雨音様より(毛利両川)



庭先を吹き抜ける午刻の風がさらさらと葉叢を揺らす。爽やかなその音は障子が開け放たれたままの館主の私室にまで届いていたが、室内に満ちる重苦しい空気に遮られて二人の耳へは入らなかった。

「−−最早秀吉公は天下人と成ったも同然。これ以上招喚を断り続ければどうなるか、解らぬ貴殿ではありますまい」


元春は先程からそうするように両の目蓋を閉ざしたまま無言を貫く。聞く耳はおろか視界に入る事さえ拒絶するその姿勢に、隆景は内心で舌打ちと毒を吐きながらも毅然とした表情を崩さぬまま唯々静かに兄の応えを待った。
相手が怒鳴り散らす質ならまだ良かったのだ。喚くだけ喚かせ、息が切れた隙をついて詭弁巧みに丸め込むのは容易いというのに。
しかしこの男はそんなに単純ではなかった。武人の覇気かはたまた父の面影の所為か、纏うた沈黙はまるで鋭い垂氷を思わせ、向かいに座す隆景の細身に突き刺さる様に容赦無く入みる。

「諄いぞ」

長い沈黙の後、その口吻が紡いだ見下げ果てた一言に隆景は頭蓋の片隅で何かが罅ぜるような音を聞いた気がした。
一刹那のうちに沸き起こった殺意にも似た怒りに指先がぴくりと動いたが、きつく引き結ばせた唇の痛みをもって何とか堪える。


「へぇ、我慢を覚えたのか?」


偉いじゃないか、と感心しているのか小馬鹿にしているのか判らない話調と薄ら笑みを浮かべながら元春が言った。


「…吉川殿、変わらなければ守れぬモノがあります。秀吉公に手向かう理由が宗家を思っての事ならば、何卒毛利の名を守る為にその力を貸して頂きたい」


口調こそ遜っているものの頭を下げる気には到底なれなかった。捨てきれない矜持がそうさせるのだ。
元春は応えず、風に揺れる黄朽葉色の髪の下でふと寂しげな表情を覗かすと広げた自身の掌へ眼居を落とした。常勝不敗と武名を馳せたその手は、しかし近習の話によればもう随分と柄を握っていないのだと聞く。
「暫く見ぬ間に痩せられた」とは対面して早々に感じた事だが、眼前の甲に浮き出た骨が目に留まり隆景は改めてそう思った。
ほんの一瞬、痛みを堪える様に端整な面が歪んだのを見逃さなかったが声を掛ける事は敢えてしなかった。言っても答える人ではないし、節介を焼かれる事を嫌うからである。
それから再び二人の間に探り合う様な沈黙が流れたが、「今日はもう疲れた」と館主が腰を上げた事で終わりを告げた。
隆景が追及するよりも早く外に控えていた御内によって襖が開かれる。その手際の良さから「早く去れ」という意図が汲み取れた。
これが今の両川体制の現状である。とかく毛利の要であった父と長兄の二代を立て続けに喪ってからというもの、その軋轢は益々顕著になっていくばかりであった。


「・・・昔に戻れたら良いのにな。ほら、お前と雪合戦や悪戯ばっかしていたあの頃によ」


いつの間にか庭先に視線を移していた元春が不意にそんな事を呟いた。言葉につられて隆景の脳裏に在りし日の光景が甦る。両親と養祖母に見守られ、幼い兄弟四人の笑い声が絶えず城内に響いていたあの頃が一番平穏で幸福だったと思い出し、懐かしさから知らず目を細めた。
今を憂い、そしてどうにかしたいと切に思っているのは二人とも同じ。ただ選んだ道が違っただけなのだ。


「…明日の巳の刻までに答えを用意しておいて下さい。尤も良い返答しか受け付けませんが」


隆景は思わず賛同しかけた言葉を呑み込んだ代わりに報答の日時を淡々と伝えた。そして元春もやはり弟の投げ掛けに応える事はなかった。



End

白黒メランコリーの雨音様より頂戴しました!両川のそれぞれの立場と性格がとても滲み出ていて・・・私が書いたらギャグにしかならないんだろうなあ;
雨音様ありがとうございました!