泡沫のあとに・10







敵方が今まさに砦から他の砦に移動せんとする時が頃合いであった。
斥候の話によると、敵は他の砦へ移動するのに3つの軍にわけ、時間をずらして移動させるらしい。一度甘寧自身を負かしたあの頭のこと、きっと囮も逃げる術も用意しているに違いないし、こちらの動向も探っているだろう。だが、二度はないことを知らしめようと甘寧は満月の中不敵に笑った。

甘寧は己の眼で敵の頭の顔を見ていた。
船を溯上させる前にその特徴を細かに兵達に知らせてあるし、まず敵が分隊と本体に分かれようが、その前に砦もろとも攻撃してしまえばいいのだ。
敵も船で移動する。船には沢山の荷が積んであるし、兵達も行軍のために砦に集まっているのだ。そこに奇襲と火計の両方を畳みかけて、一気呵成に攻め立てれば、或いは・・・。

船に乗る全員、黙っていた。
櫓手は腕を動かし、見張りは櫓に昇って辺りを警戒して、各々がその役割を果たしながらすぐにやってくるであろう戦に口を閉ざしている。月夜に波の音が木霊しているのが大きく聞こえた。
甘寧も覇海を握りしめながら、前を見ていたのだが、ふと隣の凌統に視線をずらした。
傍にいる凌統もまた、右手に棍を握りしめてじっと前を見ている。
生きて帰るも帰らないも、刃を交えて終わらなければ分からない。
また会えればいい、それくらいの話なのだけれど。
甘寧は、己の頭から2枚のガチョウの羽のうち、1枚を凌統に横からさしだした。

「?」
「持っとけ。こういうの好きじゃあねぇけど、お守りみてぇなもんだ。」
「・・・。」
「しくじるなよ、凌統。」

我ながら、らしくない。
けれど、凌統は目元を綻ばせて笑うと、そっと羽を受け取って懐にしまいこんで、再び前を見た。





「おらぁ!野郎共!頭を探せ!!」

月に少し雲がかかった。
船は無事に奇襲に成功。ほぼ同時に陸から火矢が飛んで、あっという間に砦は炎の塊となった。それから船の別働隊も、敵の船団を水量の少ない支流に誘導し闘艦を足止め、こちらも鮮やかに火矢を射かけ、敵の戦力を大いに削ぐことに成功した。
今まさに行軍しようとしていた兵達が砦から蟻のように出てきたのを、次々と仕留めてゆく。
さあ、頭は一体どこにいる、この辺りは水も陸も包囲している。首を取るのは時間の問題だ。
甘寧は目の前に現れた敵を覇海で両断し、首をめぐらす。
電光石火、敵への攻撃はあっけなく終わるはずだった。

「兄貴、兄貴―!大変です!南郡の太守の軍が、敵の援軍に来ました!」
「ンだと!?」

つい舌打ちを漏らした。こちらの動向がある程度漏れていたことは分かっていたし、太守に援軍を要請しているのも予想していたが、それに太守が応えるとは。
伝令は、別働隊が太守の将が率いる騎馬隊にやられたと血を吐くように告げる。
甘寧は撤退を考えたが、すぐに脇にいた凌統が甘寧の前に出て、跳びかかってきた賊の脇腹に棍を打ち込み、束髪を揺らしながら甘寧を振り返った。
眉間に皺を寄せた眉の下の眼は、何をしていると強く語っている。

「・・・だよなぁ。奪われたモンは意地でも奪い返すぜ!凌統!覚悟しろよ!」
「・・・!」

凌統が頷き、甘寧は凌統に背中を任せて敵の砦に突進した。
ここで果てる覚悟はある。水の上で果てて江の底に骨を埋めるのも水賊ならば本望だ。
・・・凌統も、一緒だろうか。
それは少し悪いことに足を突っ込ませてしまったかと思うけれど、悪くないとも思った。
また伝令がやってきた。

「兄貴!え、援軍です!!」
「チィ、またかよ!」
「違います、俺等の、俺等のです!揚州の船が来てくれました!」

思わず後ろを振り向いた。
凌統も振り向いて驚いた顔をしていて、すぐに甘寧をみた。目があうと凌統は、俺は何もしていないという顔をしながら強く左右に頭を振る。
そして、凌統の向こうに見えた船団には、孫の文字が書いてある牙旗が掲げられていた。





揚州の船団は実に奇妙であった。乗っていたのは所謂民兵と軍と思しき見知らぬ者たちが入り混じっていて、船の大きさも種類もまちまちだった。しかし敵を圧倒するには十分で、その姿を見た南郡の軍隊は恐れを抱いたのか撤退してゆき、残った賊も火計によってごくわずかとなっていた。

賊の頭は、小舟で逃げていた所を凌統が発見した。
船団の合間を縫うように高速に走る後ろ姿を、凌統が指さしてすぐに甘寧が後を追う。
小舟に飛び移り、覇海を真横一文字に振ればあっけなく首が飛んだ。
こうして、戦は終わった。


船を少しだけ東へ下り、揚州の村まで辿りついたところで船の上で勝利の酒宴を開いた。

「またあんたらに会えるとか思ってなかったよ。」

と杯を傾けるのは、凌統の面倒を見ていた酒屋の店主である。

「そいつはこっちの台詞だろ。どうして来やがった。」
「おいおい、人聞きが悪いな。甘寧と凌統の話を町の長が揚州のお偉いさんに話したんだよ。」

曰く、揚州のお偉いさんとは、揚州の豪族である孫家であり、長の話を聞いた孫家の長・孫策が甘寧をいたく気に入って援軍を出すと言い始めて今に至る。
孫策自身は揚州を纏め上げるのに力を注いでいて、まずは軍を送り込んできたのだ。
甘寧は嬉しそうに目を細めて酒をすする。

「なあ、甘寧。あんたはどうするんだ。これから賊に戻ろうってか?孫策様がえらくお気に入りなんだ。揚州に来たら、武人になれるぞ。」
「・・・どうすっかな。」
「凌統はどうする?」
「・・・。」

凌統もまた主を見つめて微笑むだけで、首を縦にも横にも振ろうとしないので、主は小さく鼻から息をついて、酒を持って他の仲間のところへ行ってしまった。

「・・・。」
「・・・。」

甘寧は黙ったまま酒を啜っていた。
隣の凌統といえば、頬杖をついて、少し離れた場所で騒いでいる兵達の様子を見ながら微笑んでいる。
やはり夜となってもまだ熱い。
熱い熱い、夜。

「おい、凌統。」

そっと、甘寧は凌統の横顔に近づいて耳打ちをした。

“後で俺の部屋に来い。”

我ながら小狡いことをすると甘寧は思った。
今までの凌統の言動から、己の言葉に凌統は首を縦に振ると思ったから。
低い呟きの意味を瞬時に悟った凌統は、茶色がかった瞳を見開いて息を飲んだ。
しばらく迷ったように目を泳がせていたが、傍の船の縁の向こうで波がちゃぷりと音と立てた時、甘寧の予測通りに凌統は小さく頷いたのである。






11へつづく。