烈士と烈風と

※和解後の話です。

合肥からやや北上した魏の傘下にある小城への侵攻戦に、甘寧と凌統の2人も参戦していた。
戦況は上々、魏軍が撤退し孫呉の勝利に終わった。事後処理のために陣営に残っていた甘寧は、医務に当てていた幕舎の前を通りかかったときに見知った声を聞いた。

「出来るだけのことは致しましたが、あくまでも応急の処置にございます。すぐにでも建業に戻り、然るべき治療をされたほうが賢明かと。・・・しかし驚きましたな。普通ならば立てない程の重傷だというのに、流石凌将軍です。」
「・・・ありがとさん。」
「凌統殿・・・申し訳ありませんでした。周辺状況を把握できていなかった私の責任です。」
「俺は大丈夫ですって軍師殿、それにこれは軍師殿の責任じゃないと思いますがねえ。」

なんとなく幕舎の入口の布を捲ってみると、そこには医師と陸遜と凌統の副官が、うつ伏せに横たわった凌統を囲むように立っていた。
こちらに足を向けていた凌統以外の視線が一斉に集まったと同時に、何故か気まずい空気が辺りに流れる。よぅと小さく手を上げた甘寧は、凌統の背中を見て目を細めた。
孫呉という国は戦術の多くに火を用いるため、多少の火傷は日常茶飯事だ。だがしかし、目の前の凌統の背中の火傷は決してそうとはいえなかった。
肩周辺から腰付近まで広範囲に渡って痛々しく赤く腫れ上がり、肩甲骨の辺りなどは一番酷く水疱がべったりと張り付いている。また、左肩に受けた矢傷らしい裂傷も酷い。
陸遜が一歩近づいて、甘寧に当たり障りのない言葉で話しかける。

「甘寧殿、首尾のほうはどうですか?」
「おう、上々だ。」

陸遜は凌統に悟られないようそっと甘寧へ近づき、耳打ちをする。

(ご覧の通りです。凌統殿の気を荒げたら体に障ります。席を外してくださいませんか?)

だが、甘寧は陸遜の言葉に耳を傾けることなく、凌統の背中をじっと見ていた。
凌統はといえば少しも甘寧のほうを振り返らず(いつものように甘寧に応じる時特有の不機嫌そうな気配そのままに)じっとしていて、甘寧もまた不機嫌そうに凌統の背中へ語りかけた。

「凌統、お前ェ、怪我したのかよ。」
「見れば分かるでしょうよ。あんたには関係ない。」
「おうおう、口だけは元気じゃねえか。」
「っンだと!」
「凌統殿!動かないでください!」
「甘将軍・・・凌将軍は、民を助けたのです。」

凌統の副官が場を制するように俯いて言葉を発する。
凌統はそれを止めなかったから、副官は話を続けた。


最近の戦での二人は、甘寧が切り込んで戦線を押し上げ、その後ろで凌統が本陣近辺を守りつつ甘寧が開いた路を確固たるものにしていくという役目が専らであり、(最初は嫌々命令に従っていた凌統も、濡須口での一戦以来口を尖らせながら自ずと甘寧の後ろに回り己の役目を努めるようになった。)
この戦でも、例に漏れず凌統は甘寧軍と本陣の間を守る中衛を担っていた。

魏軍を撤退に追いやった決定打となったのは、陸遜の火計だ。
甘寧や凌統が着陣する前に先発として先に陣を敷いていた陸遜が、火計で敵陣を焼き払ったのである。
その後甘寧・凌統軍が敵軍に奇襲、追撃を行なったのだが、そこで凌統は戦場に紛れ込んでしまった民たちを発見してしまった。
未だ鎮火していない櫓の影で震えていたのは女子どもたちで、咄嗟に助けようと跳んだはいいが焼落する櫓から彼等を連れて逃げるには時間が少な過ぎた。
また、凌統の動きを狙った魏軍の石矢が凌統の肩の防具を貫いて肉を裂き、顔が歪むが櫓はいよいよ大きく揺れ、大量の火の粉が降り掛かり、鈍い音を立てて櫓が・・・。
「ですから、私にも責があるのです。火計を行う前に民を完全に逃すことが出来なかった・・・凌統殿には無駄な怪我を負わせてしまったのですから。」
「そいつら、どうして居やがったんだ?あのあたりの村の人間は逃がしたはずだろ?」
「それが、あの一帯は遊牧民が暮らす場所でもあったのです、その内の人間でした。群れから逃げた牛を追って、戦場に紛れ込んでしまったようなのです。」
「牛は見つかったのか?」
「見ていません。が、凌将軍を救出した直後に遊牧の仲間を見つけさせ送り届け、新しい牛を与えました。」

