その初恋、あるいは癇癪(甘凌←陸)












※R−18は性的意味ではありません。
※甘寧は出てきません。
※最後は皆居なくなります。
※救いがありません。












大好きなんですから、しょうがないじゃないですか。






陸遜が指揮を執った夷陵の戦から孫呉は連戦連勝、国力を強めていった。
これから蜀の国は斜陽を辿るであろう。そちらも警戒しつつ、次は対魏の防備に全力を注がなくてはいけない。
今日の酒宴は、孫権主催の丞相となった陸遜を祝うための宴で、孫権は今、自ら皆々の席を回って、酒を注いで楽しんでいる。最近の孫権は王者の風格が増して、中華を飲み込まんとする力強い虎の牙が見えるようであった。
また、陸遜の下へは、孫権はじめ、武官・文官からさまざまな人が次から次へと祝杯をあげにやってきて、やっと一段落したところである。

その中で、皆に合わせて上辺では楽しんでいるが、実はそうではない者が二人。
酒宴の主役である陸遜と、その横に座る凌統だ。
だがどちらも、そんなことは微塵も顔に出さずにむしろ微笑みを浮かべながら、皆々の様子を眺めている。

陸遜は知っている。
隣にいる凌統の心はここにはないことを。皆の前では何も言わないけれど、いつもその体はあの男を探していることを。そして自分は、凌統にとってただの同僚だということを。
けれど凌統は優しいから、この酒宴が始まって凌統は真っ先に陸遜に声をかける。

(軍師殿、最近冴えてるな!これからもその調子で頑張ってくださいよ。)
(はい!凌統殿も、これからもどうぞよろしくお願いします!)

嬉しかった。
自分はどんな表情でその言葉を受け止めたか、正直、平常でいられたのか分からないくらいだ。



凌統のことは昔から知っていた。
小さい頃に、孫策の所へ挨拶に行った時にたまたま、自らと同じように父親に連れられていた凌統と挨拶を交わしたのが最初である。
あの時の凌統は、今よりもずっと中性的な顔をしていて、男なのか女なのか小さい陸遜は見分けがつかず、上手く話をできなかったのを覚えている。

それからしばらくして、本格的に孫呉で働き出した頃に、見つけてしまったのだ。
城の中の人影のない場所で、凌統が1人鍛錬を積んでいるところを。
いつも頑なに肌を露出しないのに、その時ばかりは上半身を露わにして。首を捻るたびに髪の房が日焼けしていない肌を滑る。
脚が跳ねる、腕が舞う、顎から汗が伝い落ちる。
一つ一つ、型が決まる度に心が弾けた。
本当に美しいと思った。
それまで見た美しい風景や金銀財宝とはまるで違う。輝きを持ち合わせた生の美しさが、生々しく伝わってくる感じ。
いや、そのような理由や言葉はいらない、ただただ、ずっと見ていたいと・・・。

それから、陸遜も凌統も互いに昇進して一緒に出陣する時が多くなり、自然と会話も多くなった。
戦に関わる話や他愛ない日常的な話。時に冗談を絡めて。楽しかった。
精神を削るような戦に共に出れば、互いの武勲を競い互いの背中を守り。そうして互いに年を重ねていって、その間に絆を深めていければ・・・と思っていたのに。

いつの間にか凌統と自分の間にもう一人、間に入るようになった。
その男は凌統の親の仇であり、凌統が男に向ける憎悪をどうにかして分かちあいたいと努めたのに。
凌統は男を見つめるようになった。
話しかけるようになった。
その瞳や声色に、艶が入るようになった。
どうして。

・・・あの男を、殺してやりたいとさえ思った。

しかし男が去るのは思ったよりも早かった。
陸遜自身が大きく飛躍した夷陵の地で、散ったのだ。

「忘れませんよ、貴方のことは。」
(私と凌統殿を裂いたこと・・・永遠にね。)

凌統に連れ添い、男の墓に手向けた言葉はそれだ。
凌統は隣でずっと泣いている。

(どうして、もう、居ないのに。)
(凌統殿、ああ、あの男に呪いをかけられたのですか?)
(そうか、そうですよね。)
(そうでなければ、私は・・・)

陸遜はただただ、己がいることを気づかせるように、皮膚の硬い凌統の手を握るしかできなかった。
本当なら、自分よりも大きな体躯をした凌統の体に腕を回して、慰めてやりたいと思うのに、そうしても残るものは互いに皆無なのは知っている。
きっとあの男なら、何も考えずに凌統殿を抱きしめて、ただ無言のままに慰めるのだろうと思った自分の思考が浅ましい。
そうできない己は一体何なのだ。
この心ごと、あの男の墓に埋めてしまいたかったのに。

