a breath of truth

※現パロです。




「あ。」

リビングで週刊漫画雑誌を読んでいた凌統は、ベランダのほうからパリンと乾いた音がしたのでそちらのほうを見た。
べランダには煙草を吸っている甘寧がいて、奴はサンダル履きの自分の足元を見てじっと固まっている。
凌統は甘寧の視線を下へ辿っていく。
甘寧の足元には、小さい鉢植えが二つに割れたのと、小さな蕾を持った花の茎が、黒っぽい土とともにそこに横たわっていた。
土は結構な量がこぼれていて、甘寧の足首のあたりを汚している。
あの鉢植えは、エアコンの外付けのファンの上に置いてあったから、何かの拍子に甘寧が誤って落としてしまったのだろう。

花は凌統が育てていた。
花を育てていた理由は特にない。
たまたま街で貰った花の種をそのまま捨てようとした所、ずっとベランダに放置しっぱなしにして腐らせてしまった何かの鉢植えがあったことを思い出し、土ごと入れ替えて種を撒いてみたら芽を出して、水をやっていたらすくすく育ち、蕾を蓄えただけだった。
途中で枯れても仕方がないと思いながら、適当に育てていた代物だったから、自分が育てている花の名前すら知らなかった。
だから、花の末路を目の当たりにしても然程悲しくはなかった。
・・・ちょっと花が咲く所は見たかった気もするけれど。

しかし、そんなことを知らない甘寧はまずいという表情をしていて、僅かに瞳だけをこちらに流して様子を窺っている。
そんな甘寧を見て、凌統は少し悪戯をしたくなり、少し寂しい顔を作って、ふう、とため息。

「あ〜あ。その花・・・やっと花が見れると思ったんだけどな。」

すると、甘寧は目を見開いて次の瞬間には眉間に皺を寄せて、真剣な顔をした。
そしてものすごい勢いでベランダから飛び出し、そのままリビングを横切り、大きな足音を立てながら玄関に直行、外へ飛び出していった。

「・・・おいおい。」

まさか、な。
今度は凌統がまずいと思う番である。
甘寧のこの行動からして、今後待っている展開を想像すると嫌な予感しかしない。けれど時すでに遅し。
咥え煙草のまま出て行った甘寧が落していった煙草の灰が、玄関までぽつぽつと続いているのが、やけに凌統の焦燥感を煽った。





時計は既に夜遅い時間だ。
とっくに時計は0時を過ぎているが、甘寧はまだ帰ってこない。
凌統は夕飯も食べずに甘寧を待っている。
自分の発言に、こんなにも後悔するのはほぼ初めてといって等しい。
甘寧が出て行った直後、ベランダに行って、割れた鉢を処分して、横たわったままの花をそっと手にしてみた。
花は、少しくったりとしてしまったものの、蕾も茎も葉も根も全て無事で、水を入れたコップに突っ込んだらしっかりと水を吸い上げ、すぐに元気になったのだ。
それどころか、朝から比べて少しだけ蕾が膨らんだようにも見える。
はやくこの姿を甘寧に見せたいのに。

(ああ、もう!早く帰ってこいっての!)

自分の冗談が、嘘になる前に。
リビングのテーブルの上に、元気になった花を置いてそわそわと眺めていると、玄関の鍵が外側から開ける音がしたので、凌統は咄嗟に玄関に飛んでいった。

「遅いよ!どこで何してたんだっての!」

違う、最初に言いたいのはそんな言葉じゃない。
でも、甘寧は自分の発言で外に行ったのではないのかもしれないのだ、確認しないまま、甘寧に飛びつくことはできなかった。
玄関ドアを完全に開くことなく、ドアの隙間からのそりと体を滑りこませるようにして部屋に入ってきた甘寧は、明らかに気分が沈んでいた。
その小脇に、白い鉢植えをしっかりと抱えながら。
凌統は、心の中で ああ、と呟いた。
甘寧は、白い鉢植えをそっと凌統に差し出した。

「お前の・・・大事なもん、壊しちまった。同じような蕾の鉢、見つけたんだけど、なくてよ。これで勘弁してくれ。」

甘寧の静かな囁きのような言葉は、まるで棘のようだ。
凌統の心をチクチクと攻め立てる。

(違う、違うんだ、あんたは何も壊してない。)
(俺のものなんて、何も壊してないんだ。)
(どうしてあんたはこんなに・・・)
(ああ、もう・・・!)

