夜―The night―18









炎に包まれる敵拠点を制圧し、蜀本陣を目指し進軍しようとした凌統のもとに、何度目かの伝令が来た。

「報告!甘寧様が苦戦しております!」
「やれやれ・・・あいつ、またかい。」

敵勢を引きつけた陸遜の火計は、鮮やかに決まった。あともうひと押しだ。
甘寧は長江側の丘付近から敵の本陣に向けて、凌統はその反対側より同時に進軍している。2方面からの攻撃で敵を包囲するための陣形だというのに、甘寧は無理に戦線を押しだして、何度も一人突出しているのだ。
そのため一度、凌統は自分の進軍を止めて、甘寧の援護に回っている。

“甘寧、気合入りすぎだっつの。あんま調子に乗って突っ走んなよ。”
“へっやなこった。・・・俺は、突っ走ることしかできねぇんだよ!”

その言葉に、凌統は眉を顰めた。
甘寧の様子がおかしい。
言葉の端々にいつもの憎たらしい余裕がなく、むしろ焦りがちらつく。

そういえば、戦う前から甘寧は妙だった。

“もう一回、あれ言え。”
“何をだい?”
“愛してるって”

つい、棍を振るう腕を下に下ろしてしまった。
凌統の脇を、兵たちが走り過ぎてゆく。
・・・。
本当に、甘寧は言われたことがなかったのかもしれない。
自分の身にかかるもの全てを振り払うようにして突っ走ってきた、本当に、自分しかない奴。
でも凌統には、甘寧に何一つくれてやる物はないのは事実だった。
それに、甘寧の何も知らないのだ。甘寧が何を求めているのか、分からない。知っているのは体温ぐらいなのに、体温は何も語らない。

「・・・。」

沢山のものを持っていて全て失った自分と、最初から何も持っていないあいつ。
そういうのを、戦が終わったら語ってもいいのかな・・・。
あいつは、何が好き、とか・・・。

(あいしてる、か・・・。)

あの言葉が、甘寧を狂わせたのか。
しかし、もう一度言えと言われて言える台詞ではなく、つい凌統は陸遜に呼ばれた事を理由に、はぐらかしてしまったけれど。

(ああいうのは、ちゃんと腰を落ち着けて言うもんだっての・・・戦が終わったら、言ってやってもいいけどさ・・・いやいや、何考えてんだ俺は。つーか、他の奴に言ってもらえば・・・。)

そこまで考えて、凌統は何故か胸が痛くなって、飛んできた小さな火の粉を大げさに振り払った。
あいつは突っ走ることしかできない・・・。武官の自分も、戦うことしかできないけど。
孫呉に来る前からずうっと突っ走ってきて、孫呉に腰を落ち着けた・・・それでいいじゃないか。
それに例え仇でも、今は味方で・・・今まで誰かのためにしか戦ってこなかった凌統がやっと手に入れた、自分のための戦ができる相手なのだ。
失いたくなどない。


(おいおい、どうして俺は甘寧のことばっかり考えてるんだ。)

そこへ、再び伝令がやってきた。

「報告!中心の石兵八陣を、陸将軍が突破しました!」

報告を受けて凌統は瞬時に考える。
陸遜は石兵八陣を突破したら、その先の敵拠点の制圧に向かう手筈になっている。それで包囲は成る。この辺りの敵兵も潰走した、拠点も制圧した。もう一方も陸遜に任せることはできるだろう、そして自分は甘寧の陣を厚くしたほうがよさそうだ。
凌統は近くの馬に乗り、声をあげた。

「みんな、反対の軍の援護に向かうよ!ついてきな!」

妙な胸騒ぎがする。
それは、敵の伏兵のにおいかもしれないし、今までの自分の罪に対するツケかもしれない。
凌統は油断はできないと前を見、馬首を長江のほうへ向けて走りだした。





趙雲の援軍が来て、劉備は撤退していった。
しかし楽観はできない。呉への援軍だといって、北の魏軍が動いているがそれは違う。完全に侵攻だ。それを見抜いた陸遜は、全軍に早急の撤退を支持した。

そんな中、凌統は夷陵に留まっていた。
甘寧の行方がわからない。
凌統が二度目の援護に駆け付けた時、甘寧は自分が率いていた軍さえも振り払い、敵拠点で孤軍奮闘していた。
これでは苦戦するのも当たり前だと、凌統は呆れながらも手を貸し、棍を振るった。

