ひとひら(5甘凌)






孫呉では珍しく、とても寒い日だった。
調練が終わり、甘寧は一緒に調練を行っていた凌統とともに話しながら宮に向かっていた。
甘寧は互いに会話を交わしていたつもりだったのだが、いつの間にか凌統が一方的に声を荒げて話していた。その内容は、いつも聞いている自分への文句である。
またかと思いながら、前方に見える宮の階段を眺めて、甘寧は凌統に気付かれないように溜め息をついた。

「何溜め息ついてんだよ。」

しっかり聞こえたらしい。
というか、吐く息が白くて判ったようである。
しかし甘寧は、最初から凌統の声を聞いていたし相槌だって普通に打っていたつもりなのに、何が原因で凌統の怒りを誘ったのか、よくわからなかった。

順を追って思い出してみる。
確か、“あんたの軍の一人が、俺の軍に編入したいと具申してきたんだけど”と凌統から話が出たのだ。
食客時代から連れ添ってきた奴だった。戦力としては並みの腕だが、物覚えが良くて足も速いから、斥候や工作に向いている男。
その兵の名前を聞いて、甘寧は少しだけ残念に思ったけれど、何も名残惜しいことはなかった。きっと凌統の軍ならば上手く働けるだろう。凌統は人を見る目があるし、適材適所を考える。そして、自分よりずっと気にかけてくれるだろう。
凌統は自分以外の人間には優しいことを、甘寧は知っている。自分以外には穏やかに笑顔を作って自然に話をしている所を、何度も見かけたことがある。
甘寧はどこか、心の中に風が吹くような寂しさを感じた。

「だからさ、もっと戦術を考えて軍を動かせよ。考えなしに突っ込んで、軍全体に損害出たらどうすんだって何回言ったら分かるんだよ!」
「面倒くせえな。戦になっちまったら、最終的には個々の力が物を言うもんだろ。陣形の基本や動きも、武具の扱いはみっちり鍛えてある。野郎共は頼りにしてるぜ。あいつのことだって、あいつが決めたことだ。俺は遺恨も何ももたねえよ。・・・お前、何でそんなに怒ってんだ?」

というと、凌統はいよいよ大きくため息をついて立ち止まった。
甘寧も立ち止まる。

「・・・あんた、一人で戦してるんじゃねえのに・・・。」

凌統は呟いて、先に行ってしまった。肩がすれ違う瞬間、少し寂しい目をしていたような気がする。
今までにない顔だった。今までならば、より一層怒鳴っていたところだ。
流石に驚いて、早足で歩く凌統の後ろ姿を見ながら、甘寧は考えた。


どうしてあんな目をしたんだろう。
孫呉もあいつも、認めてくれている。
(孫呉は居心地がいい。暴れがいがあるってもんよ。)
例えば、しがない文官あたりが凌統と同じことを言ってきたら?
(睨み効かせて脅すか、ムカついたらぶん殴るか・・・おっさんや陸遜は別として。)
でも、呂蒙や陸遜と、凌統は、何かが違う。
(背中預けられるような奴は、確かに凌統ぐらいだけどよ。)
(・・・あいつが隣にいると、いいんだよな。)
(1人が2人に変わるだけ・・・


甘寧は、頭の中で糸がほどけたような気がして目を見開いた。
そして、突然走りだした。

商人と肩がぶつかって持っていた野菜が宙に舞う。酒屋から出てきた兵に声をかけられるが、それどころではなかった。
自分の中で天地がひっくり返ってしまうような感情にぶち当たってしまったのだ。
感情を知ってしまったら、ひたすら走った。走って、走って、走るしかなかった。
今までずっと一人で生きてきたことに、また、それに慣れてきた。そんな自分に特別な存在ができるということは、国の存亡の問題と同じくらいの重大事件だった。そして凌統は、一人に慣れた自分に気付いていたのかもしれない。そんな風に奴は、俺を認めていた。
火山の爆発が起きたように溶岩の如く流れ出し、抑えるにも抑えられず体から溢れてしまいそうで。


一心不乱に走って辿り着いた先は、城から一番遠い船着き場だった。
勢いのままに船に乗ってはみたものの、縁に止められてその先を突っ走ることはできなかった。
甘寧は肩で息をしながら江の流れを見渡す。
天は曇り。江の流れはやや速く、身を切るような風の冷たさを運んできて、甘寧は鼻をすすった。
この江のように流れ流れてきた身、今までの止まり木には、捨ててきたものは沢山あっても置いてきたものはその半分もない。
面白いと思ったものは沢山あって、すぐに手をつけては程なくして大概飽きた。全て、水面に浮かんでは消える水の泡のようだと、思ったのに。
しかし凌統はどうだ。今までとは違うのだ。隣にいると、何か、いい。その“何か、いい”が、ずっと続く確信すらある。
こんな感情は、知らない。


「あ〜・・・畜生、らしくねえなあ。」

その時、手の甲に小さな冷たさを感じた。
何だとみてみると、中指の関節の下あたりに小さな小さな、水の粒がぽつりと。
視界の端に白い何かが写って、辺りを見渡すと玉のような雪が降っていた。甘寧が孫呉に来てから、初めての雪だ。
気分が高揚した甘寧は、早く凌統に知らせたいと思って咄嗟に立ちあがった。
そんな風に、反射的に思い浮かぶのだから、もう既に末期かもしれない。

(へへっ、やっぱ、言いてぇもんは言いてぇよなあ?)

甘寧は笑った。
そして船の縁を飛び越えて、走りだした。城門を通り越して、街並みを後にして。
雪が降ってきたと、一番に伝えたいから。
今の時間ならば、もう宮から邸に帰っているだろう、あいつの邸には何度か足を運んだことがあるが、使用人を通すのは面倒だ。
塀を飛び越え人の邸の庭を横切り、近道をする。凌統の邸の門ではなく、庭へ向かう。あっちからのほうが、奴の部屋に近い。
見えてきた。
伝えてもいいだろうか。
俺の、気持ちを。


「おい、凌統!」














全然父上関係ない話です。
元々はPCサイトに挙げていたのですが、読んでいてこっ恥ずかしくなり、削除しました。唯一三國で削除した話です。
タイトルがまた恥ずかしいので、今回リニューアルしました。