい?」
「・・・・・・・・・・・・。」

成程、こちらが策をかけたようで本当はあちらが網を張っていて、それにはまったというわけか。
元就は憎々しく眉間に皺を携え、やっと扇を構える腕を解いた。
ゆっくりと元親が振り向く。そこには殺したくなるぐらい、余裕に溢れた笑顔。
一瞬でも命をねらわれたというのに、隙があるように見せているだけなのか。

「蜂蜜と金では釣り合いがとれぬ。和紙に木材も付けよ。」
「おう、いいぜ。じゃあ、同盟成立だな?」
「・・・・・・・。」

毛利元就の一連の動作と声と顔が、はじめて元親の中で合点する。
無駄がない。否、読み取れないほどに取り巻くものが、皆無。
機械は沢山この目で見てきているが、表情のない機械のような人間は見ていてよろしくないものだ。
演技のほうが笑えるってどういうことだ。
能面でももっと表情豊かだろ・・・

「アンタ・・・人は信じられねえか?」
「・・・・・・・。」
「俺は裏切らねぇ。絶対だ。」

元就は返事することなく、立ち上がりじっと元親を睨む。
その立ち姿には、もう舞姫の面影はなかった。

「書状の返事は中国へ帰ったのち、送る。」
「は?お、おい。折角来たんだからもうちょっとゆっくりしていけばいいだろ?」
「ここは敵地。総大将とばれては我の首を取りに夜討ちを仕掛けてくる輩がいるかもしれぬ。」
「同盟結んだんだから、敵地じゃねぇだろ。それにアンタは大将でもあるが、客人だ。」
「隆元。帰るぞ。」
「はっ。」
「おい!おい毛利!酒でも飲んでけって!」

笛の男が畏まって歯切れのよい返事をすると、信親の腕は自由になった。
元親の声は空しく、元就は城の門までずかずかと歩いていく。体が自由になった信親が慌てて元就と隆元の荷物を運んでくると、それを隆元が受け取り、元就は着替えることもなくそのままの姿で近くに繋いであった馬に乗り、さっさと帰ってしまった。
元親は、二つの後ろ姿が暗闇に見えなくなるのを眺めていた。

「結局、毛利は何しに来たんだぁ?」
「親父の器量伺いじゃないかなあ?」

もうすぐ、瀬戸内の海に朝が訪れる。



長曾我部の元に毛利からの同盟の返事がやってきたのは、それから間もなくのことである。







×ではなく、好敵手!てかんじの二人が好きです。