夢でも貴方を想うA(凌統)


※設定がこの話限定の現パロです。




少し首を仰け反らせれば、そこに窓があった。
自室の窓から見える風景は夜だから真っ暗で何も見えないが、それを縁取る窓枠もカーテンも全く変わりない。朝だって見た。
けれど、この状況は生まれて初めてだ。

「っちょ・・・っ、」

男に襲われている、この状況は。






自分の家が花屋だと自覚したのは一体いつだか、凌統はよく覚えていない。
ただ、毎日父は早起きをしてどこかに行っていて、凌統が朝起きるとほぼ同じ時間に沢山の花を抱えて帰ってきた。その花をお客さんに手渡すと皆笑顔になるから、父は夜な夜な魔法の花を摘んできているのだと思っていた。
だから、凌統は毎朝父を労う日課があった。起きてすぐに、2階の自分の部屋から窓を開けて見下ろすこと。すると丁度父が帰ってきた所に遭遇するのだ。

“父上、おかえりなさい!”
“公績、おはよう、ただいま。”

その時こちらを見上げている父の笑顔と、言葉と、両腕から零れ落ちんばかりの沢山の花々とが全て輝いて見えて、身体がほかほかした。


母は物心ついた時からいなかった。
それでも全く寂しく無かったのは、学校が終わればいつでも父が家を兼ねた店で待っていて、“おかえり”と言ってくれるから。
それから、父より年上でおっとりとしているパートの佐藤さんという女性の存在も大きい。佐藤さんは凌統に優しくて、父が忙しい時は夕飯を作ってくれたり、勉強を見てくれたりした。
二人きりの親子の間で、父はいつも口癖のように言っていたことがある。

“お父さんはな、向かいの劇場で会った女のお客さんに惚れて、ここに店を作ったんだ。そのお客さんに花束を作りたくて。そのためにめいっぱい、この家を花で明るくして、いつ来てくれてもいいように沢山沢山花を用意してるんだ。”

そんな父に、ある日凌統は尋ねた。

“父上、その人が俺の母上?”
“いいや・・・。その女の人は、確かに店に来てくれた。でも、男の人と子供を連れてやってきたんだ。いやあ、その夜は泣いたよ。”
“じゃあ、俺の母上は?”
“お前の母上はね、高校の同級生さ。母上が、俺のことを好きだって言ってくれたんだ。”
“佐藤さん?”
“違うよ。”
“父上、俺の母上は生きてるの?”
“さあなあ・・・。母上は、花じゃあお腹いっぱいになれなかったのかもな。”

その時の父の寂しそうだけど優しい瞳を、凌統は忘れない。
そして、段々店の前に存在している劇場に興味を持った。
凌統にとって、この家自体が父のような存在だとしたら、向かいの劇場が母のような存在になったのかもしれない。
父上は、皆に魔法をかけたかったんじゃなくて、一人の人を喜ばせたかっただけ。
こんなに父が綺麗な花を用意して待っているのに、一向に振り向かない劇場。
劇場の社員も誰も来ない、見向きもしない花屋。そして、この家。
やってくるのは劇場で高揚した観客ばかり。
凌統は年を重ねるにつれ、向かいの劇場を睨むようになった。
窓を開けると劇場が見えるから、窓も開けなくなった。



だから、凌統は家業を継ごうと思った。理由は2つ。
一つは家を継ぐため。もう一つは、父の代わりに向かいの劇場を振り向かせるため。
そのために見様見真似で初めて作った花束は、それはもう目もあてられないぐらい酷いものだったのを覚えている。
パートの佐藤さんにも“センスがない”とハッキリ言われてしまったぐらいだけれど、それでもどうにかこちらを振り向いてほしいくて、山川に足を運んだし、らしくないと思いながら花の勉強だってしたし、デザインの勉強もしたし華道に従事さえした。
フラワーアレンジメントの大会に出て賞も取って、受注も多くなって・・・。
そうしてやっと認められた時には、父は花の発注業のほうに専念してしまっていて、いつしか自分が店の切り盛りをしていた。
気付いたら、何を目的にこの場にいるのか分からなくなっていた。





そんな時に甘寧は突然やってきた。
いきなり戸を開けて入ってきた甘寧は、どこかの組の鉄砲玉のような風合いだったから心の中では身構えつつ、凌統はいつもの顔を崩さずに応対したところ。

“おい、目の前の孫呉劇場ホールの甘興覇ってもんだけどよ。急いで祝い花を作って持ってきてほしんだ、頼む!”