副官が民の処置を報告したところで、凌統がのろのろと体を起こした。
慌てて陸遜と副官が傍によるが、凌統は無言のまま片手を上げて大丈夫だと応え、そのままその場へ胡座をかいて小さく溜息を吐いた。
甘寧からは背中しか見えないがどこか不機嫌そうだ。

(まぁた一人で何か考えてやがるな・・・)

甘寧は数度、後頭部を掻きながら凌統の近くへ歩みより、凌統の束髪あたりを指さして陸遜に尋ねる。

「おい陸遜。コイツ、どうするつもりだ?」
「凌統殿はすぐにでも建業に戻って頂きます。一刻も早く治療を受けてください。」
「・・・じゃあお言葉に甘えるとしますかねえ。後は頼んだよ。」
「はっ。」

と、甘寧はおもむろに凌統の傍らに立ち。
凌統に背を向け腰をかがめた。
その両腕は凌統に向かって伸びている。
凌統はそれを見て、甘寧は何がしたいのか瞬時に理解して呆れた溜息をついた。

「・・・甘寧さんよ。あんた何してんだ?」
「鈴の甘寧様がお前ぇをおぶってやるってんだ。」
「どけよ。あんたの助けなんかいらないっつの!」
「陸遜。俺もこいつと一緒に帰ってもいいか?」
「えっ、ええ。」
「よし。そんならさっさと行くぞ。」
「ちょっとっ!てめぇ何しやがる!俺は一人で歩けるっつの!」
「おーおー、威勢のいいこって。とりあえず行くぜ。じゃーな、陸遜。先行ってんぜ。」
「甘寧殿!凌統殿は怪我人ですからね、くれぐれも無理をさせないよう気を付けてください!」

甘寧は暴れる凌統を強引に背負い、どこか不安げな陸遜と副官を尻目に幕舎を後にした。
どんなに凌統が暴れても罵声を浴びせても、甘寧の足は止まることなく厩へと進む。

「陸遜の奴、俺をなんだと思ってやがんだ・・・。」
「あんたがこういうことするからでしょうか!!」
「っるせえなあ。怪我人の扱いぐらいなんてことねえのによ。」
「いいから!離せっつってんだろうが!!」

甘寧の耳に向かって叫ぶと同時に、凌統は突然ふっと意識が遠のいて目の前が真っ白になった。
なんとか頭を振ってやりすごすと、こちらを振り向いている甘寧の鋭い目とかち合う。

「おら見ろ。そうやって暴れると今度は完全にぶっ倒れんぞ。」
「う、煩い!」
「少しはじっとしてろや。お前の怪我見て、誰もこの状況をおかしいとは思わねえからよ。」

それを聞いて凌統は何か言いたげに口元を引きつらせたが、観念したのか黙ってそっぽむく。
確かにすれ違う兵達は少々目を丸くするが、いつものように二人に道を開けて拱手をして頭を垂れる。
凌統は甘寧に喰ってかかったものの、甘寧の言葉は実に本当のことで、少し気を緩めると気絶してしまうほどの痛みに襲われていた。
燃えた櫓の下敷きになった直後、気付いた副官達が救出してくれた。民たちは無傷のままで安心したが、己を見たときの副官の引き攣った表情で凌統は自分の傷の具合を悟った。
火傷で背中が引き攣り左肩に受けた矢傷も熱を持っているのに、どこか寒気がして冷や汗が流れる。
1人で歩けるとは言ったが、実際そうしたならば今頃陣営のどこかで倒れていたかもしれない。
こうして運ばれて大分楽なのは事実、凌統は仕方なく甘寧の肩をそっと掴み、不本意ながら安堵のため息を漏らした。
朦朧とした意識のまま、凌統は甘寧が兵の一人に何か言っているのを俯いて聞いていた。
ぐったりとしている凌統を背中越しに感じた甘寧は、兵が引いてきた馬になるべく凌統に負担が掛からないようそっと乗せると、己も凌統の前に乗って前を見る。

「行くぜ、ちゃんと掴まってろ。」

甘寧は馬の腹を蹴ると同時に後ろに手を伸ばし、手探りで凌統の片方の手を握った。握った瞬間に手を払われそうになったが強引にそれを自分の腰へと巻きつけると、やがて残っていた腕もそろそろと甘寧の腰へ添えられたものだから、よしよしと心の中で頷く。