凌統は堪らず、甘寧の頭を抱きかかえるようにして抱きしめた。
お、と甘寧が差し出した鉢植えを落としそうになったのを抱き留める。

「ごめん。」
「どうしてお前が謝るんだ。謝るのは俺のほうだろうが。」
「甘寧、俺の話を聞いてくれ。実は・・・本当は、あの鉢植え・・・大事にしてなかったんだ。俺、あんたに嘘ついた。」
「・・・。」
「だからあんたは、こんなことしなくてよかったんだ。あんた・・・本当に馬鹿だ・・・。本当に・・・いや、違う、ごめん。」
「・・・おう。」

自分の声がかすれている。目のあたりは熱いが、涙は流れてはいない。
甘寧の片手が、やけにやさしく背中をぽんと小さく叩くものだから、凌統は甘寧を抱きしめ直して、耳のあたりに鼻をうずめた。

甘寧は一体どうしたのかよくわからなかったが、凌統の肩越しに、朝に割ってしまった鉢植えの花が、元気な姿でリビングのテーブルの上にあるのが見えたので、何となく凌統が言わんとしていることが分かり、ほっと胸を撫で下ろした。
・・・本当にほっとした。
そして、口を開く。

「俺よ、お前があの鉢植えに水やってるところを見るのが好きなんだ。」

時々、ベランダで見る風景だった。
休みの日に、歯磨きをしながら凌統がベランダに出て、片手に持ったコップの水を花に呉れてやる時。
ふとした時にベランダの窓を開け、花の存在に気がついて、そっと親指の腹で葉っぱを撫でた瞬間。
大事にしていないと凌統は言ったが、甘寧はそうとは思えなかった。
凌統が生物を“育てている”。それは事実であり、凌統が無自覚でも、少しでも愛を注いでいる証拠だ。
この空間にあるもの全て、愛着という名の凌統の思念のようなものが宿っているように思う。植物である花はその最たるもので、それを壊したということは、凌統の何かを壊したようで仕方がなかったのだ。
ましてや、相手は生きている。もうすぐ凌統がその植物にかけた時間が、花弁となって開く寸前だったのに。
何かを育てた記憶のない甘寧にとっては、それだけでも十分行動するに等しかった。
でも、無事ならばよかった。

それに・・・
凌統の愛着が自分にも注がれているのかとか、そんな馬鹿らしいことを考えたことは殆どないが、こうして珍しく素直に謝ってくることを考えると・・・。
甘寧は小さく笑って、未だ自分の肩に顔をうずめている凌統の後頭部を優しく撫でた。

「そっか。・・・無事だったんならいいや。おい、折角だしよ、これも育ててくれや。」

まだ、凌統の息がかかっていないその花は、花屋で見つけたものだった。
緑色の大きな葉っぱが生い茂るだけで、未だ蕾の一つもないけれど、きっとこいつなら大輪の花を咲かせることができるだろう。
しかし、凌統は拗ねた子どものように、黙ったまま動かない。

「折角買ってきたんだ。頼む。」

そこで凌統はやっと小さく頷いて、甘寧は凌統から体を離すと、家の奥へと入っていった。





次の日から、ベランダのエアコンの外付けのファンの上には、鉢の代わりにコップに植えられた花と、真新しい白い鉢植えがちょこんと並んで立つようになった。
凌統は時々、なんとなくコップで水を呉れている。
コップの花は可愛らしいピンクの花を咲かせているけれど、やはり花の名前は分からない。
その横で、甘寧は煙草を吸いながら、白い鉢植えの葉っぱを撫でて目を細めた。








・・・すごく甘いですね。
花を愛でる凌統と、花を愛でる凌統を愛でる甘寧。
のんびりと時が過ぎてゆくのがいいなあ。