オールドブラックジョー



凌統の副将が死んだ。
甘寧が孫呉に来た時から凌統の副将はずっと変わらずその男が勤めていて、戦場で挨拶程度ならば少し話したことがあった。
いつも凌統の隣に控えていて、必要な場合は自分が言うべき意見を言うし、戦場では何をさせてもそつなくこなす、器用な男だった。
聞けば、凌統の父の代から仕えていた男で、凌統とは親子以上に年が離れていたらしい。そして、凌統がこの副将に絶大な信頼を置いているのを甘寧は知っていた。
戦場で血気に逸る凌統をいさめていたり、先鋒になった凌統とともに敵を潰走させていたり、凌統と陣の張り方について喧嘩のような言いあいをしている所を見かけたこともある。

そんな男が、死んだ。
あっけないものだった。
見回りに行こうと陣営の外に出た瞬間に流れ矢に当たり、そのまま命を落とした。
あっけない、本当に。


甘寧は、副将が死ぬ直前に幕舎にやってきたことを思い出した。

「甘将軍、少し、よろしいですか。」

幕舎で一人静かに酒を飲んでいた甘寧のところに、突然凌統の副将がやってきた。
そっと、入口の布を半分ほど上げたところから顔をのぞかせていて、目があうと小さく頭を下げた。
甘寧が無言のまま顎をしゃくって入るように促すと、男は律義に“失礼します”と一言言って、入ってきた。
その流れで甘寧が酒を勧めると、副将はひとつも表情を変えずに無駄のない動作で甘寧の前にあった丸太に座り、まずは酌をとって甘寧の杯に酒を注いだ。

「おめぇ、何しにきたんだよ。」
「凌将軍から、伝言を預かってきました。」

といって、副将はその一字一句を甘寧に伝える。内容は、戦になったら前線から早めに後退しろというもので、別段気に留めておくような内容でもなく、甘寧は面倒そうに頭の後ろで手を組んだ。

「へっ、あの野郎、自分で来いって言ってやれ。」
「そう申されますな、凌将軍は軍の取りまとめに奔走しているのです。何しろ、今回の戦は戦場が広く部隊も多いのですから。」

副将ははきはきと話した。白髪ばかりの髭を少し擦って、にこりと笑う。好感が持てる男だと思った。
それから、しばらく二人で黙っていた。副将は伝達を終えたのに中々離れず、杯の中の酒に視線を落としている。やがて、それをぐいと飲み干し穏やかに見つめてきた。

「甘将軍。」
「何だよ。」
「凌将軍は、頼もしい将軍です。」
「・・・。」
「しかし、何と言いますか・・・ああ見えて自分を隠してしまいがちな方です。」
「知ってるぜ。大人な不利して結構子供っぽいところとかな。」

すると、副将は目を丸くして声をあげて笑った。そして実に嬉しそうに目じりを下げる。しわくちゃな顔にさらに笑い皺を刻ませて、とても愛嬌のある顔だ。凌統が信頼するのもよくわかる。つい甘寧も口元を引きあげてしまう。

「甘将軍がやってきてから、凌将軍は己を隠す暇もない程活き活きしていらっしゃる。お父君の凌操殿が戦死なされた直後は、どうしようもないほど怒り、沈んででおられましたが・・・いつからか、それを打ち消すような働きをされ・・・。」
「・・・。」
「俺は、若い頃は、それこそ孫呉で名を馳せ、大将軍になろうと思って意気込んだものです。・・・しかしですなあ・・・。生物はいつ死ぬかわからんものです。・・・はは、すみません。副将の戯言と聞き流してくださって構いません。しかしどうか、甘将軍・・・




甘寧は、副将の墓の前に座り込んでいる凌統の後姿に近づいた。
副将の墓は凌統が作ったものだ。円形の小さな丘のようになった所に、人の頭ぐらいの丸い石がひとつ乗っている。素朴で、あの男らしい墓だと思った。
そんな墓の前にいる凌統は、背を丸く曲げて、酷く落ち込んでいる様子が後姿でも判って、甘寧は肩眉をあげた。

