手にした空虚A(元親+大内義長)

寺周辺を毛利軍兵士が取り囲んでいる。
自分の周りにも、毛利の兵士らが数人。
それらすべての気配はこの身一つに向けられていて、呼吸ひとつすらも監視されているようだった。

己の獲物はとうの昔に取られてしまった。
そのかわり手に持たされたのは、簡素な小柄。
ほぼ強制的に寺の一室に連れられ、部屋の中心にたどり着いたあたりで兵の足が止まり、義長は両膝をかくりと折った。

ここで死ね、ということらしい。

「内藤は・・・」
「腹を切った。」「大友義鎮は・・・」
「元就様が義鎮殿に貴様の命と大内の茶器、どちらが欲しいと尋ねてくださった・・・だが、茶器を取った。」
「・・・そうか。」

薄く笑った。
最期まで従ってくれた重臣の顔がぼんやりと思い浮かんで、涙が出そうになったが、毛利兵の無機質な様子も兄の取った行動もそれらしくて。
己の具足の中に仕舞い込んだ小さな木箱の角が脇腹に当たり、また義長は薄く笑った。
最早悲しくはなかった。
義長は濁った目で空を仰ぐ。

(黒い…。)

黒い黒い天井が、空と自分とを隔てていた。
左右には冷たい壁。

目に見えないものから逃げ出したいと考えたことは、大小違えど今まで星の数ほどある。
そんな時は決まって空を見上げた。空に浮かぶ沢山の星。自分も、自分の周辺も、自分も運命すらもちっぽけに思えて、なんとなく気分が安らいだものだ。
そんな星すら最期に見ることは叶わず、現実から逃れられなくなった事実は、義長を諦めさせるのに十分だった。
ただ義長は静かに鼻から息を吸って目を閉じた。

「誘ふとて 何か恨みん 時きては 嵐のほかに 花もこそ散れ・・・」

空虚の心に浮かぶ単語をそのまま辞世の句にしながら、小物を首に突き立てた、まさにその時だった。

「ま、待て!貴様っうあああ!」
「止まれッ、止まれッ!!ええい、あいつも殺してしまえ!」

寺の裏手のほうが騒がしい。
義長がピタリと手を止めると、即座に周りを取り囲む毛利兵の半数が、槍や刀を突き出してきて身動きを制する。
また、それ以外の半分が外の様子を見ようと障子戸を開けた刹那。

「ぎゃあああ!」

戸を開けたと同時に、大きな火柱が右から左へものすごい速さで駆けていった。
その熱は兵士等の顔を焼き、兵士らは顔を掻きむしるように手を動かしながらごろごろと辺りをのたうちまわり、やがて動かなくなった。

その熱さをものともせず、一人の大男が部屋に飛び込んできて、獲物の長槍を振り回すこと数回。
辺りを見渡せば、毛利軍の兵士は誰一人として生きてはいなかった。
男が目の前で立ち止まる。
大きな体に銀髪隻眼。
我に返った義長は、その紫の瞳を仰ぎ見た。

「あ・・・」

何が起こったのか全く分からず、かさついた声をひとつ振りしぼった。
それでやっと、自分はひどく喉が乾いているのだと気づいて小さく咳き込みむと、男は長槍を肩に担いで笑った。

「生きてやがったか。」

そして、腰を降ろして義長を上下に見つめながら、似てねえなとか、割といい面してやがるとか呟いている。
大友の援軍?・・・にしては多少荒さが目立つ。
自分がなかなか腹を切らないから、毛利が痺れを切らして直に首を取りにきたか。
だが、男はそのどちらでもないような気がして、おそるおそる尋ねた。

「あ・・・貴方は・・・?」
「西海の鬼だ。土佐の長曾我部元親だ。」

土佐・・・。確か豊後と同盟を組んでいたはずだ。毛利とは敵対している。
やはり兄上が援軍を出してきたかと思ったが、その心を読んでか、元親は“テメエの兄貴に言われて来たんじゃねえ”という。
ふと、内藤の言葉を思い出した。

“大友の援軍を待っていては遅うござる!どうか、どうかここはこの隆世がどうにか致しますれば、殿は逃げ伸びてくだされ!・・・そう、瀬戸内の海を越え、土佐を頼れば道が開けますでしょう!”

あの時、なぜ内藤は土佐を持ち出したのか。
頭の中で話が繋がるようで繋がらす、義長は頭が混乱して、また尋ねた。

「貴殿が宮内少輔殿なれば・・・何故、豊後の援軍要請も無しに私を助けに来てくださったのですか。」
「簡単に言やあ、俺が助けたかったからってとこか?って、毛利の軍がもうこっち向かってるのか。早ぇな。野郎共!ずらかるぜ!」
「何故・・・何故ですか!?私を助けても、貴殿には何の利益にもなりませぬ!」
「煩ぇ。俺が助けたかったんだから、助けたかったんだよ。つーか、利益なんて特に考えちゃあいねえ。」
「・・・なんと・・・。」
「それに、助けたからっていい奴にされるのは御免だ。」
「・・・・・・勝手すぎる、のでは・・・。」
「おう、俺はいつだって自由気ままに生きてるからな。」

義長はブルリと背筋を震わせた。
こんなにも自由をはっきりと口に出来る者と、初めて出会った。
それに比べて自分はどうだ。
背負ったものの重みに耐えきれず、今まさに果てようとしている。
大友を、大内を。
それから、死なせた家臣等の業を。

生まれて数年で大内に養子に出され、大内に実子ができればいらないと言われ大友に返され。
兄上の力になろうと決心したところでまた、大内に・・・。
例えば、私の父が大友でなければ。
例えば、私の母が大内でなければ。
だがそれは、今更考えても仕方のないことなのだ。
この乱世、こんな運命は珍しくはない。己ばかりが背負っているわけではないのだ。
だとすれば目の前の西海の鬼も、何かを背負っているのだろうか。
私と鬼とでは、何が違う?
全てかなぐり捨てられるのは、今しかないのか?