(だからあんた!突っ込みすぎだっての。手を貸してやるよ。)
(へっ、この借り、あとで返すぜ。)
(やれやれ。そろそろ戦での貸し借りも終わりにしないかい?いつまで経っても勝負できねぇじゃねぇのよ。)
(・・・違いねぇ。)

「・・・。」

あの時、甘寧はそっと笑った。
凌統の胸騒ぎは治まるどころか、膨らむばかりだ。
一体甘寧はどこへ行ったのか。
孫権と、そしてこの戦で軍師としていた陸遜も、甘寧のことが気になるといって未だ陣営にいる。凌統はその護衛も兼ねて同じ幕舎にいた。
戦であれ程やってきた伝令は、何をしているのか。
凌統は一人焦りながら、じっと幕舎の入口を見ていたら、転がるように伝令がやってきて叫んだ。

「甘寧様を発見しました!敵の襲撃を受け、動けぬ模様!」





凌統は気付いたら馬を駆っていた。
あの兵はどこを探していたと言っていた、どこだ・・・。
息が苦しい。胸が潰れそうだ。
あいつが死ぬとか、嘘だろ?
死ぬ・・・?
忘れかけていた死という物が、ひたひたと凌統の背後に迫る。

「違う・・・もう、こんなのは沢山だ・・・!」

凌統は背後の冷たいものを振り払うように、馬の腹を蹴り、江沿いを駆けた。

烏の鳴き声が辺りに響く。ここはこんなに鳥が集まる場所だったか?
馬のいななきに驚いて飛び立つ烏の数は明らかに多く、凌統はその中に鈴の音は混じってはいないかと耳を澄ます。

「くそっ・・・どこだよあいつ!」

烏が煩い。苛立って黙れと声を荒げようと口を開いた時、凌統は小さな音を聴いた。鈴の音だ。
近くにいる・・・。
金色の髪が見えた途端に、凌統は手綱を思い切り引っ張った。
棒立ちになる馬から飛び降りて、甘寧の元へ走り寄る。

「ったく!あれほど突っ込むなって・・・!!」

酷い有様に、凌統はああと息を飲んだ。
身体中に傷を作って、血に塗れて。何とか目を開けて息もしているが・・・時間の問題だ。それなのに腰の鈴は、やたらと綺麗に光っていた。
甘寧が、唇を震わせた。

「おっさんが死んだとき・・・俺にもわかった・・・・・・。」
「話は後で聞く!いいから、もう話すな!」
「大切な者を失う悲しみ、その思いを抱き戦う意味・・・」
「もう、・・・もういいよ。黙れって。あんたの話なんか聞きたくない!」
「お前は長い間、そいつと向きあい、戦ってきたんだな・・・」

ああ、ああ。
零れ落ちてしまう。
違う、俺のことなんかいいんだ。
そんな事を俺は望んじゃいないんだ。
あんたの話はいくらでも聞いてやるから、だから今は黙ってくれよ。
あんたにくれてやる言葉も沢山準備しておくよ、だから・・・

「そうだよ!これからその溜まった思いをあんたにぶちまける!だから・・・逃げんな!」

甘寧の手が伸びた。
恐る恐る伸ばした凌統の手は・・・弱々しい力で振り払われた。

「へっ・・・やな・・・こった・・・」




凌統は叫んでいた。
その途端、辺りに闇を作るように一斉に烏が羽ばたく。
忘れていた、死が、またこの身を包もうとしている。
父が、沢山の兵たちがこちらに嗤いかける。

「・・・てくな・・・。」

そこまで近づいて来ているであろう死に向かい、凌統は声を上げた。

「連れてくな!こいつまでいなくなっちまったら・・・俺は・・・」

烏の群れが凌統を攻撃しはじめた。
まるで、甘寧をよこせと言っているようで、凌統は甘寧の体を守るように必死に抱きしめた。

「連れてくな、連れてくなって!畜生っ・・・愛してるなんて言葉、いくらでもくれてやるよ。勝負でもなんでも受けるよ、俺の命だって、くれてやるよ、だからやめろ!」


甘寧の体が冷たくなってゆく。
黒い闇は斑に、凌統を覆いはじめる。でも、ぼろぼろと溢れる涙のせいで、黒い羽は見えなかった。


「馬鹿野郎っ逝くなって!・・・突っ走らなくても、あんたはあんただろ!変わらねぇだろ!今逝ったらまたあんた、一人じゃねぇか!・・畜生、俺が折角話す気になったってのに・・・・・・っもう・・・、あんたを認めるからさ!あんたは俺の大切な奴なんだよ!」





「・・・・・・こいつはっ・・・・・・俺のものだ!」





Rへつづく






次でラストです。