と頭を下げたではないか。
つい目を見開いた。
心が高揚するのを抑えつけながら、いつもと同じように応対して、いつもと同じように花を作り・・・

そして、はじめてあの劇場に入った。
父の念願であったあの劇場が、こちらを振り向いたのだ。
入ってみればあっけなく、想像よりもずっと普通であった。床に敷き詰められた臙脂の絨毯も、大きな柱も、時間になれば人を飲み込んでは吐き出す大きな防音扉も、全てが凌統の生まれる前に造られただけあって、それだけの年季を感じる。
でも、遠く高い天井から吊るされているシャンデリアのオレンジ色の光が、とても温かかった。


甘寧に鷺草の鉢植えをやったのは、気まぐれだ。
その日、とうとう念願の劇場に足を運んだ高揚と、勢いに任せてあげた所もある。

だからなのか何なのか、甘寧はそれで終わることはなく、その日以来昼になると毎日店にやってくるようになった。
昼飯の牛丼の入ったコンビニ袋をぶら下げて、店の中のカウンターで掻き込んでいく。
凌統は邪魔だと一蹴したいのだけれど、甘寧はいつも劇場の仕事を運んでくるからぞんざいには扱えない。
そんな甘寧は、気がついたら佐藤さんとも仲良くなっているし、ここが凌統の店兼自宅であると分かると堂々と昼寝をしていくまでになったし、仕事帰りに勝手に酒を持ち込んで一杯やって次の日の朝まで居座るまで、厚かましくなった。

“おいアンタ!俺の家を勝手に部屋にすんなよな!”
“いいじゃねえか、そうケチケチすんな。”
“いいわけあるかっつの!とっとと会社に戻れ!このサボリ!”

いつだかのやりとりを佐藤さんが笑って聞いていたっけ。
そして“公績さんはいいお友達を持ちましたね。”なんて心外な言葉まで貰った。
お友達なんかじゃない、ただの仕事の付き合いだってのに。

それが、どうしてこんなことに。

「あ、う・・・」

下着をずり下ろされて、全くその気になっていない下半身を無理矢理鷲掴まれる。
もう逃げ道はない、いや、でもこのまま流されるわけにはいかない。
凌統は、声が漏れるのを我慢するように唇を噛んで耐える。
そして考えた。
何をしに来たんだろう。
今日はクリスマスで、甘寧だって劇場主宰のクリスマスコンサートで忙しかったようだ。
自分だって、駅前のイルミネーションにフラワーアレンジを施しに行ったり、大量に作っておいたクリスマスリースを発送したり、劇場のどでかいクリスマスツリーに花をあしらいに行ったり。
夜になって、佐藤さんも帰った後、県外に花を求めに行っている父上に電話でもしようかな、と思った時に甘寧がやってきたのだ。
仕事場から直接来たのか、普通の黒いスーツ姿である。
いつも仕事を貰うと、甘寧は決まってすぐに礼を言いに来るから、今日もそれだと思って、凌統は普通に応対した。

“ああ、あんた。今日はお疲れだったね。いやあ、こっちもリースが大量に売れたよ。”
“・・・。”
“明日からは正月飾りだな。あんたも年末年始の興行の準備とかあるんじゃないの?チラシ貰ったよ。”
“・・・。”

だが、甘寧はずっと黙ったまま凌統を睨みつける。
何かあったのかとその顔を覗きこもうとしたら、乱暴に手首を掴まれて、無理矢理2階の自室に引きずられ、押し倒された。
そして今に至る。

「もっ・・・あんたどけっつの!」
「やだ。」
「やだって・・・おい!ここ俺の家でっ、仕事がっ・・・!」

甘寧は獣のように凌統の四肢を押さえつけながら、首筋に顔を埋めた。
低い吐息に、恐怖めいたものを感じて凌統は喉を震わせた。
なんだよ、あれか?
クリスマスに仕事に追われて、女の子と戯れることもなく終わりそうで、虚しくなって見境なくなったって?
クリスマスが仕事で終わるのは凌統だって同じだ。でも、今年に始まったことじゃない。

「おいって・・・やめろって、なあ。」

甘寧の袖を引っ張ると、少し頭をあげた。
オールバックにしている黒髪が一筋はらりと落ちて、瞳にかかっている。
その鋭い瞳に物怖じしかけた凌統は歯を食いしばりながら、力を押しのけようとするけれど、今度は首筋を吸われて逆に力が抜けてしまった。
追い打ちをかけるように甘寧は言う。

「お前に惚れちまったんだ。」

その言葉に、凌統は何故か背筋が震えた。

「お前の・・・何がいいんだかよくわかんねぇけど。でも、お前が好きだ。」

何だそれ。
意味が分からない。なのに、甘寧の手は止まらず、むしろ先ほどより熱い吐息を吐いている。

(ここまで、振り向かせる予定じゃなかったのに・・・)

