サイレントデジャヴ(キリリク10001 弌様より)

※現パロ、輪廻を含みます。


甘寧は現在飛行機に乗っている。
初めて乗る飛行機だ。本当ならもっと両手放しではしゃぐ所なのだが、この状況では隣の窓から眼下の夜景を眺めることすらできない。
飛行機の行く先は上海らしい。
“らしい”というのは、自分がどこへ行くのか誰からも知らされていないからだ。
甘寧を無理矢理空港に連れてきて、飛行機に押し込めるようにして乗せたのは凌統である。
一応凌統は隣の席に居るには居るが、今までで最凶最悪と言える程に機嫌が悪い。
凌統は無表情に近い顔で、唇を真一文字に結んだままずっと前を見ている。
僅かに眉間に寄っている皺で、気に食わないことがあったんだなあと分かる程度。ひと言も口を利いてくれそうにない。冗談でも言ったら、本気で殴られそうだ。
仕方なく、甘寧は暗い空を見るだけに留まり、どうしてこうなったか、一つずつ頭の中を整理していくことに専念した。


本当は凌統だけが、今日この便で上海に行く予定であった。
予定は甘寧も2カ月前から聞かされていて、渡中の理由は、仕事の関係でクライアントに会うとか何とか。

(俺も行きてぇ!)
(仕事で行くんだから無理だっつの!)

海外と聞いて血が滾り、思うままに叫んだら見事に一蹴された。
でも、僅かに期待を抱いたのは、自分がパスポートを持っていたからだ。
凌統にそれを見せびらかして、“俺だってパスポートの1つや2つ持ってるぜ”と言ったら、呆れたようにため息をついて、でも次の瞬間には真面目な口調で“駄目だ”と釘を刺されて。
甘寧は凌統に手綱を引かれている自覚がある故、凌統というフィルターを通して世間を計る所がある。
凌統の言葉に揺らぎのない鋭さがあるということは、常識的に考えて本当に駄目だということだ。
甘寧は素直に上海行きを諦め、流れで自分がパスポートを取得した経緯を凌統に話した。

(ちょっと前に漫画喫茶で読んだ漫画がえらく面白くてよ、どっかに行く予定はなかったんだけど、海賊王になりたくて勢いで取った。ほら、一応外国に行くには必要だろ?これ貰うのって結構面倒なのな。見てみろ俺の写真。酷ぇ面してんだろ?お前のも見せろよ。)

そこで凌統はやっと笑って、パスポートを持ってきて見せてくれた。
写っていた凌統は当たり前だがちょっと若くて、しかし見事に無表情で、笑いを含みながら指摘をすると、ビールの酔いが回ったのか、凌統は顔を赤くしてパスポートを手から奪われた。




(じゃあ、行ってくるよ。明後日の夜には帰ってくるからさ。)
(おう。)

スーツ姿の凌統と玄関先でチューなぞ、最初で最後のベタなことを自然にやってのけたのは、甘寧の記憶が確かならば、ついぞ10時間ほど前のことである。まだ1日も経っていない。明後日になるにはまだ早いはずだ。

そのチューから甘寧はもうひと眠りして、知り合いの美容室で少しばかり働いていた。
そこに、突然凌統が乱入してきたのだ。
時間は夕方。海外出張に行っているはずなのに、いきなり登場した恋人に甘寧は只々驚いていたら、凌統は何も言わずに近づいてきて、力強く手首を引っ掴み外に引っ張った。
一応凌統は、店長の陸遜に一声かけたが、あとは乱暴にタクシーに突っ込まれ、無理矢理空港にやってきて搭乗手続きをさせられ、セキュリティチェックも財布と携帯しかないのだからすんなり通り、税関チェックも出国手続きも無事完了、先ほど離陸。
一体何がどうなってこうしているのか、全くわからず、甘寧はひとり首を捻る。
その時丁度、綺麗なスチュワーデスのお姉ちゃんが、2人分の機内食を持ってきてくれた。
そういえば今日はろくに食べていない。正直な腹は見事にぐうと鳴る。

「食いなよ。」

隣から、凌統の声。
久しぶりに聞いた気がする声は、表情から察するよりずっと穏やかで安心した。
もう黙っていなくてもいいようだが、凌統が何か思っていることは事実。甘寧は機内食に手をつけず、しっかりと凌統のほうを向いてじっと見つめた。
凌統は一度、甘寧に何か言いたそうな瞳を向けたが、目を閉じて大きくため息をついた。

