呼応する、共鳴する(5甘凌)



深い雲に覆われ、生憎星は見えない夜だった。
建業中が寝静まった真夜中、凌統は何の気配もない街の中を一人歩いている。
やや冷たい空気は、高揚しそうな己の気持ちを落ち着かせるには丁度いい具合だ。ただ、当たり続けていれば風邪を引き兼ねない冷たさなので、自邸から外套をすっぽりと被って出てきた。見張りを驚かせてしまっては悪いので、頭だけは出しているけれど。
外套の中で、チリ、と、手に握りしめているものが僅かに鳴いた。慌ててあやすようにさらにそれを力強く握りしめると、手のそれは渇いたくぐもった声を漏らしてなんとか落ち着いて、凌統は細いため息をついて安堵した。
そして、凌統は一度じっと前を見据えると、ゆっくりと歩き出した。


約二月程前に遡る。
濡須口の夜戦の直後、撤退した魏軍の陣営に偵察に出向いた凌統は、不覚にも魏の残党の待ち伏せに嵌まってしまった。
連れ添っていた兵たちは悉く斬られ、とうとう凌統のみとなってしまった時、救援に駆け付けたのは親の仇である甘寧であった。
甘寧に何も言えぬまま、彼とともに敵兵等を片づけている時の気持ちは、複雑だったのは当たり前である。

濡須口戦前に甘寧と先陣争いをして、久しぶりの先陣を勝ち取ったはいいものの、実際の戦で呂蒙の立てた策を実行に移し、勝利に繋げたのは甘寧だ。
それに対しては羨望は持っていない。功は焦るものではないと分かっているし、自分が策を実行する側に回っても、上手くやる自信はある。
ただ、親の仇、という事実が高い壁となって甘寧を認める邪魔をしている。
しかし甘寧を快く思っていないにも関わらず、こうして仲間として助けられてしまっては、流石に胸が痛くなる。

(駄目だ。戦ってるってのに、何考えてんだっての。)

凌統は、三節棍を振りながらそんなことを考えて、雑念を捨て去ろうと頭を左右に振った。
斜め前で戦っている甘寧の鈴が、動きに合わせて辺りに鳴り響いている。
甘寧が呉に降った直後は煩いと思っていた鈴の音だが、慣れたせいか今はさほど気にならない。むしろ、鈴の音で甘寧がどこにいるかわかるので、割と便利だとさえ思うようになっている。
凌統は、何も考えずに鈴の音を聞きながら戦おうと思った。
そう思った直後、しゃん、と、鈴の音がひと際大きくなった。
甘寧が身に付けていた鈴のうち、一番右端にあったひとつが、宙に舞った。甘寧はそれに気付かずに双鉤を振るっていて、宙に舞った鈴は敵兵の矛に当たって、地に落ちて何も言わなくなった。
何も知らない敵兵が、土にまみれた沓で鈴を踏んだ。
凌統は、その瞬間何故か頭に血がのぼり、鈴を踏んだ兵の首根に棍を打ち込み、前転して鈴を拾い上げて懐に入れた。


あらかた敵をかたづけ撤退し、建業へ戻ってきてからも、凌統は甘寧の鈴を持っていた。
自室に戻り鈴を取り出してみると、敵兵から受けた衝撃でか、鈴は細かな装飾がわからない程に拉(ひしゃ)げていて、少し左右に振ってみても、中の錘がカラカラと鳴るばかりで、以前のような澄んだ音をたてることはなかった。
甘寧の身の回りを気にしたことなどないが、凌統が知りうる限りで甘寧が大事にしている物といえば、得物である双鉤と、この鈴ぐらいである。
そのうちの一つを、己の不手際で使い物にならなくしてしまったのは、例え相手が甘寧であっても、凌統自身己が許せない。
それに、救援に来た甘寧に、はっきりと礼を言っていないのも気になる。
だから。
凌統は、甘寧に新しい鈴を贈ろうと思ったのだ。


鈴の鋳造は、誰にも見つからないように密やかに行った。
昔から武器を作って貰っている武器屋に歪んだ鈴を持っていき、秘密厳守と引き換えに、いつもより多い金を払って作成を頼みこんだ。
その時に、潰れたものをそのまま使うのは縁起が悪いと思って、自邸にあった何かの褒美として貰った金の塊を持っていき、これを使ってくれと差し出し、具体的な大きさや潰れて分からない所は、甘寧の姿を見つけた時に声をかけて、それとなく目で確認してから武器屋に伝えた。
甘寧自身は鈴が無くなったことをどう思っているのかわからない。
あれから度々甘寧と顔をあわせているが、腰の鈴は一つ足りないままで、話題にも上がらなかった。

そうして出来上がった鈴は、見事に甘寧が身につけている鈴そっくりになった。
少し振ってみると、透き通るような音を立てて辺りに響き渡り、凌統は思わず感嘆の声を漏らした。作った武器屋自身も大満足だというし、凌統も満足して何度も頭を下げて武器屋を後にした。


