泡沫のあとに・3






凌統の町での人気は少し異常であった。
甘寧への同行に、凌統本人は承諾したはいいけれど、その周りが黙ってはいなかったのだ。
凌統が水賊になってしまうとか、いいや義勇軍になるんだとか路上でそんな風に民たちが囁き合っていたり、凌統を慕う若い女たちが、甘寧に向かって凌統を連れていくなと徒党を組んで迫ってきた程だ。
甘寧はまるで無視を決め込んでいたが、段々甘寧を追い出したいと思い始める者すら出てき始めたのだ。
だが、凌統がそれらを全て1人で片づけた。
酒屋には自分で頭を下げ、女たちにはただただ静かに話を聞いてやり、やはり少しだけ頭を下げて。
その姿はまるで遠征に出向く町の長である。
凌統もこの町に来てひと月しか経っておらず、聞けば特に何かをしたわけではないというから驚きだ。
だが、甘寧もそんな凌統を認めた一人なのである。

まだ陽の高い時間、甘寧は、長江沿いの江岸に覇海とともに寝転がっていた。
出立は3日後と決めた。まずは江を遡りつつ、力を増強させると同時に、敵の動向を探らねばならない。
元々拠点としていた南郡には、きっと敵が多く介入してきていることだろう。中央の軍隊がどこまで抵抗しているのか今のところ全く耳に入らないし、南郡に入る前に味方をつけなければ。
味方といっても、兵卒程度が集まっては統率しきれない。只の足手まといだ。一人ひとりが力を持つ精鋭が欲しい。
だから、甘寧はまずこの揚州から連れていく凌統の力を見ておきたかった。

(そろそろ来る頃かぁ?)

甘寧は数日前、凌統に得手である武器を一つ持ってここに来いと告げた。
凌統は特に何も言わずに小さく頷いて見せたが。
凌統と喧嘩をするつもりである。それはちょっと腕を試そうとかそんな柔なものではない。本気の命を張る勝負。そうでなければ面白くない。凌統はどんな獲物を持ってくるのか、どんな武を振るうのか。考えるとわくわくして、雲の切れ間の青空を眺めたが、やや後方から聞こえた声に甘寧はうんざりした。
どこから話が広まったのか、見物人が集まり始めたのだ。
しかも一人二人どころの騒ぎではない。町中の人間が集まってきたかと思う程に、大賑わいなのである。

(ったくよぉ・・・。人気者はどこまでもってな。)

その時、後ろのほうで歓声があがった。
少し首を上に向けてみれば、凌統がこちらに歩いて近づいてくるところであった。
しかしその格好だ。
酒場で働いている時は、簡素な衣であったというのに、鮮やかな赤の武闘着姿ではないか。
そして、肝心な獲物は右手に下がった両節棍。
甘寧は少し驚いて目を見開いた。
だが、すぐにその頬は笑みを描き、勢いよく飛び起きてみせる。

「よお。随分めかしこんだじゃねえか。」
「・・・。」
「しかも両節棍とはな。やっぱお前、腕に覚えがあったのかよ?」

凌統は首を横に降った。
そして、じっと甘寧を見つめる。やや眉間に皺を寄せた表情は迷いがあるように見えるが、二本の足はしっかりと大地を踏みしめている。逃げる気はなさそうだ。

「まあ、俺も御託を並べるのは好きじゃあ無ぇ、さっさとおっ始めるぜぇっ!」

甘寧が覇海の剣柄に足を掛けて上へ大きく弾き飛ばしたのと、凌統が構えたのは同時であった。
手加減など無用。甘寧は回転して落下してくる覇海の柄を器用に掴み、走り出してつま先に力を込めて思い切り跳んだ。
瞳孔が開き気味の瞳で凌統の姿を眼下に捉え、覇海に力を込めて振り下ろす。
凌統は重心を低くして節棍の鎖で覇海を受け止めた。
が、落下の速度に甘寧の力と体重の加わった刃は想像以上に重く、凌統の額を割らんばかりに迫る。
刃と鎖から細かい火花が飛び散り、凌統は歯を食いしばって押し返そうとし、喉の奥から呻きのような吐息の塊を漏らした時だった。

甘寧はふいに何かを思い出すような感覚に陥った。
それは一瞬。
水の中で空を仰いだ時のような、青白い光に覆われた世界。
全体がゆらゆらと揺らめく風景が、網膜の裏に映った。

だが、そんな風景はすぐに目の前の凌統に擦り替わり、甘寧は間合いを取るように後ろへ退いた。
今度は凌統が走り出していた。
やや手前で、凌統は両節棍の片方を握りしめ、大きく体を捻った。
節棍を持つ敵は滅多に相手にしない。扱う側も武器の軌道が読みづらく、よほど慣れていないと実戦に組み込むのが難しいからだ。
だが、凌統は両節棍を持ってきた。それは相当の腕を持っているということで、節棍の片方は見えるが、もう一本は凌統の背に隠れていて、どこから棍が繰り出されるかわからない。
凌統の腕の捻り加減から、一瞬で先を読み、甘寧は一撃目を何とか刀の腹で受けた。
棍を押し返そうと覇海を一振りしたところで、下方から素早い気配を感じて咄嗟に顎を上げた。

「・・・。」

甘寧の顎を狙った、凌統の右足であった。間髪入れずに体を捻った左足が横から飛んでくる。成程、体術もいけるくちらしい。甘寧はヒュウと口笛を吹いた。
凌統が不敵に笑い、緊迫した空気に息を詰めていた民たちが一斉に息を吐いたのが聞こえた。

「上等だぜ。だが・・・。」

甘寧は覇海を握り直し、深く息をついた。
鼻の奥に水の濡れた匂いが届いて、高ぶりとは違う心のざわつきを感じる。
けれど、刹那、甘寧は覇海を水平に持ち、凌統の腹めがけて体当たりをした。凌統は棍を構えて刃を直に受けることは免れたが、力に耐えきれず、とうとう後ろに倒れ、ぺたりと尻をついてしまった。
勝負あった。
瞬く間に歓声があがる。

「お前、気に入ったぜ!そんだけ腕が立つなら上々だ!」

甘寧は、満足して凌統に手を差し伸べたが、凌統はとても悔しそうにそっぽ向いてしまった。
その姿を見て、甘寧は心の中でよしと頷く。負けん気が強い。押し返す力があるということだ。

「おうおう、悔しかったら俺にまた喧嘩売ってこいよ。」

そう言って、無理矢理凌統の腕を掴むと、引っ張り上げて立たせた。

ああ、また。
ふわりと凌統の束髪が揺れて、刃を交えていた時に一瞬浮かんだ映像が再び頭の片隅を過る。
いつにも増して水の匂いが心地よく感じる。
きっと、久しぶりに喧嘩をしたのと、江がすぐそばにあるせいだ。




4へつづく。