ドリップ・ドラッグ・ドロップ(現代)







「・・・ただいま〜。」

夜風を浴びがてら、ベランダで煙草を吸っていた甘寧の耳に、凌統の声が届いた。
既に日にちは変わっている時刻だ。いつもより遅い帰宅であったが、事前に飲み会で帰りが遅れると連絡があったから、甘寧は然程気にも留めず、玄関からこちらへ歩いてくる凌統をちらとだけ見、再びぼんやりと夜空を見ながら煙を吐き出した。

しばらくして、キッチンから水の流れる音がし始めた。次いで、冷蔵庫を開ける音、そして喉を鳴らして何かを飲む音。
そして、意味深なはあという溜息。
丁度煙草も根元の辺りまで吸いきったし、甘寧は携帯灰皿に吸殻を押しつけてリビングへと戻った。
凌統は冷蔵庫の前で軽食を物色していて、一瞬目があったがすぐに逸らされる。
甘寧はミネラルウォーターを口にしながら話しかけた。

「お前、外で食ってきたんじゃなかったのかよ。」
「小腹か空いちまってね。あ、冷蔵庫にオムライス入れとくけど食うなよ。明日の俺の晩飯だからな。」
「半分ぐらいいいじゃねぇか。」
「駄目。」
「つーかお前、全然酔っぱらってねぇな。」

そこで、何か言おうとした凌統はどうしてか口を噤んで目を泳がせた。
が、甘寧は問いただそうとはせずに、リビングに移動してソファにどかりと座った。そして、リビングテーブルにあった自分の携帯のランプがピカピカ光っていたので開いてみる。
陸遜からメールが来ていた。その内容を見ながら、甘寧は少しばかり考えた。

甘寧は、凌統が何の仕事をしているかなど全く興味を持たない。
実際二人は、互いの仕事について殆ど話しをしなかった。一応凌統は、甘寧が美容室で働いているとは知っているようだが、それ以上は聞いてこない。
甘寧もまた、凌統の仕事での交友関係は少しだけ知っている。凌統が時々晩酌で酔いがまわった時、独りごとのように仕事のことをぼやくのだが、その端々に“呂蒙”や“周瑜”という人物の名前を出しては称えているのだ。
凌統が尊敬する野郎だ、きっといい奴等なのだろう。
けれど、やはり詳しく聞くことはなかった。そのくらいの距離が心地いいし、また丁度いいのだ。

それに、何となく仕事での凌統は割と人気があるように思える、今日のように仕事場関係の飲み会は結構誘われるようで、参加不参加は凌統の気まぐれ次第。しかし参加すると凌統は、かなり酔っぱらって帰ってくる。
しかも酔いが顔に出ないタイプときたもんだ。
玄関を元気よく開いたと同時にぶっ倒れて眠りこけたり、甘寧の靴の中に吐いたり(どうせなら自分の靴に吐けと流石にムカついた)、意外と酒にはだらしがない。
その度に甘寧は適当に布団に投げ込んだり、そのまま体を頂戴しているわけだが。

しかし今日はどうだ。
リビングで部屋着に着替え出した凌統の目は座っていないし、先ほど玄関からリビングに向かってきていた足取りはしっかりとしていて、むしろ酒臭くもない。
甘寧は眉を顰めた。
やっぱりどこか様子がおかしい。
その表情は、どこか機嫌が悪そうにも見えるが、怒っているようにはみえない。
なのに、見事に眉間には深い皺が刻まれている。

(飲みの席で喧嘩するような野郎じゃねぇしな。)
(ああ、つっても俺とは最初、喧嘩から始まってるか。)

「・・・。」
「・・・。」

凌統は怒る時は口に出して怒る。
嬉しい時は少し困った顔で笑う。
悲しい時は・・・膝を抱えて背を向ける。
この無言は、悲しい時に少し似ている。
携帯画面を見ながら、陸遜への返信を考えあぐねていたら、傍に凌統がそっと立った。
甘寧は凌統の顔を仰ぐと、凌統は寂しそうに笑っていた。
寂しい時にすりよってくる猫みたいだ。

