塗りつぶすなら、晴天(凌統視点)

「02天翔」の対になります。

合肥の戦の直後から、凌統は一週間生死の境を彷徨って眠り続けた。
全身に負った傷は誰もが目を覆うほどひどい有様で、目を覚ましてから二週間が経とうとしている今でもまだ武器は持てずにいる。
だからか、凌統の元にやってくる見舞い客は絶えなかった。

「おぅい凌統!今日も来てやったぞ!」
「・・・今日もってことは一応自覚あるんスね・・・」

韓当、蒋欽、徐盛の三人組は凌統が目覚めてからほぼ毎日のように揃って顔を出す。
呼んでもいないのに嵐のように突然やってきて、勝手に騒いで勝手に帰ってゆくのだが・・・。

「ちょっとちょっとちょっと!韓当サン、一応聞きますけど手のソレは一体なんですかねえ・・・?」
「んん?ああ、酒だ!」
「怪我人を酒宴に混ぜるわけですかい?」

今日はとうとう酒を持ってきやがった。
なんだか傷が疼きだした揚句に頭まで痛くなってきた。
しかし3人とも孫呉古参の武将であり、父の凌操とも懇意にしていた者たち。そんな人達を追い払うことなど凌統はできなかった。
3人はヤキモキしている凌統のことなどお構いなしに、むしろ寝台を取り囲むように座り込んで今まさに各々の酌で乾杯しようとしている。

「何、案ずるな。怪我人を酔わせるような真似はしないさ。」
「でも酒は百薬の長ともいいますけどね!」

といって、アハハと笑う3人。
いや、アハハじゃねえ。

「お?なんじゃあ?宴会か。」
「あっ程公!今凌統殿を囲んで一杯やろうかと思っていたのですが。」

そこへ通りすがりの程普がやってきた。
孫呉という国はなぜか祭り好きな気風がある。殿・孫権をそれこそ筆頭に、ことあるごとに宴会を催すのだが、中でもこの孫呉三代に使える翁・程普は孫呉屈指の宴会大好き人間だ。しかも酒だってザルというか、もうザルの枠しかないんじゃないかというぐらい酔い知らず。
凌統は心の中で終わったと思った。

「あの、酒なら別に俺抜きでもいいでしょうよ、他でやってくださいな。」
「な〜にを言うか!そなたがおらねば儂等がここに来た意味がなくなるではないか!」
「そうだそうだ!いつもは手ぶらだが、今日はそこに酒があるだけだ、心配はするな!」

いや、そうじゃなくて・・・。
ふと、そこで戸口あたりから視線を感じると思ったら、呂蒙が顔を真っ青にしてこちらを見て固まっていて、山のように抱えていた書簡を落とした所だった。





「いやあ、助かりましたよ。」

その後、呂蒙は慌てて4人から酒を取り上げて、“凌統はこれから俺の書簡運びの手伝いをしてくれる約束なのです!御免!”と咄嗟に機転を働かせて凌統をその場から連れ出すことに成功した。
それで、そのまま凌統は礼として本当に呂蒙の書簡運びを手伝い、2人で城内の書庫と彼の邸とを往復している。
久し振りに歩く外は、とても心地よかった。
寝所からそのまま連れ出されたから服は藍色の寝巻に近い着物で、髪も結い上げずにそのまま流しているのだが、髪が風に揺れるたびに心地よさに目を細める。

「全く困った御仁達だ。」
「ま、ああして来てくれるのは有難いですよ。これじゃあおちおち怪我もしてらんねーってつくづく思いましたからね。」
「あの方々も、お前に一日でも早く武を振るって欲しいからこそああしている。許してやってくれ。・・・凌統よ。つい連れ出してしまったが、体の具合は本当にいいのか?」
「最近は頗る調子がいいですよ。すっかり体鈍っちまって、早く調錬で汗流したいですねえ。ああ、それから呂蒙さん。聞きたいことがあるんですけど・・・」

有り難くも呉の将たちの殆どが見舞いに来てくれている中、気配すらちらつかせない奴が1人。

甘寧だ。


甘寧は、合肥の戦いで苦戦していた凌統の元へ援軍に駆けつけてきた。
そのことが頭の中で靄のように漂っていて、どうも気分が悪いのだ。

大体あの台詞なんなんだ。
敵は斬る、味方は守る!だっけ?戦は喧嘩じゃねえってわかってんのかねえ。
それに俺は仲間だなんて思ってない。だって仇だし。
そう、仇なんだ。目の前でアイツに父上を殺されたんだ。
来るならいつでも来いっつの。助けてくれた礼なんて絶対言わねーし、変わりに文句の一つや二つや三つや四つでもくれてやる。
そして、頭に血が昇って俺の胸ぐらでも掴んで首でも絞めてみろっての。そうすりゃ奴に武器を向けることができるんだ、正当防衛として。
許されるなら奴を早く殺したい。
殺して解放されたいんだ。
この霧を消し去りたいんだ。
…許されるなら。

「甘寧か?」
「あっ、アイツだけ全く顔見てないんで、とうとう死んだかと思いましてね。」
「奴はいつも通りだ。調錬には顔を出すが執務はよくサボる。」
「あはは。まだ生きてやがったか。」
「凌統。」
「なんですか?」

呂蒙は声を沈ませて、やや躊躇う素振りを見せた。

「まだ、甘寧を恨んでおるのか?」
「なんでそんなこと聞くんですか?」
「何故そこまで意地を張るのかと思ってな。お前の気持ちは分かる。故に同じ孫呉の武将同士仲良くやれと言わないが…そろそろ、普通に接してやることはできないのか。」
「俺はそんなことしたくないですよ。」
「凌統、よく聞け「判ってるんですよ、本当はね。」