(私にできる、あの男とは違う愛し方とは、なんだろう?)
(どうしたら、凌統殿をあの男から解き放てるだろうか。)

陸遜はあの日から、そのことばかりを考えていた。
酒の席の、今も。
隣にいる凌統は、明るい笑顔を向けているが、本当は未だ心の中はあの男で満たされているのだ。
・・・吐き気がする。
その時、ふと自分に影が落ちてきて、陸遜はうつむいた顔を上げた。
目の前には酔いのまわった孫権が、陸遜の獲物である飛燕を手にして立っていた。

「どうしました?殿。」
「おい、陸遜。剣舞を舞ってもらえるか?お前の双剣捌き、是非皆に見せてやってくれ。」

ああ、また殿の悪い癖だ。時々孫権は酒に酔って家臣たちに無理に絡むことがある。
陸遜はすぐに飛燕に手を伸ばさず、苦笑いを浮かべながら諌めるようにして体を少しばかり引いた。

「殿。そのようなこと、よろしいのですか?」
「勿論だ。さあ、剣を取るがいい。」
「ですが・・・。」
「見事舞いきった暁には、お前の願いを何でも聞き入れよう。」

何でも?
・・・安易すぎませんか、殿。
殿の力を持ってすれば、あの人は私のものになりますか?
あの人は、私のことを見てくれますか?
そのお力を「お借り」してもいいのですね?
陸遜の瞳に黒い炎が点いたことに、誰も気付けなかった。
目の前にいた、孫権すらも。

「・・・殿。そのお言葉、相違ありませんか?」
「諄(くど)いぞ。さあ、皆が待っている。」
「分かりました。」



陸遜は、とうとう飛燕を手にしてしまった。
宴の席の真ん中に立ち、ひとつ丁寧に拱手をする。
心は穏やかであった。
皆の視線が集まる。
ご覧あれ、我が舞を。
潰れた純粋の中に生まれた新たな純なる感情を。
衆人環視の中、切っ先に全ての思いをないまぜにした感情をこめて、貴方に!
悲願の悪意は、心から袖の裏側に滑り落ち、貼り付き、ひらりひらりと視線を躱す。
貴方にばれたらどうしようか。
ああ、ぞくぞくする。
息が上がる。
それは疲労ではない。
これから起こるであろう絶頂を期待しての、ああ、自慰に似ているのか。
哀願、中毒、いいえ。この光に満ち満ちた世界はきっと倒錯などではない。
・・・私は一体、どうなってしまうのでしょうか、ねえ?



剣を鞘に納め、陸遜は皆の拍手喝采の渦の中を静かに歩いた。
行く手には孫権が碧い瞳を綻ばせて手を叩いている。
陸遜はその前に立ち止まり、跪き丁寧に拱手をする。

「素晴らしかったぞ、陸遜!」
「ありがとうございます、殿。」
「よし、では約束であったな。お前に褒美をくれてやろう。さあ、何がいいのだ?」

陸遜は瞼を閉じた。一度深く息を吸って吐く。
次に瞼を開いたその瞳は、真っ直ぐに孫権を捉えていた。

「凌統殿の、首をください。」

その言葉に、孫権は目を見開いた。そして周辺のざわめきが波のように引いていくのは理解できたが、同時に愉快に思えた。

(ほら、だから“何でも”とは言うべきではないのですよ。)
「・・・はは、冗談だろう?陸遜。」
「いいえ、私は本気です。私は凌統殿の首を所望します。」
「それは・・・駄目だ!貴様、何を考えている!凌統を恨んでいたのか!」
「とんでもない!私は凌統殿を心から慕っています。ですから、何でもくださると殿がおっしゃいましたので、所望したまで。」
「大事な家臣の命を舞いの褒美になどできるものか!」

「俺はいいですよ、殿。」

唇を震わせて、とうとう声を荒げた孫権の言葉が広間に木霊したその熱を下げるように、凌統の声が響いた。
今度は一斉に視線が凌統に集まる。
陸遜はつい振り返ってしまった。
まさか。
凌統殿、私のところへ来てくださるのですか?
・・・違う。
座ったまま静かに杯に口をつけている凌統はどこか諦めた表情をしていて、その瞳は空虚だ。陸遜は悟ってしまった。
もう、あの男のいないこの場所に居ても意味がない。ならばいっそ・・・。
凌統と目があった。
笑った。
ああ・・・。

