天翔(甘寧視点)

甘寧は゛それ゛の正体が何だかわからなかった。


先の合肥の戦で自軍が奇襲に成功したのはいいが、飛び込んできた伝令が泣きそうになりながら張り上げた声に耳を疑った。

゛魏軍張遼の奇襲にあい、孫権様は本陣に撤退!殿を務めていた凌統軍は白兵戦を展開し、甚大なる被害!゛

その瞬間、甘寧は己の体の中心に形容しがたい音を立てて、重い何かがのしかかってきたような感覚を覚えた。
刺されたと思ったのだが、己の体を案じるよりも口が先に開いた。

「凌統はどうした!」
「最前線におり消息不明!」
「っチッ、世話のやける野郎だぜ!」

持っていた覇海を一振り、踵を返して凌統が陣を張っていた辺りを目指して駆けだした。
走りながらも体の中心にある痛みは抜けず、己の胸のあたりを掠めるように見てみたが、付いているのは返り血ばかりで、痛みが走るほどの傷は一つもついていない。
甘寧は不思議だと思いながら足を速める。

(痛ぇな…何かの病だったら情けねえ。)




「凌統っ!」

戦が始まる直前に凌統が布陣した辺りにやって来て、ぐるりとあたりを見回して声を振り絞った。
が、返事は誰としてない。
あるのは変わり果てた兵士たちの姿。
敵も味方も折り重なって動かない。近くを流れる江は少し薄い赤に染まっているが、赤い陽のせいか流れ出た血のせいかはよくわからなかった。
殺気と殺気がぶつかった残骸は塵となって、血の臭いを纏った風とともに甘寧の鼻を掠めていった。

凌統の姿は、ない。
張遼の姿もなかった。

凌統はきっとここにいる。
不思議な直感だけが頭の中で白く光っていて、甘寧は胸の痛みが増してゆくのを感じながら、もう一度あたりを見回した。

どこだ凌統。
今なら俺の命取れるかもしれねえぞ、おら、いつも通りかかってこいや。

その時。
壊された橋に寄り掛かるようにしてかろうじて立っている影が、ゆっくりと動いた。

「凌統ッ!!」

膝を折り、ゆっくりと地に沈んでゆく体が完全に倒れる寸前で抱き抱えると、凌統は薄く目を開いた。
そして、甘寧の姿を捉えるなり、小さく笑う。

「へっ・・・・・・な・・・だよ・・・・・・・・・これで・・・・・・恩にでも・・・か・・・じろっ・・・・・・ての・・・?」
「くだらねぇ、お前ぇの親父のことを侘びる気はねえぜ。」
「なんだと・・・?」
「敵は斬る、仲間は守る!単純なんだよ、喧嘩ってなぁ。」

(仲間・・・?)

甘寧が凌統の体に叩き込むように言葉を掃き捨てると、凌統は何か言いたげに唇を引きつらせたが、ふつりと切れたように瞼を閉じた。
見れば凌統は全身傷だらけで、傷の場所によっては皮膚が裂け肉が見えている。いつもあんなに鮮やかに振り回しては、己の頭を勝ち割ろうと迫る怒涛も少し形が歪んでいた。
呼吸はしているようだが、このままにしておけば危ういだろう。
凌統の体を肩に担ぎ、凌統の手から転げ落ちた怒涛を拾い上げ、丁度やってきた自軍の船へ甘寧は足を向けた。

「仲間・・・なあ・・・。」

自らが発した“仲間”という単語に違和感を感じる。
まだ、甘寧の胸の痛みは治まらない。





「殿は大将だ、守らなくちゃならねえ。呂蒙のオッサンは仲間だ。陸遜だって周泰だって仲間だ・・・。うん、よし。」

あれからあと少しで1ヵ月が経とうとしている。
甘寧は城内の武器庫の屋根の上に寝転がり、晴天の空を眺めながらブツブツと呟く。
ちなみに今日は一日中苦手な執務の日。
最近はサボらないようにと陸遜と同じ房で仕事をするようになったが、そんな監視の目は甘寧にとって逆効果でしかなかった。いかにしてサボるか燃えてしまって、今日も今日とて執務放棄。

凌統は一週間眠り続けたらしい。
“らしい”というのも、甘寧はあれから一度も凌統の顔を見ていないから。
目が覚めてからも絶対安静の状態が続いていて、また、凌統の軍は凌統ただ一人だけを残して全滅した・・・というから、それなりに気を使っていたのだ。毎日凌統の処へ行っている連中から話を聞けば、段々元気になってきたというからひとまずよかった。
だが、己の胸の痛みは治らず、あの時引っかかった“仲間”という言葉を思い返す日々。

「凌統だって・・・仲間だろ・・・?」

仲間には違いないのだが、どうも違和感があるのだ。
合肥の光景を思い出すと、胸の奥がジリジリと火傷をしたように痛み出す。

本当に病だったらと思って、数日前に珍しく真面目に執務をしている時(といっても椅子に座っただけで、何もしなかったのだが。)、陸遜に聞いてみた。

「なあ陸遜。お前ぇよ、なーんか胸のあたりが痛くなる病気って、知ってるか?」
「沢山ありますよ。ですが今それとこれと何が関係あるんですか?お願いですから甘寧殿、筆を動かして下さいその書簡を新しい書簡に書き写すだけでいいというのにどうしてそんなに時間がかかるのですかいい加減にして下さい。胸が痛くなるとか貴方が病気になる前にこちらが病気になりそうです本当に今日中に仕上げなければ燃やすぞコラ。」
「い、いや。そりゃあやるけどよ。」
「何か問題でも?」
「・・・なんでもないです・・・。」