凌統はぼんやりと空を仰いだ。

「解ってるんですよ。これじゃあいけないって。呂蒙さんたちに迷惑かけっぱなしになっちまうし。」
本当はもう全部わかっている。
ああ見えて甘寧は面倒見がいいし、悔しいけど武だって俺以上だってことも。
俺はどんなに前を向いていても、後ろが気になってつい足を止めてしまう。今まで歩いてきた道が本当にそこにあって間違ってないかいちいち確かめないと、前に進めないから。

心の中の霧も・・・自分が甘寧を殺す風景を隠す靄は、己の迷いだってことも全部知っていた。

「・・・・・・それに・・・俺は・・・・・・俺は少し羨ましいんですかねぇ、アイツの猪っぷりが。何にも縛られない、次元が違うっていうか、さ…。」

でも、そんなこと絶対本人には言わない。
だってさ…

「でもね。認めはするけどやっぱり許せないんです。アイツは父上の仇だからね。俺が覚えていなくちゃあ誰が覚えてるんですか。」

あの光景は目に焼き付いて、焼き付けておかなければいけないのだ。
あの人の命を奪ったのは誰か、あの風景と、あの人の無念を。
奴にしてみれば沢山殺めてきたうちの一人だとしても、他人みたいに水に流したり風化させたりしまうなんてできない。

それに、今までそうやって生きてきたんだ、いきなり態度をコロリと変えるわけにはいかない。
隣の呂蒙は小さくため息をついて、足を止めた。

「俺はお前たちが仲良くやってくれればそれでいいんだが・・・。」
「・・・すいませんが、もうちょっと時間がかかりそうです。」

(あ、そうか・・・。)

“お前ぇの親父のこと、詫びる気はねえぜ。“といった奴のあの言葉、なぜだか今さら妙に納得できた。
あの時の甘寧が自分に詫びる気がなかったのと同じように、今自分が見るべきなのはあいつの過去でもなく執着でもなく。孫呉の仲間であることの現実。
では、そのためにはあの野郎に何を求める?

心の靄は少しだけ薄らいだような気がした。

足元を見れば、いつもの城内の回廊の石畳。
凌統は小さく笑って一歩進みだした。

「ま、次会ったら合肥の礼ぐらいは言ってやってやりますかね・・・。」





チリン





確かに聞こえて、心臓が凍り付いた。
小さかったけれど、確かに、あの癇に障る音が。

どこだ、どこにいる?
バッと呂蒙を見れば、何故だか慌てて首を横に振る。

探さなくても奴は呆気なくひょっこりと出てきた。
丁度前を通り過ぎようとしていた武器庫の屋根の上に、憎くて憎くて憎らしいガチョウの羽根が揺れていて、凌統は背中に嫌な汗を感じながら立ちすくんでしまった。

もしかして、今のやりとりを聞いてたんじゃあ・・・?

そんな凌統などおかまいなしに、甘寧は呂蒙に向かって小さく手を上げて挨拶した。

「よう!おっさん!!」
「か、甘寧!?お前は一体そこで何をしているんだ、執務はどうした!!」
「おう、サボリだ!最近陸遜がうるせーからサボリ場を探すのも面倒だぜ。」
「堂々とサボリを決めるとは・・・。」

呂蒙は眉間の皺をほぐすように指でつまんだ。
ああ、甘寧はいつもの調子だ。
ふいに目があった。
すると、甘寧はじっとこっちを見つめながら屋根から飛び降りて、凌統にじりじりと近づいてくる。

「・・・なんだよ。」
「・・・。」
「おいって。甘寧。」

甘寧はとうとう凌統の目の前にやってきて、それでも尚ずいと顔を近づける。





「好きだ。」





「俺はお前が好きだ。凌統。今わかった。」





それは“腹が減った”とか“眠ぃ”といった本能の言葉の使い方ととてもよく似ていた。
でも甘寧の瞳は真剣で、珍しくどこか切羽詰まっているように見える。

不覚にも凌統は固まってしまった。
隣の呂蒙が息を飲む音で我に返った。
ピチチと空を鳥が飛んでゆき、ニコリと甘寧に笑いかける。

「俺はお前が大嫌いだっつの!!」
「ッッッッ!!!」
「鈴の甘寧様は変態でもあったんだねえ・・・さっさと死んでろ!」

思い切り甘寧の股間を蹴り上げると、声にもならない声を上げて地に沈んだ仇の後頭部を狙って持っていた書簡をドサドサと遠慮無く落としてやった。
小さいうめき声が聞こえたが、そんなの知ったこっちゃない。

「お、俺はしつこいから覚悟・・・しておくんだな・・・。」
「五月蠅ぇ、黙れ!」
「げふっ!」

最後に剥き出しの脇っ腹を蹴り上げること一発、早足でそそくさと寝所へ足を向けた。
あの野郎にあんなこと言われるぐらいなら、あのオッサン3人組に宴会されたほうがまだマシだ!気色悪い!
ああ、少しでも奴をちょっと良く思った自分が馬鹿みたいだ。
やっぱり早く死んでほしいと切に願いながら、凌統はズンズンと前を進む。

体温が高くなったのも、顔が熱いのも、きっと久しぶりに動いて疲れたせいだ。
そうに違いない。


凌統は自分に言い聞かせ、苛立ちを紛らわすため柱に向かって回し蹴りをお見舞いした。







以前の差し上げものを少々直しました。