今にも落ちてきそうな空の下で






別に、戦での幕舎は将軍一人に対して一つといった決まりは無い。
周瑜など都督をはじめとする上官は、一つの幕舎を宛がわれている時もあるが、現に甘寧は今までも、呂蒙や周泰と幕舎を共にした事がある。また、副将と幕舎が同じということは結構な頻度であった。

南蛮への侵攻戦のためのこの幕舎でも、誰かと一緒になるようだ。甘寧は、宛がわれた幕舎の入口の布をめくり、寝台の数を見て相手は誰だと少しだけ考えたが然程気にも留めずに奥へ歩みを進め、鈴の音を景気よく鳴らしながら奥の寝台へ遠慮なしに寝転がった。
確か、後続の軍が陣営に入ってから出陣すると聞いた。
後続はまだ着いてはいないし、荷駄の配置は副将に任せてあるし、出陣まで少し仮眠を取ろうと瞼を閉じる。
その時、しゅ、と、入口の幕がめくれた音がした。甘寧はそこまでは目を閉じたままであったが、次に聞こえた息を飲む音に薄く瞼を開いてみる。

「・・・。」

そこには、体一人分くらい入口の布をめくったまま、凌統が目を見開き突っ立っていた。目があうと、“何だてめぇ”と言う暇なく、凌統はあからさまに顔をしかめてふいとどこかへ行ってしまう。

「チッ、何だあの野郎。」

この南蛮の地でも凌統はいつもの武闘着を着込んでいるし、態度もいつも通りだし、またそれに慣れてしまった己に釈然としないまま、甘寧も、凌統のしかめっ面が伝染ったように眉間に皺を寄せ、寝返りを打って入口に背を向けていよいよ本格的に眠りについた。





副将から出陣の知らせが入り仮眠から目を覚ますと、幕舎内のもう一つの寝台には凌統の赤い武闘着がきちんと折りたたんであって、そこでやっと甘寧はこの幕舎を共にするのは凌統なのだと分かった。
覇江片手に出陣してみれば、凌統は赤い武闘着から白いものへと着替えていて、どこかこの南蛮独特の蒼空にあっているような気もしなくはないと思う。

副将から聞いた話だと、凌統はすぐに幕舎に入ることなく、他に空いている幕舎はないのかと副将に一度尋ねたらしい。甘寧と凌統のやり取りをある程度知っている副将は、少しばかり考えて、空いている所はないと言ったら、仕方なく素直に幕舎に入っていったという。
凌統と幕舎を共にするのは初めてだが、甘寧は以前のように首を狙われることはないだろうと思った。また、周りもそのように見て今回の配置にしたのだろう。
今までの関係を考えれば随分と進歩というか、距離が近づいたと思う。合肥や濡須口の戦を経て、背中を預けられるまでになったのだ。
それどころか、肌まで重ねているではないか。幕舎が一緒になって今更怒ることでもないだろうに。
だが、多分凌統のことだ。そんな事実が誰かに知られることを恐れているのかもしれない。世間の目を考えて、いっそ別になったほうが・・・といったところか。

「面倒くせえ野郎だ。」

後頭部を一掻き、甘寧は先を走る凌統の後を追うように、鈴を鳴らしながら駆けて行った。





戦が終わり、南蛮の軍勢は会稽の奥まで後退していった。だが、きっとすぐにでも再び土地を取り戻そうと攻めてくるであろう。しかしまずは戦勝の酒をと、その日の夜は、中央の幕舎で将軍から兵卒まで一同が介して杯を酌み交わした。
だが、その中に凌統がいないことに気が付いた。甘寧は酔っぱらいがごった返す幕舎の中に、目の冴えるような白い胴衣を見つけようとするが、やはり居ない。確か、最初の乾杯の頃は居たはずなのに。だが、凌統は時々宴を器用に抜け出す(孫権がいる場合は逃げ出す、のほうが正しいかもしれない)時があるので、きっと今回もそうだろうと甘寧はあまり気に留めないで、そのまま己の兵たちと酒に肴にと手を出して盛り上がった。

宴の幕舎を出ると、南蛮の温かい夜風すらも涼しく思えて目を細めた。
なんと静かなことか。あのどんちゃん騒ぎが嘘のようだ。天頂よりやや西に傾いた月は、満月よりやや欠けてはいるがそこにある。そして、雲一つないとても晴れた夜空だ。星も人の数程・・・それ以上にあるだろうか。
遠くでは聞いた事のない動物の声。
鵺か。それならば、今日死んだ敵味方の鎮魂の声だといい。
そんなことを考えながら、甘寧は己の幕舎に戻った。
既に凌統は先にいる物と思っていたのに、幕舎の中のどこにも凌統はおらず、ついつい甘寧は眉を顰める。自分が仮眠を取っていた寝台も、その手前の寝台も。中央の卓と椅子も。甘寧が出て行った時のままだ。けれど唯一、入口脇の荷駄の箱の上に、凌統の得物である両節棍がそっと置いてあるのが、彼が一度ここに来た証拠。
すこし凌統と話をしたかったと思ったのだが仕方がない。もう奥の寝台に行き、盛大に寝ころんでそのまま眠ってしまおうと思った。