さて。問題は、この鈴をどう渡すかである。

(お前の鈴、俺のせいで潰しちまったから作り直した。貰ってくれっていうのが、一番簡単だと思うんだけどね・・・。)

そのように言えば、甘寧も素直に受け取りそうであるが、凌統はそんな科白を言えるほど、まだ甘寧に対して素直になれない。
だから凌統は、“自分以外の甘寧に近しい誰かが、或いは甘寧自身が、落とした鈴を突然見つけた”、という偶然を作り上げるのが一番いいと思い、早速鈴を持って、誰かに見つかることが少ないであろう深夜に、甘寧邸に出かけたのである。


甘寧の邸へは、何度か足を運んだことがある。
呂蒙と甘寧と陸遜との4人で酒を飲んだ時や、戦の報告事などでだ。しかし、こうして一人で訪れることははじめてだ。
心の臓が胸を打つ音が大きく聞こえる。鈴の錘が動かないように注意を払いながら、鈴を握りしめる。
この鈴を、奴の寝室の窓辺にでもそっと置いておけば、使用人なり、甘寧を慕う野郎共なり、甘寧自身が見つけるだろう。
凌統は、甘寧の邸の塀を難なく越えて、邸の壁づたいに庭を歩きながら甘寧の寝室を目指す。草木を踏まぬように気配を殺して、回廊に繋がる小路を横切り、甘寧の寝室の横に辿り着いたら、凌統は潜めていた息をさらに潜めた。
寝室の窓は開いている。
凌統は、開いた窓からそっと中を覗いてみると、窓のすぐ傍に寝台があって、その上には人が一人布団に包まって寝転がっていた。枕元から金髪が見えるから、どうやら甘寧本人のようだ。
凌統は早速外套の下から腕を伸ばして、音をたてないよう注意を払いながら、鈴を窓辺に置こうとした。

(鳴くなよ・・・)
「誰だ?」

丁度、鈴を置いた時だった。
やや掠れた低い声が室内から響いたと思った時には、寝ているはずの甘寧が跳び起きていた。
そして、凌統の首には、ご丁寧に双鉤の刃がひたりと当たっている。
拍子に、凌統は鈴を持った手を引っ込めてしまった。
甘寧は目を細めて、相手が凌統だと分かると不敵に笑った。

「何だぁ?凌統。俺の命を狙いに来たってか?」

凌統はそれに抵抗するでもなく、逃げるでもなく、ただ黙って甘寧を見ていた。
甘寧は上半身裸で、下は普通の着物を着ている。いつも逆立てている髪もやや垂れ気味で、額に垂れる前髪もいつもより多く、どこか幼い印象だ。
あの状態で気配に感づくとは、流石だ、と素直に関心した。

(さて・・・なんて言い訳しようかね。)

この状況で、凌統は冷静に考える。
命を狙うとは、甘寧も上手いこと言ったものだ。

少し前なら、そうしていたかもしれない。が、今は違う。
違うと言える。
凌統だって、素直に仲間だとは言えないけれど、それなりに認めているのだ。
だから、甘寧が本当に命を狙いに来たと思っていたら、少し寂しい。そんな態度を取っているのは己自身だけれど、それでもいいかと諦めるのもまた癪であった。
甘寧の場所からは、鈴は見えないようだ。
手の中の鈴を渡しに来たと言えば、それで済む話だが。

「違うよ。」

凌統が目線を落とせば、甘寧もまた、本当に命を狙いに来たのではないと分かったようで、双鉤をしまった。

「じゃあ、何なんだよ。」
「別に・・・。」

じっと、凌統は甘寧を見つめた。
頬にぽつりと冷たいものが当たった。どうやら雨が降ってきたようだ。
早く帰らないと。
そのためには鈴を渡さないといけないのに。
この腕を、差し出すだけなのに。
凌統は鈴を握りしめた。

「あのさ・・・濡須口の後、どうして助けに来たんだい?」

紛らわすのに口をついて出た問いは、実際聞いてみたかったことでもある。
あの時、偵察を行っていた凌統の隊以外は、撤退と補給のために陣を退いていたからだ。
甘寧は探るように凌統の顔をじっと見つめ、やがて寝台に座りながら口を開いた。

「鈴が鳴ったんだよ。」
「・・・あ?」
「鈴だ、鈴!俺の、いっつも付けてる・・・。そのうちの一つがよ、風もねぇのに俺も動いてねえのに音を立てやがった。そんで、最初は何とも思わなかったんだけどよ、なぁんか胸騒ぎがして…お前がヤバイのかって思った。だから行った。そしたら案の定だ。しかも音が鳴った鈴はどっか行っちまうし、きっとあいつがお前の身代わりになったんだな。」

凌統は妙な顔をして黙りこんだ。
なんだ?
と、いうことは、甘寧はあの鈴はもう“死んだ”ことになっていて、戻ってくることを望んでいないということか?
しかも、俺の身代わりに。

(・・・なんだ、別に、ここまでしなくてもよかったのか。)