「おい。」
「・・・。」
「おい。」
「・・・。」
「おい、凌統。」
「うるっさいねえ、何だよ。」
「寒くねえか?」
「・・・寒くねえよ・・・」
「くしゃみしてるし。」
「あ、あんたの背中の羽根がくすぐったいんだよ。」

(意地張るとこじゃねえのによ・・・。)

腰にある凌統の腕は氷のように冷たい。また、幕舎に運ばれたときの手当で水を被ったのだろう、時折首筋に当たる前髪が濡れている。さらに、防具やら上着は火傷を負った時になくなってしまったようで、水庖を潰さないために背中は外気に晒されたまま、左肩の裂傷の保護包帯だけが上半身にある唯一の布だった。
季節柄風も冷たい。馬で駆けているから尚更それを感じずにはいられない。
甘寧は馬の速度を弱め、鞍に引っかけてあった毛布を取り出し、自分と凌統の首へと巻き付けた。

「今はこれで我慢しろや。」
「・・・寒くねえって・・・。あんたに気を使われるなんてな・・・畜生、俺も焼きが回ったもんだぜ。」

凌統の声に覇気がない。
酷い傷を負っているのにあれだけ陣営で暴れるからだと鼻で小さく息をつくと、遠く前を向いた。
この道を真っ直ぐ南下すれば、何事もなければ今日中には建業に辿り着く。日が落ちる前に着きたいものだ。
・・・に、してもだ。

「おいお前、何で機嫌悪いんだ?」
「俺が機嫌悪いってかい?ははっ、そりゃああんたに無理矢理馬に乗せられたからねえ。」
「そうじゃねえだろ。幕舎に居た時から・・・いや、それ以前からか?」
「ホント、あんたには関係ないよ・・・。小さくてくだらないことだ。言うことじゃない。」
「だったら尚更言ってもいいことだろ。おら、言ってみろって。」

風が冷たい。
道沿いの草木は枯れて、無骨で赤茶けた大地はどこか淋しい。
遠く遠く、地平線に沿って流れる江が生糸のような様をぼんやりと見つめ、乾燥している砂混じりの風に少し咳込んだ後、凌統は口を割った。

「・・・俺は、さ。当たり前のことをしただけだ。」
「ああん?」
「民を助けたことさ。戦場に民を入れてしまったのは国の責任だろうけどさ。でも、それは誰のせいでもない。」
「・・・。」
「だから・・・・・・それで陸遜や俺の副官が自分の責任のように言ってるけれど、だったら俺にだって責任はある。それにこの傷だって・・・武人は、いつ戦場で果ててもおかしくないでしょうが・・・。」

甘寧は厳しい顔で手綱を強く握り直した。
腰の凌統の腕はいつの間にかしっかりと自分の腰を掴んでいて、背中に凭れている。

「・・・何がいいてぇんだよ。」
「あ〜、もう、・・・自分でもよくわからないんだよ。ほっといてくれないかい?・・・」
「お前ってよ、結構命知らずな所あるよな。」
「てめぇにだけは言われたくねえっつの。」
「今回といい合肥といい。」
「・・・。」
「けど、戦場で民を助けて怪我をしたけどお前も無事、きっと殿が聞いたら喜ぶぜ。それでいいじゃねえか。」
「・・・単純に考えられる奴が羨ましいよ・・・。」
「作らなくてもいい傷をお前が負っちまったんだ。俺だって心配してるんだぜ。俺の後ろで傷作ったんだろうが。」
「・・・そうだけど・・・。」
「でも俺は謝らねえぜ。」
「なんだと?」
「俺もお前と同じ考えだからだ。」
「はは、そうかい・・・。」

小さくため息をついた、雰囲気。

「なあ、甘寧・・・。」
「あ?」
「あんたの鈴って・・・澄んだ音してんのな。・・・案外嫌いじゃない。」
「!」

そう言ったきり、凌統は黙ってしまった。
首を後ろに向けると己の背中にもたれている静かな寝顔が見えた。が、腰に絡みつく腕や背中越しの体温が先ほどと比べて大分熱くなっている。傷のせいで発熱してしまったようだ。

(“武人はいつ戦場で果ててもおかしくない”か。)
(こいつの口から聞けたのは大きな進歩といえるな・・・)
(それにしても、殺し文句を言って寝るんじゃねえ。傷が癒えたら覚悟しやがれ。)

もうすぐ日が落ちる。これ以上冷えた空気を浴びると凌統の体に触るだろう。一刻も早く建業へ着かねば。喧嘩相手兼恋人の腕を親指でなぞり、甘寧は馬足を速めた。







怪我してる凌統が書きたかっただけなのですが、なんか撃沈orz