でもその言葉は正直涙が出そうになった。

どうしてだろう。

“貴方の作る作品が好き、ありがとう。”

最近聞きなれた言葉。
そんな、別れ話みたいな言葉が欲しいのではなくて。
欲しい言葉は、待っていた言葉は。
ああ、そうか・・・。

(父上、これ、いいのかな・・・。)

前を扱かれながら、凌統はとめどなく溢れる蜂蜜の海に身体が溺れていくような感覚に陥った。
そして、甘寧が自分のズボンのベルトをせわしなく引きぬいた音を、息を飲んで聞いていた。





結局朝まで甘寧は居座り、むしろベッドを共にしてしまった。
凌統はぼんやりと身体を起すと、何とも言えない下半身の倦怠感に思わずその場に崩れ落ちそうになったけれど、何とかやりすごして適当に服を着て部屋を出た。

(・・・花の発注・・・しなくちゃ。)

残っている花と、今欲しい花のリストを父上に伝えなくては・・・。
上手く働かない頭はボサボサで、それから身体中が甘寧の頭のワックスでべたべたで気持ち悪い。
そういえば昨日は風呂にも入ってなければ夕飯も食べていない。凌統は深くため息をついた。
1階の店に降りると、カウンターの端に食べかけのパンが置いてあって、思わずそれに手を伸ばした。
そして、足元には売れ残りの小さなポインセチアが1つ。
ポインセチアにも幾つか種類がある。凌統はそのうち赤と白の2種類を父に頼んで取り寄せてもらった。しかし正直、ポインセチアは赤がやはり人気で、売れ残った1鉢は白だった。また、祭日と結びつきの深い花というのは、売れ残ると扱いに困る。でも、それをどうにかアレンジするのがこの仕事。さて、どうしようか。
そこに甘寧がやってきた。

「ういーっす。」
「げ。」
「げ、じゃねぇよ。凌統、風呂貸せ。」
「おいおい、そういうのは“貸してください”だろ?」

ぼりぼりと掻く頭は見るからにべたべたで、また、二の腕あたりにちらつく引っかき傷を見てつい顔を背ける。
・・・。
そういえば、“好き”への返答をしていない、ような。

「なあ、おい、あんた。」
「何だよ。」
「コレ、やるよ。」

凌統はそう言って、売れ残りのポインセチアを甘寧の手にぶっきらぼうに渡した。

「あんた、この間の鷺草、枯らしちまったっていってたしさ。ああ、そいつも暖房とか、水の調節が難しいからせいぜいがんばるこった。」
「?ああ。」
「それからさ・・・。そいつの花言葉なんだけど・・・・・・。」

凌統は足早に甘寧に近づき、耳元にそっと唇を寄せた。

“私の心は燃えているっ”ていうんだぜ?

どうして燃えてるのかっていうのは、聞かれても言わない。
私って誰かも言わない。
凌統は言うだけ言って、甘寧を無理矢理追い出すのに両腕で突き飛ばそうとした。
が、すぐさま甘寧は凌統の腕をひっぱって、唇をかすめ取り、もう片方の手で器用にポケットの携帯を取り出した。

「ああ、大喬さん?おう、甘興覇ッス。俺今日すんげー腹痛くって、休みます。今病院いるンす。・・・あ、ああ。そこまでしなくても・・・おう、多分大丈夫っす、・・・おっさんにはまた後で別に連絡しときますんで、はい、はーい。」

一体何が起こるのかと、凌統は首を傾げて甘寧の顔を覗きこむ。
甘寧が電話を切りながら、不敵に笑った。

「・・・な、何だよ・・・。」
「つーわけでよ、テメェから誘ったんだ。きっちり相手してくれよ。」
「なっ・・・!嫌だ!離せ!俺は今日も店開けないといけねぇんだから!それに風呂も・・・!」
「じゃ、まずは風呂場で、な。」
「そうじゃねえっつの!!」

でも、そんな風に怒鳴る凌統は、密かに心躍らせている自分がいることに気づいていた。

悪くないかもしれない。
今更自分のことをコイツに語ることなんてしたくはない。
そして、きっと語ったところで奴は鼻で笑い飛ばすのだろう。
生まれた時から変わらないこの風景に、新しいけれど待ち望んだ者が出入りしている。
少しくすぐったいが・・・きっと・・・。

凌統は、強く手首を引っ張られながら小さく笑った。







夢でも貴方を想う=サギソウの花言葉です。
クリスマスの話です。