急に熱が冷めて行くような感覚がした。
やはり鈴を渡さなくてよかった、この鈴は持って帰って、適当にどこかに閉まっておこうと、握りしめた時だ。
何かの拍子に、鈴の中の錘が傾いて、やや冷たい空気の中で、しゃん、と、ひと際大きく美しい音をたてた。

「ん?」

甘寧が眉を寄せて辺りに目線を巡らせた。
当たり前だ、今甘寧は鈴を身につけていないのに鈴の音がしたのだから。
なんてこった。
凌統はしまったと思ったが遅かった。
甘寧はやや驚いた顔で、じっと見つめてくる。その瞳には、暗がりなのに期待に満ちた光が宿っているのがよく分かる。
・・・どうやら、観念するしかないようだ。
雨も、ちょっと強くなってきたし。
凌統は、外套の下から腕を出して、甘寧の前に鈴を差し出した。

「あのさっ、そのあんたの無くなった鈴、俺が見つけたんだよ!だから届けに来たんだ!」

思いきって、さらに腕を伸ばして、ほらよと甘寧のほうへ鈴を差し出すが、どうにも顔が熱くて堪らない。
本当は鈴は潰れて、最初から作り直したことは言わないでおこうと思った。
甘寧はそんな凌統の顔と鈴を見比べ、何度か瞬きをすると大声で笑い出した。
凌統は言い訳をすることもできず、ただそっぽ向いて笑ってんじゃねえと小さく呟くのが精一杯。
目に涙まで浮かべてひとしきり笑った甘寧は、凌統から鈴を受け取ると、未だ笑いが収まらぬまま、目線の高さまで鈴を持ってくると、まじまじと鈴を見つめた。

「あ・・・ありがとよ・・・お前、これを渡しに来たのかよ。」
「そうだよっ悪かったな。」
「誰も悪いなんて言ってねえだろうがよ、まさか、お前がなぁ!…ん?ここの模様違う。」
「え!?」
「・・・もしかしてお前、一から作ったのかよ。」
「ああ、そうだよっ。潰れちまって使い物にならなくなってたからさ、丁度うちに使わない金の塊があったんでね!つーか、模様が違うなら、作り直すよ、よこせ。」

完璧に作ったはずなのに。
凌統はやや残念そうに手を伸ばしたが、甘寧は笑顔で凌統とは反対に手を伸ばして遠ざけた。

「馬ァ鹿!折角お前に貰ったもんだ、大事に使わせてもらうぜ。それに・・・」

甘寧は、鈴が小さく左右に揺らした。
シャン、と、爽やかな音が辺りに鳴り響いた。
さながら、熱気と湿気を含んだ夏の天気雨に射し込む太陽の光のような。
甘寧がさらに嬉しそうに目を細めた。

「こいつが一番いい音たてやがる。」

凌統はさらに顔が熱くなった気がした。
また雨が強くなる。早く帰らなくては。この空気に耐えられない。
もう帰ろうと一歩後ずさると、突然甘寧が凌統の腕を掴んだ。
振り払おうとしても、腕はびくりとも動かない。

「・・・何だよ、俺の用事はもう終わったからさ、帰るから離せよ。」
「結構な雨振ってるからよ、泊まってけや。」
「はあ!?」
「まあまあ、これくらいさせろって!」
「いいって!別にこれから帰るしさぁ、って痛ぇ!引っ張んな!」

今度は凌統が驚く番である。
何を言い出すかと思えば、予想もしていなかったことであった。
凌統が何から突っ込めばいいのかすらわからないでいる間に、甘寧は凌統の体を持ち上げて、寝室に無理矢理招き入れた。
そのまま冷たい石床に転がるのかと思いきや、背中には柔らかい布団が当たって、嫌に便利に作ってある寝台だなと凌統は辟易するが、すっかりご機嫌になった甘寧は凌統のことなどおかまいなく、凌統の外套を引っ張り上げて着物だけの状態にすると、毛布をかぶっておやすみなさい。
その手には、凌統が贈った鈴がしっかり握られていた。

先ほどまであんなに動いていたというのに、甘寧は既に寝息を立てている。
一応、外套の下は寝間着に近い着物を着ていたからいいけれど・・・。
というか、どうしていきなりこんな展開になっているのか。

(いきなり一緒に寝るとか・・・)

甘寧に背を向けて布団を被ってみるものの、背中から伝わる体温と、甘寧の匂いをやたら近くに感じて、凌統は居心地悪く両足を摺りよせた。
でも、肝心の鈴は予想以上に大変気に行ってくれたようだし、これが礼ともなればまずは満足か・・・。

凌統は、うとうととしはじめた脳内の中で、仕方がない、と呟いた。


意識が途切れる寸前、鈴の音が聞こえた気がした。







呼応する(俺等)、共鳴する(鈴)。
鳥小屋のぴよこさんへの相互記念として書かせていただきました。
どちらかが贈り物をしている甘凌!というリクエストを賜り、こうなりました。
凌統は一つの贈り物に物凄い気持ちを込めそうですね。甘寧はあげる量も回数も多そう。