産声(陸甘凌)



甘寧と凌統は、陸遜の房で陸遜とともに次の戦の策について話をしていた。
主に、陸遜は地形や陣形の配置の確認を二人に話し、甘寧と凌統はそれを元にどの軍をどこへ配置し、どの武器を使うかを考えて話し合う。
そんな時、陸遜のもとへ来客があった。

「すみません、少し席を外します。」

元々この房に来る前に、来客がある旨は陸遜より聞いていたので、二人は小さく頭を下げた陸遜を静かに見送り、黙って卓の上に敷かれた地図に目線を落としながら、続けて軍の配備を考える。
やがて、陸遜と来客の話し声が二人の耳に届き始めた。陸遜の客は、房の入口のすぐ手前までやってきていたらしい。

「兄上、戦の話をしてらっしゃったのですか?大事な時に邪魔をしてしまい、申し訳ありません。すぐに退散します。」
「貴方が気にする事ではありませんよ。ですが、突然どうしました?」
「遅ればせながら、祝いの品をお届けに参りました。益州より手に入れた絹です。」
「え、祝い?」
「兄上の誕生日です!もしかしてお忘れだったのですか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・あぁ!!わざわざそんな気遣いなど無用なのに・・・。ありがとう、大事に使います。」

そんな会話を聞きながら黙っていた甘寧と凌統だったが、地図に目線を落としつつ、先に甘寧が口を開いた。

「・・・凌統よぉ、陸遜に弟なんていたのかよ。」

それを受けて、凌統は地図に軍の陣形に見立てた小さな木の塊を起きながら、甘寧に答える。

「ああ。陸瑁っていってね。俺も2,3回は顔を見たことはあるよ。話をしたことはないけどね。」

そうなると、甘寧は陸遜の弟はどのような奴だろうと気になって、少し首を伸ばして入口のほうを眺めてみた。
そこには、顔も声色も陸遜によく似た少年が、にこにこと笑って陸遜を見上げていた。
しかしその格好はどうだ。陸遜の煌びやかな衣とはまるで対照的な、水簿らしい格好をしているではないか。どんな生活を送っているのかと思ったけれど、手に持っている陸遜への贈り物らしい赤い絹は、遠目で見ても上級の品だと言う事が分かる。金に困っている訳ではなさそうだ。
それから、顔や、声色が似るのは兄弟だからわかるが、どうしてまた、話し方がまるで同じなのだろう。

「兄上も最近戦続きでお疲れでしょう。たまには私の邸に遊びに来てください。」
「そうですね。次の戦がひと段落したら、足を運びます。その時は、また昔のように夜通し語りたいですね。」
「はいっ、楽しみにしていますね!」

そんなやり取りを見守りつつ甘寧だったが、再びそっと椅子に腰を落として小声で凌統に話しかける。

「おい、凌統。なんであの弟、あんな格好してんだ。」
「節制してるんだってさ。金に困ってるわけではないみたいだよ。」
「へぇ、お前もちっと見習ったらどうだ。」
「おいおい、俺は無駄使いはしてないぜ。ていうか、毎日宴会してるあんたこそ、ちょっと節約したらどうだい。」
「へっ、金は使ってなんぼだろうが!・・・にしても、あんな陸遜の面、初めて見たぜ。」
「そうだねぇ・・・。」

陸遜は少年と青年の狭間にいる年齢ではあるが、その頭の回転といい、持ち出す策といい、年齢を逸脱している働きをする。しかし、親類の前となるとやはり年相応の何かが出てくるようだ。甘寧のように、実際二人の兄弟のやりとりを目にしない凌統でも分かるくらいなのだ。

(いっつも、気ィ張ってそうだからねぇ。)

凌統が地図に置いた陣形を甘寧が真剣な表情で直している。凌統はそれを見ながら腕組みをし、考えた。
最近の陸遜は軍師としての責務を果たそうと、毎日奔走している。夜更けまで書簡に目を通して勉学に励んでいる姿を何度も見ているし、その傍ら、孫権や呂蒙などの上司や、文官たちとも話し合う機会が自分や甘寧に比べるとずっと多い。また、陸遜は軍師でもあるが、一人の将軍でもある。昼間は自分の兵の練兵も行っている。

(飯は食ってるし、割と頑丈そうだし。その辺の心配はなさそうだけど・・・。)

といっても、若く未だ無名の陸遜が軍師に抜擢された事を快く思っていない将もいて、陸遜はそちらに苦心しているようにも見えた。
この辺りで、何か喜ぶことがあってもいいと思うのだが。
さっき少し耳に入ってきた話では、陸遜は誕生日を迎えたばかりらしい。これはいい機会ではないのか?
凌統は、顔をあげて甘寧に言う。

「なあ、甘寧。ちょっと提案があるんだけどさ。耳貸してくれよ。」

凌統の言葉に訝しんだ甘寧は、凌統の言葉の真意を探るようにやや眉を顰め、やがて素直に耳を向ける。
凌統はそれに向かって、考えを耳打ちした。





陸遜が弟の陸瑁と話が終わった頃を見計らい、甘寧と凌統は席を立って陸遜の前にやってきた。

「軍師殿、さっきの策だけど、甘寧とまとめちまったよ。」
「えっ?それは大変失礼しました、話が少し長くなってしまって。」
「いいってこった!それよりあの陣だけどよ。ちょっとおっさんに相談してきていいか?」
「ええ、それは勿論ですが・・・私も参ります。」
「いいよ。呂蒙殿に話をしてきた後に、また報告しに来ますよ。」