(凌統と、話・・・なぁ。)
(つってもあいつと何話すってんだ。まずあの野郎に聞く耳があるか。)
(だったらヤっちまったほうが早ぇ気がする。)
(くそ、面倒くせえ。)

そこに、また入口の幕が捲れる音がして甘寧は既視感を覚えてそちらを見た。
暗い幕舎の中を、明るい夜空の明かりが僅かに照らす。浮かび上がった影は確かに凌統のそれであったのだが、足取りがどこか覚束ない。それは、酒に悪酔いしたような風ではなく、何か違和感があった。
そしてとうとう凌統は、手前の寝台にどうと倒れ込んでしまった。

「寝る。」

何も言っていないのに、凌統の声で確かにそう聞こえた。

「ンだよ。てめぇ。どうした。」
「・・・あんたには関係ない。」
「へっ、飲み過ぎかよ。ザマねえぜ。」
「違う。」

凌統の声は静かで、真剣だ。
だから、本当に飲み過ぎではない。ならば、身体の具合が悪いのだろうか。戦ではいつも通り、先陣切って戦っていたのに?・・・そういえば、ふいに前線から姿が消していた気がする・・・。
そう考えた途端、甘寧は寝台から跳ね起きていた。

「!何すんだ・・・!」

直ぐに丸くなって眠りにつこうとしていた(ような)凌統に馬乗りになって、毛布を剥ぎ取り、いつも襲うように白い武闘着の合わせに手をかけて思い切り開いた。
手を払いのけようとするなど凌統の抵抗はあったけれど、いつもの苛烈な蹴りや拳などに比べれば微弱である。
入口の布から僅かに漏れる明かりが、それを照らしていた。
白い右腕の辺りに、一筋の傷があった。決して深くはない傷だが。甘寧の怒りを含んだ呟きが地を這う。

「毒か・・・!」

すると、凌統は額に手をやり、諦めに似た吐息を吐いた。

「あ〜あ・・・。そうだよ。敵さんの毒矢が掠っちまった。くそっ、あんたにだけは絶対見つからねぇようにしようと思ったのに・・・。」
「・・・。」
「すぐに毒を吸い出して、回らないようにしたけど、やっぱちょっとな、っあ・・・」

凌統の話は、甘寧は耳に入っていなかった。顔を埋めるように、赤線に唇を寄せて、未だ凌統の体内で暴れている毒を引きずりだしてやろうときつく吸い上げた。
何度も何度も。
口の中に鉄の味が広がる度に、それを飲み込みたいと思ったけれど。そうすることで、己にも凌統と同じ毒が回ってもいいとか、こいつをこんな風にするのは俺ぐらいでいいとか、そんな馬鹿みたいな考えすら浮かんだけれど。
幕舎の床にそれを吐きだしては再び吸い上げ、吐き出す。

「っちょ・・・あんた、もうそれ以上はいいって・・・!」

唇を離すと、この時を待っていたと言わんばかりに強く凌統の体を抱きしめて、無理矢理凌統の唇を貪った。
拒否の声は聞こえない。むしろ声も吐息も捕らえるように舌を絡めてゆく。
毒にやられても意地を張るんじゃねぇとか、どうして素直に空間を共にしねぇとか、性欲とともにその身体にぶちまけたい不満は五万とあるが、それより勝るのは、鈴の甘寧様が口にするには毒のように甘い甘い、くだらない感情だ。

「・・・。」

甘寧は唇を離して、もう一度きつく凌統を抱きしめ直す。
凌統の体温はいつもより高いような気がした。

「痛いよあんた。」
「今日ぐらいこのままでいいだろ。一応病人のてめぇに遠慮してんだ。」
「何をだよ。」
「これ以上手出すのをだ。建業に帰ったら覚悟しとけよ。腰が立たなくなるまでヤってやる。」
「は、そうかい・・・。」

意識を失いかけていたのか、いつものような皮肉を言うことなく、凌統は眠ってしまった。
暗闇の中で寝息を立て始めた影を、甘寧はもう一度抱きしめて、露わになったままの首筋に唇を落として、凌統を抱えたまま毛布を被り、自らも瞼を閉じた。










タイトルはジョジョ5部の余りにも有名なあれから頂きました。
だって何も思いつかなかった・・・。
凌統に執着してる甘寧っていうか、そんなのを書きたかったのです・・・。