「あんたが悪いわけじゃぁないしね。俺も飯食うか。」
「おい、何かあったのかよ。これ、一体どういうつもりだ。」

凌統は力なく機内食のうちのパンを手に取ると、少し千切って口に入れた。
咀嚼して、ジャスミンティーを少し啜り、喉仏を上下させる。

「はぁ・・・。あっちのクライアントって結構いい加減なのは知ってたんだけどね。ドタキャンだ。今日の話自体、無かったことにしてくれって午前中に電話があったんだよ。
慌ててもう一回話を取り付けようとして電話をかけ直したら、今度は電話が繋がらねぇの。会社はちゃんと存在してるから詐欺ではないみたいだけど・・・まあ、それでムカついたわけ。」
「あぁ?」
「俺ともう一人の先輩であっちに行く予定だったんだけどさ。全部パーになっちまったし、色んな所に報告して、会社でぼんやりしてたらどういうわけか、上司が休みくれたんだよ。休みなんかいらないって言ったら、ちょっと羽根伸ばしてこい、だってさ。それで、仕方なく会社出て、キャリーを引っ張って家に向かってたら、また段々ムカついてきて…こうなったら是が非でも上海に行ってやるって思った。」
「…で、俺はどうしてここにいるんだ?」
「どうせならアンタもって。巻き添えだ。」
「俺のパスポートは?」
「一回家に戻って取ってきた。」

凌統は姿勢をただし、機内食をめいっぱい頬張り始めた。
巻き添えというか、完全に凌統の八つ当たりではないか。
だが、甘寧は嬉しくなってきた。いや、とても嬉しい。
普通の人間ならば、巻き添え喰らって怒る所なのかもしれないが、凌統の会社のことなど、甘寧にとってはどうでもいい話である。それに、凌統の八つ当たりは今に始まったことではないし、なんだかんだで遠慮しがちな凌統が、こうして無理矢理に引っ張り出してくれたのだ。
だから、棚ボタとはいえこうして凌統と旅行ができるのは純粋に嬉しい。
理由を聞いてすっきりした甘寧は、2泊3日の中国を楽しんでやろうと、まずは目の前の機内食をいただくのに張り切ったのである。




上海の空港に着いたのは夜も遅い時間だった。
パッケージツアーやフリープランの旅行ではない完全な個人旅であるので、まずはホテルから探さなくてはいけない。
2人は空港で円から元に換金し、ホテルの案内を貰って現地のタクシーを拾うと、上海の繁華街で適当なホテルを見つけてさっさとシャワーを浴び、その日は早々にベッドに沈んだ。

翌日。
ホテルの朝食ビュッフェを食べて(パン中心の朝食。中国らしいところといえば粥とギョウザがあるくらいだった。)早速観光である。
上海は観光にも力を入れているが、グルメ旅行や繁華街でショッピングなど、日本でもできることが多い。また、そういうプランは大概スイーツ女子向けだったりする。
甘寧も凌統も、そういうものではなく、自然を感じるような観光がしたいと思い、上海はお隣の、古都・杭州へ足を伸ばすことにした。

中国の新幹線に揺られて杭州の駅に降り立ち、駅近くのファーストフードのような雰囲気のする店でワンタンスープと野菜炒めで腹ごしらえをしながら、どこに行こうかと、ホテルで貰った地図を見ながら場所を吟味する。

「ん〜・・・ここだと、この西湖がいいらしいぜ?」
「へぇ。」

西湖はこのあたりでも一番の観光名所で、世界遺産にも指定される予定があるとかないとか。
店を出て、早速凌統が手帳に西湖と書いて、一番近くに居たタクシーの運転手に見せると、すぐに笑顔になって、乗れというジェスチャーをした。


流石観光地、西湖に向かうまでの道は整備されており、難なく目的地に辿り着いた。
運転手もいい奴で、ぼったくりではないから安心しろとか、財布をひったくられないように気を付けろと筆談で助言してくれたりした。
到着すると、現地民から物乞いの洗礼を受けたが華麗にスルーし、湖を取り巻く公園入り口を抜けると、すぐに巨大な水の塊のような湖が目の前に広がった。
空は靄がかかったように曇っていたが、日本のように多湿ではないし幾らか過ごしやすい。
和紙で覆ったかのような空、湖を縁取るように囲む木々の緑、花壇の花々、湖面を奔る遊覧船。
まるで絵の中の世界に飛び込んだようで、2人とも目を見開いて辺りを見回した。

