赤線


「おい甘寧!あんた、あれは一体どういうことだ?」

戦が終わり、陣営の撤退を指揮していた甘寧は、後ろから声を掛けられ振り向いた。
見れば、凌統がいつものように不機嫌な様子で腕組みして立っている。

最近気づいたことだが、凌統が声を掛けてくる時は決まって己の行いを咎める時だ。小さいことに対してやけにムキになってくってかかってくる時もあれば、こちらの粗相をこれみよがしに指摘してきたり。
だから、甘寧はここ最近のことをぼんやりと思い返してみたのだが。
しかしどうだろう。差し当たって思いつかないのだ。
つい先日終わった戦では、凌統は一番遠く離れた場所に布陣陣していて、凌統に直接何か迷惑がかかったわけではない。その代わり、呂蒙が己の後方を守っていてくれた。
というか、こうして凌統と顔を合わせるのは久し振り。可愛い言葉の一つでも吐いてもいいのに。

「あぁん?なんだってんだ凌統。」
「馬鹿だねぇアンタ。呂蒙殿に何させてんだよ!」
「ああ?」
「なんで呂蒙殿にアンタの尻拭いさせてんのかって聞いてんだ。全軍を指揮する呂蒙殿に何かあったらどうすんだい?」
「おいおい、今回はおっさんに言われるならともかく、お前に言われる筋合いはねえぜ。」

というと凌統は、いよいよ苛立ちを抑えられなくなったようで、顔をしかめて舌打ちをした。

「これだからアンタは・・・。アンタが突っ込むのを自重すれば済むことなんだっつの。」
「俺は別に、誰にも尻拭いしてくれなんて頼んじゃいねぇぜ?」
「だからそれを自覚しろっての!味方と足並み揃えるってこと、そろそろ知ってもらわないとな。これ以上誰かに迷惑かける前にね。」

甘寧はぱちくりと数回瞬きをした。
ということはだ。つまり・・・

「俺の尻拭いはおめぇの特権って、言いたいわけか?」
「はぁっ!?」
「へへ〜ん。そうかそうか。」
「ち、違う!そうじゃねえよっ、つか何納得してんだって、馬鹿!あんたどこまで馬鹿なんだよ!そうじゃない!笑ってんじゃねぇ!」

甘寧がカラカラと笑った拍子に、腰の鈴もチリチリと鳴る。
顔を真っ赤にしてそっぽ向いた凌統は、その鈴を今すぐ全部潰してやろうかと思いながら、棍を握り締めてじっと甘寧の腰のあたりを睨んだ。

すると突然頬を両の掌で挟まれた。
目の前に甘寧の少し金がかった瞳があって、凌統はなぜか慌てて身を捻った。

゛離せ゛と唇の裏まで出掛けた言葉は。
そのまま甘寧の唇に塞がれて行き場をなくしてしまった。
ずるいとも言いたかったが、それもまた音になることはなかった。
浅くも深くもない口付けだったが、時間だけが長かったように思う。
甘寧の顔をそっと盗み見ると、閉じた瞼の淵にある薄い色の睫毛が小さく震えていて、凌統はさらに顔を赤らめた。
甘寧はといえば、そのまま凌統の頭を肩に抱きながら、口を開いた。

「お前、戦場でも俺の傍まで来いや。」
「・・・。」
「そうすりゃあ、お前も何も気にしなくて済むだろうが。」
「・・・。」
「後で口挟むくらいなら、隣で暴れてろ。」
「・・・。」

甘寧はぼんやりと遠くを眺めた。
凌統は黙っている。表情は見えない。
肩を抱く腕に凌統の茶色い髪が当たる。風になびいては、さらさらと。

(・・・ったく、手間のかかる野郎だ。)
「ってぇ!?」

ぼすりという低音が腹から聞こえたと思えば、じわじわと鈍痛が身体中に広がって、甘寧は腹を抱えてその場に座りこんだ。
隣の凌統を見上げれば、勝ち誇ったかのように仁王立ちして、口の端を釣り上げていた。憎らしいったらありゃしない。

「まだ陽が高いってのに何しやがる。」
「クソっ…テメェこそ何しやがる!」
「あんたの隣に行くだって?冗談じゃねえっつの。そうしたらあんたの後ろであんたの尻拭いするのは誰だい?他の誰かにやらせるなら、俺がやるってね。」
「野郎・・・可愛くねえ奴だな!」
「可愛くなくて結構だね。じゃ、俺は自分の陣営に戻るよ。今晩中には建業に戻るらしいからな。あんたも早く準備しろよ。」

と、踵を返した瞬間の凌統の笑顔はとびっきりのもので。
ひらひらと手を降る凌統の足取りは軽やかだ。
その様子は、鼻歌さえ聞こえてきそうなほど。

(手間はかかるが・・・わかりやすい奴だ。)

甘寧は、建業に帰ったらあの野郎をどのようにして鳴かせてやるか、あの手この手を考えながら、まだ痛む腹をさすって立ち上がった。







友人と、”誰かに役目を取られて無意識に嫉妬してる凌統って可愛いね!”って話ていた所から生まれました。