手にした空虚@(元親+大友義鎮)

元親はドカドカと足音を鳴らしながら床を踏みしめる。
その顔つきは険しかった。
口元に笑みを浮かべることはなく、瞳は真っ直ぐを見つめたまま一分もぶれない。
時折出てきて行く手を遮る家臣らを乱暴な手つきで横にどける力は荒々しく、家臣たちは襖ごと吹っ飛んだり、派手に庭へ転がり落ちた。

そうして、目の前を遮る襖を破壊せんばかりに左右に割ると、ドカリとひと際大きく足を踏み鳴らし、担いでいた長槍をクルリと一回転。
槍頭の切っ先を、部屋の真ん中で悠長に酒を飲んでいた男の首にピタリとあてた。

「どうした?姫若子。」
「…義鎮ッ!」



苦々しく呼んだ名前は、飲み友達だ。
大友義鎮。
豊後の大名で、他勢力への牽制の意味をこめて同盟を組んでから、一緒に酒を酌み交わすようになった。
外界への興味と、それに繋がる“新しいものは取り入れるべき”、という考えは互いの共通点であり、いい肴になった。
土佐や豊後の眼下に広がる大海原の向こうには、まだ見ぬ世界が広がっている。
この日の本にはない何かを色々と想像しながら話をしては、酒を楽しんだ。

だが元親は、理想や思想は語っても、自分がそのとき行っている謀略や調略など、戦に関する考えは義鎮の前で口にすることはなかった。
少しでも隙を見せれば、すぐに攻めこんでくると勘付いたからだ。
この男。その知略は毛利や竹中を凌ぐといわれ、人を引きつける力は豊臣の軍事力を思わせ、貪欲さは松永を彷彿とさせる。何よりも己の牙を隠す術は忌々しいほどに長けていた。


元親の好敵手である毛利が、大内の重鎮・陶晴賢を討ったという知らせを受けたのは、半年前に義鎮と酒を飲んでいた夜だった。

「大内に弟をくれてやることになったよ。」
「ああ?…あの、晴英ってやつか?」
「そうだ。陶がどうしても、といってきてな。まあ、実権は陶が握るとはいえ、防州に駒を進めたことは事実だ。問題ないだろう。それに…」

月を眺めながら妖しく笑った義鎮の言葉の続きを促すことはしなかった。
それよりも、“駒”という単語は、嫌でもあの安芸のモヤシのような大名を思い出させる。
元親は眉間に深い皺を作り、義鎮が眺める月を眺めた。

そして頭の中で周防の情勢をぼんやりと分析する。
中国の2大勢力の1、大内が崩れ始めた。
毛利はこの崩壊を黙って見ているわけがない。きっと陶や、隣にいる飲み友達の義母弟を手にかけるだろう。
義鎮は毛利の動きも読んでいる・・・と思う。
だが、それならば、なぜ弟を差し出す?

「どうした姫若子。手が止まっているぞ。」
「・・・クソッたれが・・・。」

薄い唇に浮かぶ笑みの真意が分からず、元親は苦々しい表情で盃の中の酒を煽った。





元親の思惑は当たった。
毛利が動いた。
謀略の連続により、陶の軍勢を削ぎ落し、逆に自軍の兵力を増幅させることに成功したのだ。
それからほどなくして、厳島に布陣した両軍だったが、伊予の村上水軍が現れた頃から風は毛利に靡き、あっという間に陶は討ちとられた。

岩肌の如く人垣がぼろぼろと崩れ落ちて丸腰となってゆく大内だが、それでも、義鎮は動かなかった。
大友と同盟を結んでいる元親は、大友から声がかかるまではひたすら傍観に徹そうと考えた。
大友のやることは腑に落ちないが、下手に手を出せばどこからどいつが攻めてくるかわからないし、生ぬるい気持ちでの人助けは反吐がでるほど嫌いな性分。

だが、信じられない便りが耳に届いて、元親は腰を上げたのだ。

「義鎮・・・聞くがよ。」
「義長のことか。」
「そうだ。なら話が早ぇ。」

長槍を持つ手に、力が籠った。

「お前、毛利に義長を売ったな・・・?」
「・・・。」
「アイツは・・・アイツはっ!」
「姫若子。」
「最初からこうなると読んでアイツを周防に渡したってんだな!」
「姫若子、これを見てくれ。」