元親が長槍を鳴らして立ち上がる。

「俺はお前を助けた。だが、俺はアイツのやり方も毛利のやり方も気にくわなかっただけだ。妨害、だな。だからこれからはテメエの自由だ。死ぬなり生きるなり、好きにしな。」
「・・・・・・・・・宮内少輔殿。」
「あン?」
「私は、生まれ変わりとうござる。」
「・・・。」

長曾我部の兵士が松明をひとつ持ってやってきた。
どうやら、火を放つらしい。
義長は顔を上げた。
その瞳にはゆらゆらと炎が宿っていた。

「生まれ変わるには、それ相当のものが必要。」

轟々と、遠くで兵らの声が聞こえる。
事は一刻を争う。
義長はおもむろに身につけていた腰帯を小柄で切りあげた。
刀傷で形が崩れた胴丸を急いで脱ぎ捨て、立派な意匠の草摺も切り払い、血に濡れて未だ乾かぬ籠手の紐を口に銜え、千切るようにして解く。
左の籠手の裏側、丁度脇の下あたりに袋が縫いつけてあった。
決して小さいとは言えないそれを身につけたまま立ち回るのは、そう容易くないだろうに。
その袋から取り出して見せたのは、茶色の小さな椀。
元親は見覚えがありすぎて、義長の手の中にあるそれを、首を傾けながら目を凝らした。

「・・・そりゃあ・・・。」
「これは兄上が欲しがっていた、大内の家宝である茶器。毛利に奪われぬよう、ずっと肌身離さず持っていました。」

生まれたときからあの兄はああだった。
だからか、幼い頃から、他人に判らない兄の考えが己なら直感的に判ることがあって。
兄がこの茶器を欲しがっていることだって、気づいていた。

陶に招かれ、大内家の家督を継ぐため二回目の防州の土を踏んだとき、ふと思いついたのだ。
大内家宝の茶器を、兄に渡さないでいることはできるだろうかと。
流れ流され、ここまで生きてきた自分の初めてといえる、ささやかで子供じみた抵抗。
すぐにこの茶器と同じ物を作らせ、戻ってきた本物はずっと、衣の中でずっと、己とともに大内を生きてきた。
偽物は豊後に渡ったが、本物は今も己の下にある。
今まで何にも勝ったことがない己が、兄を騙した。
このまま勝ち逃げするのも、いいかもしれない。

「私と大友と大内を繋ぐ物はこれが最期です。」

小声で呟いた声とは対照的に、その茶器を持った両腕は力強く真上へ掲げられ。

大きな音を立てて、茶器が床の上で割れた。
破片が飛び散る様を、義長は瞳を輝かせて見ていた。
最後に、頭の後で一つにくくっていた髪を根元からザックリと切り落としてしまった。
パラリと髪の房が頬にかかるのを振り払いながら、義長は強く元親を見る。

「これで、“大内家・大友晴英”は死にました。」
「兄貴!毛利の小早がこっちに近づいてますぜ!」
「ですが、私は死ぬわけには参りません。」
「兄貴!」
「大内の当主として、私を慕ってくれたもののため、私は生きねばならぬ故。」

長曾我部の兵が数人、慌ててやってくる。
元親は火をつけろと小声で告げた。
そして、また義長を見た。その表情は、首実検をしている時のように冷めていた。

「私を長曽我部軍に入れてください。」
「細腕はいらねえな。」
「土佐の一領具足、それになりとうござる。測量ならやったことがある、城も普請できるし、農作業だって。汗水垂らして必死に生きとうござる!」
「ハッ、ソレだけじゃあ足りねえなあ。」
「では・・・・・・・・・。」

私は大友と大内の両方の情報を持っています。これを利用せずともよいのですか?

自然と出てきた言葉に義長自信が驚いた。
さんざん利用されてきた身、これ以上は望んでいなかったのに。
だが、自らの意志で利用されるならば、それもまたいいのかと思った。

「貴方様の自由とやらに、私もついていきとうございます。それと・・・強くなりとうございます。」
「兄貴!早くしてくだせえ!毛利の船が上陸しちまう!」

外が炎で紅く染まってゆく。
迫り来る怒号のなか、義長はじっと元親を見つめた。

「・・・。」
「・・・。」

しばらくして、元親が踵を返した。

「へっ!アンタの好きにしな!」
「有り難き幸せ!」
「だが、海の上は陸よりもっと甘くねえ!なんせでっかい海相手だからな!」
「百も承知!」

義長は足にまとわりつく脛当も脱ぎ捨て、元親の後ろを走った。
ふらふらの体のはずなのに、その足どりはとても軽かった。そして何より、こみ上げてきた笑みだ。
子供の頃やった鬼事のように、毛利軍の目を盗んで、駆けて、船を目指す。
途中で“新入り!”と長曾我部の兵に声をかけられて羽織りを一つ渡され、有り難く袖を通せば、意外と紫も似合うものだったのかとますます嬉しくなった。



兄上、私は兄上のお考え通り、豊後には戻りませぬ。大内は滅びました。
だが、それと同時に楽しいことが目の前にやってきました。しばらくはそれに興じてみようかと思います。
それでは、お元気で。







頂いたリクエストを元に書きました。