「なんだ?お前。」
「今日の飲み会で、こんなの貰ったんだけど。」

無造作にぽいと投げてよこしてきたのは、タブレットに入った白い飴かガムのようなものだった。それは親指の爪程の大きさで二つあって、ケースか何かに入っている訳ではなくタブレットにも何も書いてはいないから、何だか全く分からない。
甘寧は手にしたそれと凌統とを見比べて、これは何だと眉間に皺をよせる。
そんな甘寧の表情に、凌統は少し唇を震わせて、目を逸らしたまま静かに口を開いた。

「大人のクスリのガム、だってさ。」
「・・・媚薬ってことか?」
「そう。今日の飲み会、アメリカに出張に行って帰って来た先輩の慰安会みたいなもんだったんだけど・・・。その土産で、何故か渡されちまったわけ・・・。」

凌統の話は段々小声になり、とうとうフェイドアウトしてしまった。
未だ凌統は目を泳がせているから、目線で続きを促すと、凌統は再び話を続けた。

「まあ、その人先輩だったからさ、仕方なく貰ったけど・・・コレ、女用なんだってさ。”彼女に使ってやれ”だってさ。薬っつってもちゃんとしたやつらしいけど・・・女用つっても・・・ホラ、俺男だろ?」
「・・・。」
「・・・あんたも男だし・・・俺にいるのはあんただし・・・・・・・・・そしたらこれ、使えねぇし・・・」
「・・・。」

甘寧は何故か泣きそうな凌統の顔をじっと見、そして手にした白い塊に目線を落とした。
凌統曰く、コイツはそういう代物で但し女にしか効果は無い。だから、貰っても、自分と俺は使えない。
成る程、凌統が気にしそうなことだ。

(・・・くだらねぇな。)

甘寧はおもむろに手にしていたタブレットをパキリと折って、出てきたガムをぽいと口に放り込み、何事も無かったように咀嚼する。
それを見た凌統は目を丸くして息を飲んだ。

「ちょっとあんた!食っちゃ駄目でしょうが!今の俺の話聞いてたのか!?」
「元々は食いモンなんだから、別に食っても死ぬことはねぇだろ。せいぜい腹壊すぐらいじゃねぇの?それか何か?使いたかったのか?お前。」
「そ、そういうわけじゃねぇっつの!」

嘘だ。
凌統は、本当は少し興味があったのだ。
でも自分は使えないし、甘寧自身にも使えないと知って、今更ながらこんな馬鹿げたガム一つに同性同士ということを思い知ったのだ。
しかし、女用のガムは咀嚼していても何の味もしないし、突然込み上げてくるような欲も、拒絶するような吐き気すらも沸いてこない。
沸いてくるのはそうだ、今すぐ凌統を愛でたいという気持ち。
これがこのガムの作用ならば当たりだが、そんなのいつもと変わりはないじゃないか。
"俺にいるのはあんただし"の殺し文句のほうが、よっぽど心に響いてしょうがない。未来なんてどうでもよくなるくらいブッ飛ぶ最高のやつだ。
しかも凌統がコイツを俺と使う気になったなんて・・・なぁ?

(クソ・・・!)

甘寧はガムを租借しながら、ソファの上に膝立ちになった。

「そんな事ぐらいでへこんでんなよ。」
「・・・悪かったな。」
「誰も悪いなんて言ってねぇだろうが。それに、こんなもんなくてもヤることは変わりねぇだろ?」
「・・・。」

凌統は無言のまま、小さく頷いたように見えた。
心の中でよしと呟くと、甘寧はもう一つあるガムをタブから出して、凌統の唇へ押し当てた。

「折角二つあるんだ。効果があるかどうか、一緒に試してみようぜ。」

しばらく甘寧をじっと見つめていた凌統だったが、ふと小さく笑うと小さく唇を開いて、舌を覗かせながらガムを口の中へ招き入れた。
舌で唇を一舐めしたのが、これから起こるであろう絡み合いと欲の海からの誘いに乗るようで、甘寧を見下ろしたその瞳は、既に淫らな炎が灯っていた。







現代で媚薬つったらこうなるかな、と思って。
ガムタイプとチョコタイプと液体タイプ、どれにしようか悩んだ結果、何となくガムにしてみました。