「・・・すっげぇな。」
「やっぱり来て正解だったね。」
「おい、船に乗ってみようぜ!」

甘寧が遊覧船乗り場を発見して走り出した。その後を追うように凌統も。
チケットを買って乗り込むと、丁度遊覧船の出発時間だったようで、すぐに船は水を掻いて進み始めた。
船は、見た目は木でできた中国らしい作りをしていたが、中に入ると冷暖房が完備されているのに、幾つか並べられている椅子はとても簡素というちぐはぐ状態で、如何にもと凌統は思う。その間に甘寧は勝手に窓を開けて、船から身を乗り出して進行方向を眺めていた。

「ちょっと、あんた落ちないようにしなよ。」
「おい!あっちに島があるぜ!あそこに行くみてぇだ。」

巨大な湖の中に浮かぶ島もまた大きい。
甘寧は目線を下に向ける。この湖は浅い湖なのか、湖底の黒い岩が時々うっすらと見える。その間を魚が泳いでいて、水面を切り裂くように進む船が描く水の筋が美しい。

船は甘寧が思ったとおり、湖面に浮かぶ小さな島に到着し、乗客はそこで全員降ろされた。
島の中には売店や小さな喫茶店の他、このあたりの名産である茶館まであり、どこも自分たちのような観光客で賑わっている。
ここで記念写真を撮れとジェスチャーで絡んできた現地の怪しい人を綺麗に交わして、甘寧と凌統は少し歩いた。
当たり前だがどこを見ても水に囲まれている。
湖の中だというのに、さらに蓮が浮いている湖があって、その湖畔のベンチに2人は腰を落ち着けた。

あまり波の立たない湖面の水は、どこかこっくりとした水質である。
ゆらゆらと蓮の葉が揺れる。
季節が来たら、きっと蓮の花で綺麗なのだろうな。
暑くなったら、遊覧船よりももっと大きな船を浮かべたい。
そして湖から出て、江を奔るんだ、凌統と一緒に。
そう、例えば蒙衝のような船で。
…蒙衝って、何だっけ?

俺は何を考えてるんだ?

「なあ…。」

凌統が足を組みながら穏やかに口を開いた。

「何だか落ち着くねぇ・・・。ここ、初めて来た気がしない。」
「奇遇だな、俺もだ。」
「ハハ、そうかい。案外前世にここで逢ってるのかもしれないな。」
「・・・。」
「どうしちまったのかな、なんか、初めて来た場所なのに、ここで、鈴の音を聞いたような気がするんだ。」

前世だなんてまたらしくない事を言う。
だけど、それ以上にしっくりくる言葉を甘寧は探せなかったし、否定もできなかった。
ずっと見ていても飽きることがない、湖。
凌統も。
凌統の表情も湖のように穏やかだ。
甘寧は湖の水平線に目線をやった。
ゆらゆらと蜃気楼のように揺れているのは何だろう。不思議な城のようなものがある。
周りの話し声は聞こえてくるけれど、言葉が分からないから聞こえないも同然だ。
でも、何を言っているのか何となく分かるような気もする。
デジャブに濡れた世界。
こんな世界で確かなことは、己をよく知る者は、凌統しかいないこと。


・・・なんだ、いつもと変わらないじゃないか。


ふいに、凌統が甘寧のほうを見て笑いかけた。

「・・・そうだね、何だかんだで、あんたと此処に来れてよかった。」

ああ、昔ここで見た気がする、凌統の笑顔。
昔って、いつだ?
…いつだ?

