夜―The night―F




孫権が率いる孫呉の本隊が来る前に、甘寧は呂蒙とともに先行して合肥に到着していた。
今は諸々の準備を整えている。
甘寧は、兵達が荷駄の運搬をしているのを眺めながら、建業で孫権に呼びだされた事を思い出していた。

「先日お前と凌統が路上で喧嘩をしていたと聞いた。その時お前は刃を抜いたらしいが、相違ないか。」
「おう。間違いねぇですぜ。」
「凌統はどうだ。」
「あいつは拳だけだ。」
「そうか・・・。甘寧、最近凌統はどうして落ち込んでいるのだ?誰に聞いても分からぬというのだ。」
「そいつを俺に聞きますかい?俺はあいつと殆ど面識がねぇんで、さっぱり分からねえ。」

特に、何を考えているか、など。
あいつを犯した・・・と言えば、どうなるだろうか。それは言わないほうがいいような気がする。
懐の凌統の髪が僅かに動いて、鎮めるように一歩孫権に足を進めると小さく腰の鈴達が鳴った。

「わかった。しかし、これ以上私闘を行うことは許さんぞ。肝に命じよ。」

そこで孫権は退席し、甘寧もその足で、この合肥までやって来たが。
軍紀なんぞ糞喰らえだ。
気に入らない奴は殺すし傷つける。それが味方だとしてもだ。
だが、凌統を殺したいとは思わない。
それは仲間だからとかそんな可愛いものではなくて、手をかけるに値しない下衆だからでもなくて、ただ、甘寧自身が凌統のことを殆ど知らないだけだから。

船から荷駄を運ぶ兵の列が途絶え、長江のほうへ目を向けた。

(・・・しっかし、あいつに興味あるっちゃああるんだがな。)

如何せん、凌統は今聞く耳を持たない状態だ。無理矢理会いに行ったとしても、この間のように殴り合いになるだけだろう。
柄にもなく、盛大に甘寧は溜息をついた。
そこへ、伝令が小走りに近づいてきて、声を張り上げた。

「孫権様がご到着されました!」
「おう。今行く。」

考えるのを止めるのに丁度よかった。
甘寧は後頭部を掻きながら、孫権用に設(しつら)えた幕舎へ向かった。
その途中、丁度孫権が他の将たちとともにこちらへ向かってきている所で、つい甘寧は目を丸くしてしまった。
孫権の脇には周泰がいる。もう片方の脇には、凌統がいるではないか。
絶対にこちらを見ようとはせず、表情もやや曇っているが、いつかの夜に見たあの面に比べれば随分と晴れたものだ。
しかも、持っている武器は戦でも中々お目にかかれない三節棍。

「へっ、あの野郎やっと出てきやがったか。」

あいつはどんな武を振るうのだろう。
甘寧は一人、わくわくしながら孫権のもとへ歩み寄った。


全軍が結集し、最終の軍議を終えて少し仮眠を取った甘寧は、飯をもらおうと自分の幕舎を出てふらふらと歩いていた。
陣営の一角に兵の人だかりができている。
首を伸ばして人だかりの中心を見ると、凌統が兵卒一人一人を相手に手合わせをしているところで、つい脚を止めた。

「おいおい、どうしたんだい?俺がいない間、俺より鈍っちまったわけじゃねぇよな?さ、次の奴出てきな!」

人だかりから、兵が一人躍り出た。
すぐにその兵は凌統めがけて槍を突き出したが、踏み込みが甘い。凌統は難なく槍の穂を三節棍の一節で受け止め、もう一節を腹に打ち込んだ。兵が倒れる。
すると凌統は、三節棍を軽く振りまわし、ふうと小さく息をついた。

「もうちょっと、こいつに慣れておきたいかな・・・。よし、みんな、全員でかかってきな!」

人だかりを作っていた兵たちが一斉に凌統に向かっていった。
その表情は、皆どこか楽しそうだ。
凌統がいなかった間、甘寧は時々暇つぶしに凌統軍の練兵を見ていた。副将の鼓舞を受け止めながら、剣や槍の型を決める兵卒達はとてもまとまっていて、変な殺伐とした空気もない。
むしろ、皆凌統を心配していた。
あの夜に見た光景も、自分自身が凌統を犯したことも夢のように思える。
だが、証拠の奴の馬の尾のような髪が、懐にある。

「おい、凌将軍出てきたのかよ。」

密やかな声が聞こえた。
人だかりには、甘寧のように凌統軍の兵ではない者も数人いて、そのうちの数人の兵達の話し声だ。
甘寧は、目の前で楽しそうに三節棍を振るう凌統を眺めている。

「よく出て来れたなぁ。今もあんなことしてるけど、どっちかっつーと今日の夜のお相手を見定めてるんじゃねえの?」
「でもよお、あの人がどんな風に乱れるのか、ちょっと見てみてぇな。」

気が付いたら殴っていた。
もう一人は腰を抜かしてその場に尻餅をついている。

「もういっぺん言ってみろ。次は命がねぇと思え。」

胸倉を掴み、地を這うように低く告げるとそのまま兵を放り投げ、そしてその場から逃げるように速足で歩いた。

そうだ、凌統の事で知っている事を思い出した。
あいつは汚れていないということ。
むしろ、自分よりもずっと綺麗だということ。
本人はそれをわかっちゃいないこと。

甘寧は、合肥の赤い空を睨んで舌打ちをした。





Gへつづく






まだまだ続きます。