夜―The night―N






凌統が樊城内を偵察し、報告を受けていた時、既に陸遜は撤退して居なかった。その陸遜から、魏軍には既に挨拶をし、諸々の処理はしたとの伝言が入った。
あの俊英は、これから大きく飛躍するだろう。これからが楽しみだ。

凌統は再び城の外へと向かっていた。
その手には、杯が3杯と酒瓶をぶらさげている。

戦の前の呂蒙の言葉を思い出し、城から杯と酒を持ちだして、この地で酒を飲もうと思ったのだ。今や弔い酒となってしまうのが心苦しい。
しかし、甘寧も未だ城にいることだし・・・。

外は未だ雨が止まない。
甘寧もまた、黙って雨空の下に立ちつくしたままだった。
凌統は持ってきた杯のうちの一つに酒を注ぎ、城の入口あたりに置いた。

(これは、呂蒙殿の分な。)

そして、もう一つの杯に目いっぱい酒を注いで甘寧の目の前に立った。黙って杯を甘寧に与えようとするが、甘寧は黙ったまま受け取ろうともしない。
さらに杯を近づけて、甘寧の胸あたりに当てても、その腕は少しも動こうとしなかった。
仕方なく、凌統はその杯を自分で飲むことにして、城の入口に腰を落とした。

命を失うということは、よく知っている。
大切であればある程痛みが伴うことも。その痛みは、どこかへ逃げ出したくなるくらいだということも。
・・・でも、甘寧。あんたは、今までそういう事を思ったことがなかったのかい?
いいや、そんな事はないはずだ。
そうじゃなきゃあ、俺をあんな風に殴ったりしてないだろ?

「あんたが弔い酒すら飲まないとはね・・・。」

話かけても、甘寧は黙ったままだ。
優しい言葉なら、他の奴等でもかけることができる。自分にできることは・・・奴の大好きな、喧嘩に付き合うことか。凌統は柄じゃないなと思いつつ、小さくため息をついて、口を開いた。

「ま、呂蒙殿はほっとしたんじゃないの。」
「おっさんが?」
「うるさいあんたと、おさらばできてな。」

甘寧が拳を作った。
そうだ、そうやってかかってこいよ。あんたご所望の勝負といこうじゃないか。そっちのほうがあんたらしいよ。・・・ま、こんな風に喧嘩するのは、呂蒙殿は望んでないかもしれないけどさ。
凌統は挑発の手招きした。
しかし。

「凌統・・・気分じゃねえ。」

甘寧はそのまま、どこかへ行ってしまったのだ。





気が付けば既に陽が落ちていて、凌統は樊城で一夜を過ごし、明日の朝に出立することにした。
甘寧もいる。

知らない寝台は落ち着かず、凌統は寝台に腰を下ろしたまま室内の小さな灯をじっと見て考えていた。
甘寧のことが気になっていた。
好きな喧嘩も出来ない程に呂蒙の死は堪えたようだが、あんな奴など無視しても構わないじゃないか。
だって、仇だろ?
とっとと軍をまとめて、あいつを置いてきぼりにしていけばいいじゃないか。
しかし凌統は甘寧とともにここに留まっている。
俺は、甘寧をどうしたいんだ。

(・・・慰めたいのか?)

勝負以外に自分ができる慰めは一体何だろう。
甘寧の慰めになる物を色々と考えようにも、甘寧のことを全く知らない自分がいて、凌統は目を伏せて笑った。
そうしてふと行き付いた答えは・・・散々思い知ったはずの闇の持つ虚無と絶望と、全てを包み込んでしまう快楽。
しかし、それしか思い当たらない。

「・・・。」

また、罪を犯そうとしている。
それでも尚、仇の元に足を運んで何を為そうとしているんだろう。
あの時体温が欲しかったのは俺。でも、今体温が欲しいのは・・・
ああ、父上。
本当に俺は、不甲斐ない息子です。
本当に・・・。
自ら、仇の元へ赴こうとしているのですから。

しかし、凌統は止まらなかった。
身につけていた防具を取り払い、あの夜のように簡単な服装になると、自分の身を隠すようにそっと室内の灯を吹き消して、外に出た。





Oへつづく






続きます。