ゆらゆらと揺れる水に中てられてしまった甘寧は、突然凌統の頬に掠めるようなキスをした。





凌統が顔を真っ赤にして殴りかかってきたのを避けたとき、往路の遊覧船が辿り着いたので、甘寧は凌統の腕を引っ張って、それで西湖の入り口周辺まで戻った。
しばらくは周辺の売店をふらふらと見て周り、陽もオレンジになってきたので、2人は不思議なその湖を後にして、上海に戻ったのである。




次の日になり、早くも中国の食卓事情に飽きてきた2人は、早々に日本に戻ることにした。

「もうちょっと居るべきかね。」
「いんや。特に見る所って、あるか?」
「ない。日本の飯が食べたい。」
「てめぇはいいよな。昨日の夕飯の茶館であんだけつまみと茶ァ飲んでよ。それに土産にも茶と茶器ってどんだけだよ。」
「いいだろ、好きなんだから。」
「俺はどうなるんだ、茶館の飯っていうから期待して行ったら・・・茶だけで腹減って腹減って・・・もっとこう、北京ダックとかよお、上海ガニとかあっただろうがよ。」
「その後マック食ってただろ?それに、寝る前に俺を貪り食ったのはどこのどいつですかね。お陰で腰が痛いっつったら。」
「凌統、大変だ。」
「なんだよ。」
「チャイナドレス買うの忘れた。」
「…一応聞くけど、それ、誰が着るんだい?」
「お前しかいねぇだろ。」
「いや、着れるわけねぇだろ。187センチにあうチャイナって。新宿に行けばあるだろうけどさ。」
「じゃあ新宿で調達「すんな。」

空港で搭乗待ちをしている2人だが、乗る予定の飛行機に不具合があったらしく、緊急のメンテナンスが入ってかれこれ3時間待たされている。
搭乗口前のベンチに座って話す会話も、すっかりいつもの会話に戻っていた。

「ちっと水買ってくる。」
「はいよ。」

甘寧は近くの免税店に行き、ミネラルウォーターを買った。
料金を払って、財布をポケットにしまい込んだ時、ポケットの奥にあった物に小指の先が当たったので、それを取り出してみる。

「・・・。」

手に持ったそれと、座って待っている凌統とを何度か見比べた。

こちらに背を向けて座っている凌統の元へ戻る。
昔あの背中に近づく時、何かの音が鳴っていた気がする。
例えば、そう。
この、鈴の音みたいに。

(だから、昔っていつの話だって。なぁ?)

「ほらよ。」

凌統の頭の上に腕を置いた指の先には、赤いストラップが揺れていた。
赤い根付の、中国の花の伝統文様があしらわれたモチーフと、それに寄り添うように小さな金の鈴が一つ付いている。
丁度風にそよいだ鈴は、その大きさに似合うとても可愛らしい音を立てた。
凌統が”鈴の音が聞きたい”と言った直後、西湖の売店で見つけたものだ。
あまり、人に何かを与えたことのない甘寧であったが、これを凌統にやったら喜ぶだろうかと思ったら手に取っていた。

「何、これ。」
「プレゼントだ。」
「・・・アンタからプレゼントなんて、珍しいね。」
「鈴の音が聞きたいって言ったからよ。」
「へぇ。・・・そいつはどうも。」

凌統は、目の前で揺れているそれを暫く黙って見つめていて、ゆるゆると手を伸ばしてストラップを受け取った。
甘寧も凌統も、どうしてか今更になってこの地が名残惜しくなってきた。
変なタイミングで飛行機の搭乗が始まる。
2人とも、仕方なく腰をあげたが。

「また、来てもいいかもね。」
「・・・帰ろうぜ。」
「ああ。」

帰りたいけど、帰りたくない。
どうして。
この地に何を置いたんだ?わからない。
でも、きっと。きっとこいつがいれば、大丈夫。

甘寧が凌統の後頭部をポンと叩いた。
凌統は、甘寧の腰あたりを。
さあ、帰ろう。



― あの鈴の音は、どこにおいて来たのだろう。



甘寧のポケットの中に、凌統にあげたものと同じストラップがあることを、凌統は知らない。









10001番キリリク、弌様より頂いたリクエスト作品です。
「旅行してる2人が見たい!」とのことでしたので、中国に行ってもらいました。
旅行って難しい…。一歩間違えると、甘凌そっちのけの紀行モノになりかねず、意識しながら書いていったら、輪廻を含んでいました。
中国には一応北京と西安に行ったことがありまして、色々なものが南の地方とはまた別だとは思いますが、共通するようなこと(ぼったくりとかw)は思い出して書きました。
こちらは弌さまのみ、お持ち帰り可とさせていただきます。
リクエストありがとうございました。