首元に長槍を突き付けても怒声をぶつけても、義鎮はずっと涼やかに口元に笑みを浮かべているのみ。
それどころか、棚から小さな木箱を持って来て、箱の蓋を押さえている紫紺の紐をそっと解いた。
元親は一発ぶん殴りたいのをなんとか抑え、長槍を再び肩に担ぎあげ眉間の皺を深くして、義鎮の手元を眺めた。

桐の箱から現れたのは、小さな小さな碗だった。
みるみるうちに元親の目が見開いてゆくのを、義鎮は楽しげに眼を細めた。

「まさか・・・そりゃあ・・・」
「ああ、そうだ。大内の家宝の茶器だよ。毛利から使者が来たんだ。この茶器か義長の命どちらかをくれてやるといってきた。あの毛利らしくないだろう?」
「・・・・・・っお前ッ・・・・・・」
「人は己の好むものを手元に置きたがる・・・。大内が一番欲し、一番好んだ茶器が私の手元にやってくるということは、大内の肝を奪ったということになる。ふふ、これでいい。」
「・・・・・・っお前って奴ァッ・・・!」
「!!」

バキリと鈍い音が辺りに響いた。
部屋の外で待機していた大友の家臣数人が、敷居を跨ぎ各々の太刀に手をかけて様子を窺っている。
線の細い義鎮は、体ごとその力に持って行かれ、隣の客間の襖を突き破り柱に大きく体を打ちつけて畳に転がった。
だが、元親の怒りは収まらない。
唇の端に血を滲ませ、ゆっくり起き上った義鎮を確認すると、そちらのほうへドカドカと近寄り、手加減なしに胸倉をつかみ上げた。

「弟の命よりこんなモンを取ったってのか!ふざけんじゃねえぞ、お前・・・お前ッ!「お前に何がわかるんだ?」

胸倉を掴み上げる腕を逆に掴みとられ睨まれる。
先ほどまでの涼やかな目元は、どこか遠くへ消えていた。

「お前に大友の何が分かる。私がこの茶器を取れば、義長を大内と大友の両方から解放することができる。」
「ンなもん、俺が知ったこっちゃねえ!義長は解放なんざ望んじゃいねえだろ!?アイツは今大内当主として死のうとしてる!何故わからねえ!」
「解っていないのはお前だ、姫若子よ。義長は聡明だ。陶が死ぬまで傀儡となってずっと耐えていた。だから今、毛利と戦っているのではないか。大内の人間として、戦っている。」
「テメェ・・・そこまで解っておきながらっ・・・!」
「陶がいなくなったことで、大友の大内が築けると思っていたのに・・・それも叶わないならば・・・私は義長を、否、晴英を自由にしてやりたいんだ。」
「・・・自由にしてやりてえならなんでお前は動かねえ?それに今のお前は“小早川に動きを封じられて動けない”って言うとこじゃねえか・・・?」
「援軍は必要ない。小早川の童(わっぱ)、ひねり潰すのは容易いが今は機ではない。こちらも被害は最小限に抑えたいのでね・・・それに姫若子。」
「ンだよ。」
「お前と私は、“仲間”ではないぞ。」

そのくっきりとした二重の瞳の奥を細め、ニタリと笑った。

「ンなこととうの昔に知ってらぁ!だったら俺も、好きにさせてもらうぜ!」


まだ怒りが収まらず震える拳をそのままに、元親は踵を帰して部屋を出て行った。


「・・・。」

義鎮は辺りを見回した。
殴られた拍子に動いたのか、畳に置いていた杯が傾いて中の酒がこぼれている。
倒れた襖が、幾重に折り重なり。
荒らされた部屋に、庭の虫の鳴き声がチリチリと響いて静かに鳴き止んだ。
義鎮は襟元を正して立ち上がり、裾を軽く払った。
側にいた家臣の一人が駆け寄ってくる。

「殿っ、お顔は・・・?」
「大事ない。茶器は無事か。」
「はっ、ここに。それより殿、あのような芝居を打ってまで・・・。」
「ああでもしなければ奴は出て行かないだろう、全く・・・。もし義長が帰ってくるようなことがあらば、斬って捨てろ。」
「はっ。」
「奴め・・・。そろそろ邪魔になってきたな。奴の宝はなんだ?・・・ああ、嫡男か。どうやって手に入れようか・・・。切支丹で釣ろうか、そういえば丁度いいメダイが手に入ったところだ。戦で落としてみせよう・・・島津を使ってみるか・・・。」

また、虫が鳴きだした。

「晴英・・・」

義鎮は細い指を口元にあてて、誰にも聞かれぬよう弟の名を呟いた。







Aへ続きます。