夜―The night―K






濡須口には曹操が直々に陣を敷いたと聞き、甘寧は一人、気を高ぶらせていた。
曹操が率いてきた兵の規模はまさに大軍だ。合肥の奇襲を思い出すが、防備を固めていれば十分雪辱を遂げることができる。
しかも、孫呉の指揮を執るのは、自らの力を十分に熟知している呂蒙だ。
曹操の首をとる又とない機会、そして張遼もいる。相当に暴れることができるだろう。

濡須口の陣営の中には、傷が癒えた凌統も従軍していた。
自分の軍勢を全てなくした凌統は、孫権から新たな軍を与えられていた。
その数は以前の倍以上だが、ただの寄せ集めではない。凌統と同郷やその周辺出身者が中心の、精鋭である。遠目で見ただけでも面構えがただの兵卒と一味違うが、それで一番嬉しいのは凌統自身だろう。
その証拠に、孫権の前で凌統は真っ先に先陣を名乗り出て、そのまま先陣争いへと発展し、それで自分は奇襲のほうへ回ったのだが。

(それはそれで悪くねぇが・・・。)
(凌統が先陣で俺が奇襲じゃあ、あいつと一緒に戦えねぇじゃねえか。)
(折角楽しめると思ったのによ。)
(ま、攻撃すんのは夜だし。あんま見えねぇからいいか。)

甘寧は先陣として今まさに進軍せんとしている凌統軍を見ながら考える。
凌統が軍に復帰したのは嬉しかった。

凌統に伝えた気持ちは、真実である。
一緒に戦えばきっと面白い。
だから気に入ったし、そう口にした。
唇を奪ったのは、そうしたかったからだ。
その内に深く考える物など何もなく、応えが欲しいともあまり思っていない。
ただ、一緒に戦えればそれで十分なのだ。
凌統は隊列の合間を歩きまわりながら、兵達に鼓舞の言葉を掛けている。
その表情は、嬉しさと緊張でいい具合に引き締まっていた。
近くに凌統がやってきたので、つい話かける。

「おい凌統!奇襲する俺の足、引っ張るんじゃねぇぞ。」

すると凌統は僅かに甘寧を睨み、つんと顔を背けてしまった。

「・・・おお、怖ぇ怖ぇ。」

甘寧は小さく肩を竦めると、ふらふらと己の軍備に戻っていった。





魏の本陣にかけた奇襲は成功した。
しかし肝心の曹操の首を取る事はできず、潰走させたにすぎなかったが、それでも十分の戦果だ。張遼の攻撃は凌統が撃退したらしい。
野郎共達とともに堂々と陣営に帰ってくると、既に陽は天頂近くにあった。
また、兵糧庫近くからは飯の煮炊きの匂いが漂ってきて、後ろにいる兵たちが一斉に空腹を示す声を上げ始めたので、行って来いと支持を出した。
甘寧の一声で、一気に兵糧庫のほうへ走り出した兵達の単純さについ笑ってしまった甘寧の元に、呂蒙がやってきた。

「甘寧、よくやった。きっと武功第一であろうな。」
「へっへぇ。合肥でやられちまったからな。倍にして返してやったぜ。しっかしあともう少しで曹操の首を取れるとこだったのによ。面目ねえ。」
「うむ。だが戦果は十分だ。これで魏との戦線を暫くは保つことができる。次は荊州と俺は見ているのだが・・・。ところで甘寧、凌統の姿が見当たらんのだが、どこへ行ったか分かるか。」
「あぁん?」

甘寧は陣営内を見渡した。
確かに凌統の姿がない。しかし、凌統軍の副将はいるのでどこかの幕舎の中にいるのかもしれないが、ここには居ないような気がした。
近くを凌統軍の兵が通ったので、話かける。

「おい、お前、凌統がどこに行ったか知らねぇか。」
「凌将軍なら、さっき他の奴等数人連れて、魏軍の本陣跡に偵察に向かわれましたぜ。」
「何だと?」

風もないのに鈴が鳴った。
何か、嫌な予感がする。

「おい、甘寧!」

後ろから呂蒙の声がしたが、甘寧は応えずに陣営を飛び出した。
死ぬんじゃねぇと、合肥で願った時からまだ日が浅いというのに、どうしてあいつは自ら死地に足を踏み入れるか。
甘寧は派手に顔を顰め、夜に進軍した道を再び走り抜ける。





ようやく見えてきた魏の本陣の中は、既に撤退したはずの魏の兵達の姿しか確認できず、甘寧は焦った。が、その中心に、頭一つ抜きん出た背の高い赤い胴衣の男がいた。
凌統だ。

「凌統!」

甘寧に気付いた敵兵が刃を向けて迫る。甘寧は咄嗟に回避し、下から斬り上げた。

「甘寧!」

後ろにいる凌統の声。無事なようだ。しかし、凌統以外の味方は・・・地に伏したままぴくりとも動かない。
この敵兵は一体どこから沸いて出たのか。将の姿が見えないから、敗残兵の塊か。しかしこの数を相手にするには、凌統もいるとはいえ少々まずい。ここは敵兵を切り崩しながら、陣営に撤退するのが最善だろう。
後ろから凌統が何か言ったが上手く聞きとれなかった。

「あん?何か言ったか!ぼさっとしてないで手伝え!!」
「・・・・・・わかってるっつの!」

凌統の威勢はある。甘寧は心の中でよしと呟いて走り出した。



何とか再び陣営に戻ってくるなり、甘寧は凌統を殴り飛ばした。
凌統は派手に吹っ飛んだがすぐに身体を起こし、唇の端に滲んだ血を手の甲で拭う。すぐに掴みかかってくると思いきや、ただ睨んでくるだけだ。
二人の帰還を待ちわびていた呂蒙が、息を飲んでその場で立ち尽くしたのが甘寧の目の端に映った。
しかし甘寧は、それで自分の感情を止めることなどできなかった。

「お前・・・まだ死に場所探してんのかよ。」
「はっ、あんた、何一人で怒ってんだい?」
「懲りてねぇのかてめぇ・・・!」

合肥では、あれ程命をかけて戦っていたのに。
あれは何だったんだ。
凌統とこんな戦がしたいのではないし、勝手に死に場所に行かれては困る。
馬鹿な野郎だ・・・!
怒りにまかせてもう一度、甘寧は凌統を殴った。今度は凌統も少し苛立ったようで、不敵に笑うと甘寧の胸倉を掴みあげる。
即座に呂蒙やその他の兵士たちが二人を引き離そうと、割って入ってきた。

「てめぇが死ぬと迷惑なだけだ!それから俺と勝負するまでくたばるんじゃねえ!」
「そんなの知らねぇっつの!勝手に約束みたいに言うな!」
「それじゃあこれからは約束だ!いいか!おっさんたちも聞いてるからな!忘れるんじゃねえぞ!」
「何だと・・・!卑怯だぞ甘寧!」

声をあげながら、凌統との距離はどんどん離れていく。
しかし約束とはあいつも上手い事を言ったものだ。約束という言葉で繋ぎ止めておけば、凌統は逃げない。
逃げないような気がする。
凌統の姿が見えなくなり、甘寧自身も幕舎に押し込められてその場に立ち尽くした。
己の息が荒い。
落ち着かせようと何度も深い呼吸を繰り返し、近くの水甕の水を柄杓ですくい、喉を鳴らして飲み干した。
それでも、気分は落ち着かない。

(クソ野郎が・・・!)

もっと言いたいことがあるはずなのに、上手く言葉にできない。甘寧は近くの荷駄の箱を蹴り飛ばした。





Lへつづく






続きます。