「凌統。」

声をかけるが、勿論返事はない。
甘寧も、どうして声をかけたのかわからなかった。
でも、もし凌統が弱音を返してきたり、ずっとこのまま座ったままでいたりしたら、一発ぐらい殴ってやってもいいかと思った。
甘寧は小さくため息をついて、空を見上げた。
いい天気だ。墓すらも爽やかに見える程の。
そういえば副将が死んだ日も、いい天気だった。

「親父みたいな人だったよ・・・」

そよいだ風に乗って、凌統の静かな声が聞こえた。

「凄く、真面目なオッサンでさ・・・。」

甘寧はいよいよ拳を握り絞める。
だが、しかし。

「・・・頑張らないとな。」

ゆっくりとだが、凌統は立ち上がった。
尻の土を払い、じっと目の前の墓を見て、やがて甘寧のほうを振り向いた。

「いつまでも落ち込んでたら、こいつに顔向けできないしね。」

凌統は、頼りなく笑っていた。少しばかり目元を赤くして。それでも笑っているのだから、上々だ。

(甘将軍、)
(孫呉に、いてください。)
(あの方の側にいてください。)
(凌将軍は、失うことに慣れていない。)
(・・・でも、慣れてはいけないとも、思うのです。)

副将はまるで、自分の死を悟っていたかのような言い方だった。
いつ死ぬかわからないから。しかし死を恐れていてはいけない。
それは乱世でなくても同じことだ。
いつまでも膝を抱えたままでは何も得られない。副将の考えは理解できた。だが、副将は凌統にそのことを言葉で伝えることはできたのだろうか。

そこで甘寧ははっとした自分の拳をみた。
副将は、どんなに親子のようだと言われても上官から信頼されていても、永遠に凌統は上官で、己はその下にいる部下という関係だということを知っていたのだ。即ち、何時までも対等な関係にはなれないということだ。
もし、凌統が耳を塞いでしまったら、それで崩れる脆く残酷な関係だと知っていたのだ。
対等な関係にはなれないから、凌統に正面からぶつかっていけるのは、俺しかいないと、そういうことなのか?

(でも、あいつ、ちゃんと自分で立ったじゃねえかよ・・・)

甘寧は最後に見た副将の笑顔を思い出して途方もない虚無に襲われたが、ぐっと堪えて、凌統に向かって手に持っていたものを放り投げる。
凌統は、甘寧が放り投げたものを慌てて胸のあたりで受け止め、覗きこむ。
杯だった。

「?、なんだよ?これ。」
「ここで一杯やろうぜ。」

凌統は、杯と甘寧の顔とを何度か見比べて、やがていつもの皮肉に満ち満ちた顔を浮かべた。

「・・・いいねえ。」

満足そうに甘寧は顎をあげると、墓の前に座った。
続いて凌統も。先ほどとは違って、背は丸くなっていない。
凌統の杯に酒を注いだ。


おい。
見てるか?
これは弔い酒なんかじゃあねえぞ。
お前とお前の上司と、それから俺と、3人で飲む酒だ。
俺が居ちゃ、悪いかよ。悪くねえよなあ?託された身にもなれってんだ。
あいつ、強ぇからよ。体張っていかなくちゃあ、こっちがやられちまう。
・・・安心しろ、今のところ、他に行くつもりはねえ。俺だって、あいつを気に入ってる。
勿論そっちに逝く気もねえからな。
ああ、それから。
おめぇの事だから、凌統を連れていく気はねえだろうが、もし少しでもそんな気見せたら、どんな手を使っても阻止するから覚悟しろよ。

凌統が、一気に酒を呷ったのが目の端に移って、心の中でよしと頷く。
甘寧も続いて、晴れ晴れとした空へ杯を掲げて、酒を呷った。







合唱曲の「河口」を聴きながら書きました。大好きなんです。河は歌うさよ〜なら〜って。
でもタイトルはフォスターっていうw