(凌統殿は、早く呪縛を解いてほしいのだ。)

陸遜は凌統からひとつも目を逸らさぬまま、双剣を握ってゆっくりと腰をあげた。
鼓動は少し早い。周りは静かに聞こえるが、孫権の制止の声が聞こえたような、聞こえないような。
陸遜が目の前に来ても、それでも凌統は見上げて小さく笑っていた。
交わす言葉はなくていい、陸遜は静かに刃を落とした。

「ああ・・・。」

毒を浴びる、浴びる。
血で染まった飛燕がこんなに美しいと思ったことはない。
よかった、凌統殿の中を巡る毒を取り除いたのだ。
ああ、次々と毒の飛沫が溢れてくる。
こんなにも、体の中に毒をお持ちになって、さぞお辛かったことでしょう。
ごと、と、首が落ちたのを目と耳で確認した陸遜は、周りの空気が冷たく凝固したことなど構わずに、直ぐにそれを拾い上げた。
衣がみるみる毒に染まる。やっと成就できたとその腕に首を掻き抱いた時、なんとも言えない思いが心に溢れてきて涙が流れた。
この頭が、あの時輝きを放っていたのだ。
やっと手に入れることができたのだ、もう誰にも渡さない。
唇から血が滲み始めて、親指で拭ってやり、まだ温もりの残るこめかみのあたりに唇を寄せた。すると、前髪が唇に絡んで凌統から頬を寄せてきたように思えて、陸遜はとても嬉しくなって小さく笑った。





数日後、陸遜の部屋から、凌統の首がなくなっていた。
陸遜の行動に恐怖を抱いた孫権と家臣数名が、陸遜が居ぬ間に凌統の首を持ち出し、体とともに手厚く埋葬したのだった。
だが、そんなことは陸遜は知らない。
いつも置いてあった寝室にそれが無くなったと知り、まずは家人を集めて皆を問いただし、そして自ら探して歩いた。

(どうして、また、消えてしまうのですか。)

何もかも忘れて泣きながら、凌統どの、凌統どの、と、子供のように呟いて。
何日も何日も。
素足のままドロドロと歩く。
その姿は夷陵の軍師の姿からは、想像できぬほどに憐れであった。

ある日、既に誰にも相手にされなくなっていた陸遜は、凌統を探してふらふらと城壁の冷たい階段を上っていた。

「どこですか、凌統殿。」
「私は、貴方が大好きなのです。」
「どうして出てきてくださらないのですか。」
「どうして私の独り善がりで終わってしまうのですか。」
「どうして・・・」

彷徨う素足は既に皮膚が裂け、爪が剥がれて潰れかけている。それでも前に進む。その先に進まなければ、あの人は出てきてくれないのだから。
頬が腫れて人相も認識し難くなっても未だ尚泣きじゃくる陸遜の行く手に、見慣れた後姿が現れた。
それは、長い髪を後頭部で結い上げた背の高い、ずうっと昔から見知った最愛の・・・

「・・・凌統殿?」

声をかけると後姿はゆっくりと歩きだした。
間違いない。

「待ってください、凌統殿!」

しかし、ずっと凌統を捜し歩いて疲れた足はもつれて上手く動かない。陸遜は、必死にその後ろ姿を追った。
もう見失いたくない、絶対に。

しかし、ふと後ろ姿が止まった。
そしてゆっくりと振り返ったのだ。

“軍師殿・・・随分と待たせちまったみたいですね。俺はここにいます。だから、もう休んでくださいな。”

にこやかな笑顔に涙が出た。
嬉しい。
陸遜は両腕を伸ばしながらその体に飛びついた。














「なあ、とうとう陸将軍が亡くなったらしいな。」
「知ってる。しかも城壁から飛び降りたそうだぜ。」
「しかも死んでた時の姿を聞いたか?体中の骨が折れてたのに、笑顔で空に両腕を伸ばしてたって言うぜ。最初に死体を見た奴はビビって漏らしたってよ。」
「怖ぇ怖ぇ。どんな人でもトチ狂っちまうもんなんだな。」











陸遜ごめん、本当にごめん。
甘寧も凌統もごめん。
私自身、好きなキャラを残酷な目にあわせるのは苦手で極力書きたくないほうなのですが、書いてしまった。そして出来てしまった。
本当にごめんね。
次はめいっぱい彼の幸せな話を書いてあげたいです。
よろしければ、ご感想を下さいませ。