にっこりと黒い笑みを浮かべた陸遜はダメだ。本気で燃やす。
というかこの若い軍師の対応、俺だけ扱いがひどいのは気のせいではないだろう。
結局答えに近づけなかった。

凌統とは、仲間になる以前は何だ?
敵同士だ。
それ以外には何もないのに・・・。

「クソ、わかんねえ。」

こうなったら、本人と面合わせて話するしかねえか。
あっちは話する気になるかどうかわからねえが・・・。
そんなことを考えていたところだ。

「まだ、甘寧を恨んでおるのか?」

屋根の下から呂蒙の声が聞こえた。
丁度いい所へ来た、凌統は起きてるか聞こうとした矢先。

「なんでそんなこと聞くんですか?」

なんてことだ、本人が一緒ではないか。
動けるようになったのかとホっとしたのも束の間、またチリチリと胸のどこかが痛み出した。
2人はどうやら自分の話をしているらしい。
なんとなくだが、息を潜める。
自分らしくない。甘寧は苦笑いを浮かべた。

「何故そこまで意地を張るのかと思ってな。お前の気持ちは分かる。故に同じ孫呉の武将同士仲良くやれと言わないが…そろそろ、普通に接してやることはできないのか。」
「俺はそんなことしたくないですよ。」

ま、それがテメエらしいわな。
いきなり気軽に声駆けられたら逆に気味が悪ぃぜ。

「凌統、よく聞け「判ってるんですよ、本当はね。」

凌統の声色が変わった。

「解ってるんですよ。これじゃあいけないって。呂蒙さんたちに迷惑かけっぱなしになっちまうし。・・・・・・それに・・・俺は・・・・・・俺は少し羨ましいんですかねぇ、アイツの猪っぷりが。何にも縛られない、次元が違うっていうか、さ…。」
「凌統、」
「でもね。認めはするけどやっぱり許せないんです。アイツは父上の仇だからね。俺が覚えていなくちゃあ誰が覚えてるんですか。」
「俺はお前たちが仲良くやってくれればそれでいいんだが・・・。」
「・・・すいませんが、もうちょっと時間がかかりそうです。」

…。
おいおいおい、お前。

「ま、次会ったら合肥の礼ぐらいは言ってやってやりますかね…。」

へっ、礼なんているか馬鹿野郎、気味悪ぃ。
それよりも何よりも。
今お前ぇがどんな面してるのか、それだけが知りたい。

胸の痛みが痛くて痛くて。
ジクジクと溢れて止まらない。

下の様子を見るため上半身を起こすと、腰のそれがチリンと一鳴きした。
途端、下の2人の空気が面白いぐらいピタリと止まって、嫌に研ぎ澄まされた、殺気によく似た気配がこちらに向けられる。

「よう!おっさん!!」

いつも通り呂蒙に声をかけた。
呂蒙は目を見開いて、変な顔をしている。

「か、甘寧!?お前は一体そこで何をしているんだ、執務はどうした!!」
「おう、サボリだ!最近陸遜がうるせーからサボリ場を探すのも面倒だぜ。」
「堂々とサボリを決めるとは…。」

その隣にいる凌統はいつもの赤い胴衣ではなく藍色の緩い着物を着ていて、髪も降ろしていた。
見事に固まっていて、すごい馬鹿面だ。
屋根から飛び降りて、そんな奴に近づけば近づくほどに胸の痛みの正体もまた・・・。
奴が眉間に皺をよせて睨んでくる。

「・・・なんだよ。」
「・・・。」
「おいって。甘寧。」

目の前に垂れ目をのぞき込んで、ついでに黒子の位置も確認して。



「好きだ。」





「俺はお前が好きだ。凌統。今わかった。」




痛みの中の言葉を表現するとしたらそれしかないから困った。
そういう感情は江か戦場かへ捨ててしまったものだと思っていたのに。
そしてそのまま固まっている凌統の顔を眺めた。
端正といっちゃあ端正の部類に入るのかもしれねえが、やはりどう見ても男だ。ああやっぱり筋肉は落ちたな、胸板が薄くなってやがる…。
と、色々考えていると、突然目の前の顔がニコリと。それはそれは今まで見たことがないような綺麗な笑みを浮かべた。
一瞬不覚にも見とれてしまって必死に瞬きをしたが、それはどちらかというと陸遜の黒い笑みと同じ部類のようだと気づいた。
が、時既に遅し。

「俺はお前が大嫌いだっつの!!」
「ッッッッ!!!」
「鈴の甘寧様は変態でもあったんだねえ・・・さっさと死んでろ!」

股間の大事なところに強烈な膝を喰らって目の前が真っ白になって崩れると、凌統の笑顔を噛み締める余裕もなく後頭部に硬い何かが連続的に落ちてきた。
呂蒙が力ない声をあげる。
どうやら凌統は持っていた書簡を盛大に落としたらしい。

「お、俺はしつこいから覚悟・・・しておくんだな・・・。」
「五月蠅ぇ、黙れ!」
「げふっ!」

最後に横っ腹につま先で蹴り上げること一発。
凌統の速い足音を聞きながら、甘寧は目を閉じて薄く笑った。
ああ、やっぱそうこなくっちゃな。今日も痛え蹴りだぜ。
寝てるよりずっと奴らしくていい。


でも本当に覚悟しておけ。
絶対、絶対に俺ァ諦めねえからよ。



その後、甘寧は呂蒙に連れられて陸遜のところへ強制送還となり、執務のため一週間徹夜したという。







うちのりくそんはくろい。