というと、二人揃って陸遜の房を出た。二人を見送る陸遜は心配そうに立っていたが、二人がじゃあと軽く挨拶をするとやや困惑した顔で深く礼をしてみせる。そして、しばらくして二人を見送り、陸瑁から貰った手の中の絹に目を落とすと嬉しそうに顔を綻ばせた。
それを見た甘寧と凌統の二人は、陸遜に背を向けて、目線を合わせて不敵に笑った。
嘘も方便。策なんぞ少しもまとまっていない。
まとまったのは、陸遜の誕生祝いとして、何かを送ること。しかも、陸遜に悟られないようにである。
それから、二人はもう一人の将を巻きこむべく、その人物の房へと足を運んだ。




丁度呂蒙は、戦の報告をするのに書簡をしたためていた所であった。
まず呂蒙は、甘寧と凌統が二人揃って房に訪れたことに対して目を丸くし、二人から陸遜に祝いの品を送りたいという言葉に、さらに耳を疑った。
あの、孫呉でも犬猿の仲で、呂蒙自身も長い事頭を悩ませていた二人が、喧嘩をすることなく房にやってくるとは。時は善く経ったものだ。
ついつい涙腺が崩壊してしまいそうになる。

が、そこは上手くこらえ、呂蒙は二人を快くもてなし、二人から話を聞くと早速顎に手をやり考え始めた。

「ううむ・・・。贈り物といったら普通は何になるのだ。俺はそういうものを考えるのに疎いからな。」
「酒じゃねえの?」

甘寧はよく考えずに、自分が貰って嬉しい物を言ってみたのだが、凌統はつい呆れて溜息を漏らす。

「陸遜は未成年。考えずに言うなっつの。」
「ンだぁ?じゃあてめぇは何か考えがあるってのか?」
「そうだねえ・・・。絹とか、装飾品とか?あ、筆とか。」
「よくそんなに思いつくものだな。」
「ほら、陸遜ってよくそういうの使ってるし。あと一応俺も貰い慣れてるからね。でも絹はさっき貰ってたし・・・一番いいのはやっぱり、陸遜の好きそうなものだけど・・・。」
「・・・・・・・・・火矢、か?」
「うーん・・・。確かに武具は貰って嬉しいもんだけど、なんかもうちょっと戦から離れたものにしたいよねぇ。」
「鈴とか。」
「わかった、あんたはもう黙ってな。」

そこで、呂蒙はふうと小さくため息をついた。

「全く、俺も不甲斐ないな。陸遜と仕事をし始め月日も経つというのに、あいつの好みもわからんとは。」
「しょうがないですよ、陸遜はそういうのあんまり言わないし。」

三人は、同時に腕を組んで天井を仰いだ。一体何が一番陸遜は喜ぶだろうか。
古の書簡などはきっと喜ぶだろうが、陸遜の事だ、既に読破している可能性がある。憧れているという諸葛亮の所へ修行に出すとか。いや、それは色々な意味で危険極まりない。
ふいに甘寧が口を開いた。

「物じゃなくてもいいんだよな。」
「?どういうこと?」
「つまり、こういうこったろ?」

というと、甘寧は凌統と呂蒙の間に立ち、二人の首に腕をかけて自分のほうへ寄せた。そして、その耳にそっと耳打ちをしたのである。






甘寧と凌統が、再び陸遜の房へやってくると、陸遜はすっと席を立って頭を垂れた。

「お二人とも、先ほどはありがとうございました。いかがでしたか?やはり私も呂蒙殿の所へ行けばよかったでしょうか・・・。」
「いいんだよ。軍師殿は他にも準備があるだろ?それより、呂蒙殿と話し合った結果なんだけどさ。」

というと、甘寧と凌統は顔を見合わせて、小さく笑った。

「陸遜、お前は休んどけ。」
「・・・・・・え?」
「3日の休養だ。これが、俺等の考えた策ってわけ。」
「どういう、ことですか?私は暇を与えられ・・・「いやいやいや、そういうんじゃないよ。あ〜、つまり、いっつも頑張ってる軍師殿に、俺等から誕生日祝いだ。さっき来た弟と、久しぶりに長く語らってきたらどうだい?」

自体が飲み込めず、自分は重役から外されるのだと顔を青くしていた陸遜は、二人の真意は単に自分を祝う物で、そこには何の裏もないということを悟り、段々恥ずかしそうに俯いてしまった。

「あ、ありがとうございます。その・・・こういうのは初めてに等しいので、一体どうすればよいのか・・・。」
「英気を養ってもらってきてくれれば、それでいいよ。」
「そうだぜ!しっかり働いてしっかり休む!そうしないと、てめぇの頭も鈍っちまうだろうが!」
「あんたは休み過ぎなんだっての!」
「あはは、ありがとうございます!」

自ら産声を上げた日。
この世界に広がるあまりにも大きな空を見上げて、驚いて声を上げた日。
乱世に生まれ落ちて嘆きの声を上げた日。
でも、乱世であろうと、生とはこんなにも優しくて、楽しくて、謳歌できるものなのだ。

陸遜は、嬉しそうに二人に小さく礼をし年相応の満面の笑みを浮かべていた。





その後暫くして、建業の街中では、陸遜とそして陸遜とよく似た弟君が楽しげに店を歩いている姿が見かけられたという。







おまけ

「お前達・・・この陣形、滅茶苦茶だぞ。後衛がおらんではないか。」
「こいつがまた出張ろうとするんですもん、今度は俺が先陣切りたいんですよ!」
「誰が先陣渡すかよ!ここは俺が切り開くから、てめぇは後ろから付いてきやがれ!」
「やなこった!」
「やれやれ・・・。」









陸遜を幸せにしてあげよう計画の話でした。
陸遜ってお兄ちゃんなんだよなーと思って。弟君と、一緒の布団に入りながら夜通し策とか兵法の話をしていてほしいなって思います。