夜―The night―H




張遼の奇襲により、孫権が危ないという伝令を聞いた時、丁度甘寧は魏軍に奇襲を仕掛けた直後であった。
伝令曰く、張遼の猛攻すさまじく太史慈を始め多くの将が死んだ。合肥城が、曹操の首がすぐ近くに見えたが、仕方がない。
甘寧はすぐに近くの馬に乗り後退し、味方の追撃をしている敵をさらに追いつつ、味方に合流せんと走った。
味方の屍が累々と横たわる。孫呉の牙旗が沓や馬の蹄で踏みつけられて、ぼろぼろになっている様が酷く頭にきた。

「おらおらぁ!どきやがれ!!」

一方に向かって突き進む敵軍を蹴散らしながら馬を駆り、何とか撤退する孫権に追いついた。成程、後ろについている残存の兵士は数少ない。ついている将は、周泰と、そしてやや後方に呂蒙がいるのみ。
凌統は・・・いない。

「殿!怪我はありませんか!」
「甘寧!無事だったか!」
「凌統の野郎は!?」

すると、孫権は甘寧のほうへ馬を進め、泣きそうな顔で叫んだ。

「殿(しんがり)を買って出た!凌統を死なすわけにはいかん、私は大丈夫だ。だから頼む甘寧、凌統の加勢に行ってくれ!」
「チっ・・・面倒な野郎だ・・・!」

甘寧はすぐに馬を棒立ちにし、無理矢理馬首を軍の後方に向けるとすぐに疾駆した。




撤退する呉軍とは真逆のほうへ向かい、追っての魏軍を潰しながら甘寧は首をめぐらして凌統を探した。
まさかとは思いながら、辺りに横たわる死体にも僅かに目をむける。
いた。
長江の対岸。
まさに魏軍と奮戦中だが、騎兵に兵卒たちが揉まれ潰され、味方の数は次々と減っていく。明らかに勝ち目はない。そして、加勢しようにも対岸とこちらを結ぶ橋は壊されていて、見ているしかできなかった。

「凌統!」

居ても立ってもいられず、甘寧は思わず叫んだ。
しかし、次の瞬間に目を見張った。

三節棍を巧みに操り、大きく身体を捻ってのかかと落とし。
身体の動きに合わせて腰に巻いた布が大きく翻り、翠の玉(ぎょく)はこの合肥の太陽の光を反射して鈍く煌めく。
不利な状況でもしっかり前を向いているその姿は、死に場所を探している者の武では到底なかった。
むしろ、その場に居る誰よりも力強い。

(そういや、あいつが本気で戦ってるとこ見たの、これが最初じゃねぇかよ。)

気付いたら身体が疼いて仕方がない。
懐にある束髪は、あの身体に合わせてどのように動くのだろうか。
そう思うと、身体の奥が熱くなる。
加勢など忘れてもっと近くで一緒に戦いたい。きっと面白い。
けれど、奴へ続く道がない。

「っチィ、鈴の甘寧様が指銜えて見てるしかできねぇなんてよ!!」

近くに敵の砦もないから、うっぷん晴らしもできない。
仕方なく甘寧は、大きく鈴を鳴らして孫権の護衛をするのにやってきた道を戻り出した。

(死ぬんじゃねぇぞ・・・!)




孫権の撤退場所であった船へ乗りこみ、孫権へ凌統軍の奮闘を報告すると、甘寧は一人江の流れを見ていた。
時折、死体が流れてくる。
それは魏軍の兵であったり、孫呉の兵でもあったが、いづれも流れに飲まれそのまま沈む者あり、再び浮かんでくる者あり。その様は流木のように寂しく滑稽だ。

しかし心は落ち着かない。
凌統は帰ってくるだろうか。
あの浮かんでは沈む兵達のように冷たく何も言わない姿で帰ってきたら、いよいよ大馬鹿野郎だと言ってやる。
あいつと手合わせしたい。殴りあいなんかではない、本当の勝負がしたい。
仇だとかしがらみは関係ない、喧嘩がしたい。
あんな風に戦うとは思ってもいなかった。
あいつは、強い。
それだけでも腕が鳴る。

曇天の空の下、流れる江のやや上流から、鮮やかな布が流れてきた。
それは凌統の腰の布。

「凌統!」

考えるより先に水に飛び込んだ甘寧は、そのまま凌統に向かって泳いだ。
水中で身体が波に揉まれているのが見えて、心がざわつく。
死んではいないか。
もし、身体だけだったら・・・?
いいや、そんなことはない。
手を思い切り伸ばし、逃げようとする布を何とか掴み手繰り寄せると、全身酷い傷の凌統が飛び込んできた。
よかった、首と胴は繋がっている。しかしその顔の白さが酷い。思わず息を飲んだが我に返り、そのまま船に向かって泳いで、味方に担ぎあげられた。
自らも船に上がり、甲板に横にされた凌統に近付いて軽く頬を叩いた。

「凌統、おい、凌統!」
「甘寧、止めろ!」

凌統を挟んで向かいに孫権が座る。甘寧の扱いについ声をあげたが、そんな声など無視して甘寧は凌統に必死に声を掛けた。

「凌統、おいコラ。目覚ませ!」

鼻のあたりに手をかざす。息をしていないではないか。
咄嗟に甘寧は大きく息を吸いこみ、凌統の鼻を掴んだ。
鈴が大きく鳴る。
唇を押しあて、強く息を吹き込んだ瞬間、酷く身体が熱くなったが、甘寧は気付かない振りをした。






Iへつづく






まだまだ続きま・・・す・・・。