開かずの階段・後編(ppw マーカー&アラシヤマ)






先ほどの箪笥から青鈍色の浴衣を引きずりだし、転がり出た黒い帯を憎らしく拾いあげてマーカーに手渡した時、アラシヤマは差し出した着物と自らが着ている着物が西陣の紬で作られていることがはじめて解った。
しかし驚くのも一瞬、着物は着る人間がいないとただの布の塊だ。

「お師匠、これに着替えとくれやす。」

そうして何事も無かったようにマーカーに着物を手渡し、アラシヤマは内水の続きをしに再び外に出た。
しかしまさか師匠が来るとは思わなかった。
ガイド・・・。京都出身といっても京都の全てを知ってるわけがない。だからどれがどう凄いのかよくわからないし、どこをどう周れば効率がいいのか、それこそ京都の駅周辺のガイドとかタクシーの運ちゃんのほうが詳しいとちゃいますのと思いかけたところで、そういえば師匠も友人がいないし、その前に人当たりが最悪だったとアラシヤマは思い出して頭を抱えた。
さらには金がないと言っていた。
つまり、奢れと。
それはさして問題はない。つい今しがたこの一軒家を買いあげたが、それでもその数倍金は残っている。
アラシヤマの中で師匠と二人、というのが問題なのだ。
辺りに水を撒きながらアラシヤマは考える。

(京都言うたかて、わてもわからんとこ多いんやから・・・お師匠がどこ行きたいかなんてもっとわかりまへんわ。)
(リアクション薄いお人どすし・・・二条城とか金閣寺は似合わなそうや・・・あ、血天井巡りとか笑いそうやけど、わてのハートが持ちそうにあらへん。まあ適当にそれっぽい所に行けばええでっしゃろ・・・。)

「アラシヤマ。」

悶々と考えていたらすぐ後ろからいつもの表情のない声がして振りかえってみれば。
着物を着ていたはいいが、見事に襟をだらしなく開き、帯を引きずっているみっともない師匠がそこに立っていて、再びアラシヤマは度肝を抜く羽目になり、人生初めての二度見というものを体験した。

「あの・・・お師匠はん、帯の締め方って日本と中国で違うんどすか?」
「知らん。」
「さっきよりは良ぉなりましたけど、そんなチンピラみたいな格好で京都歩かれたら困りますえ。」

再び持っていた桶と柄杓を玄閑に置いて、アラシヤマは師匠に近づいた。どうしてわてが師匠の帯を直さんとあかんのと思いながら、アラシヤマはマーカーの浴衣の襟を正し、丈も直して帯を締め直す。
その間、マーカーは不気味なくらいに黙っている。アラシヤマも黙っている。
それは耐えられない無言ではなかったのだが、幾分かの気まずさはあった。
そして、完璧に師匠の服を正したアラシヤマは頬の筋肉を引きつらせながら笑顔を作った。

「さ、さあ、ほな外に行きまひょか。」
「アラシヤマ。」
「なんどすか?」
「今、お前は何をしていたのだ。」

マーカーは今にも炎を出しそうな指先を、アラシヤマの手を指差した。師匠の指先を辿り、自らが持っていた桶と柄杓の事を言っているのかと思い、両方の腕を少し上げてアラシヤマは言う。

「へぇ。内水のこっとすな。」
「ウチミズか。」
「今日は暑いさかい、家の近くの道に水撒いて道の熱を下げて、辺りの気温を下げるっちゅう寸法どす。日本では京都以外にもやってますえ。」
「昔、真冬にお前が発火した時私が川に投げ込んだようなものと同じか?」
「違いますえ。あれは消火どす。」

そういえば、昔そんなこともあったなと仄かに思い出しながら、アラシヤマは桶と柄杓を土間に入れ、そのまま玄閑の鍵を締めた。




レンタカーを借りておいてよかったとアラシヤマは本気で思っていた。
近くの祇園さんと呼ばれる八坂神社に行ったはいいが、観光客でごったがえしていたし、その後自分の技名にもある平等院にも行ってみたけれど、こちらも観光客が溢れかえっており、あまりもの人の多さにアラシヤマが耐えきれず発火しかけ、その場を後にした。
心静かに出来る場所はないものかと伏見稲荷に行けば、何が気に入ったのかマーカーは嬉しそうににやりと笑い、そのテンションのまま血天井のある寺へ行ってみたら、マーカーは天井を見るなりみるみる瞳孔が開きだし、笑いだしたのだ。

(あ、あかん、嬉しそうや!このお人、血天井をさらに血に塗らすつもりや!)

と即座に悟ったアラシヤマは、マーカーの手を引いてそそくさとその場を後にした。
そしてレンタカーの助手席に半ば無理矢理マーカーを放り投げ、自身は運転席に乗り込むと、行く先もあまり考えずに車を出していて、気が付いたら京都でも北部にやってきていた。
三千院。
京都でも端にあたるそこは、山々の緑と高野川の水が人の手の入っていない、まさに「自然」というものを思い出させてくれる。
三千院にもやはり観光客はいたものの、自然が多く京都の端ともあってか、今まで足を運んだ中でも幾分か落ち着いた雰囲気を持っていて、その頃にはマーカーのテンションも落ち着いていた。
苔生(む)す三千院の庭を散策しながら、ふとマーカーが口を開いた。

「日本人はこのような土にへばり付く苔まで愛でるのか。石床で自然を制するということは考えぬ人類なのか。」
「・・・そうどすなぁ。苔は水を吸い上げますよって、止血剤にもなるし重宝されてましたんや。それに、石床を敷いた時は綺麗な石畳を見ることが出来ても、後から石と石の隙間から草は生えてくるもんどす。それは人間でも同じでっしゃろ。」
「・・・そうだな。」
「ほな、陽も落ちてきたさかい、そろそろ帰りまひょ。」




帰りまひょ、とは言ったものの、家に着いた頃には既に辺りは真っ暗であった。
家の電気は点いたから何とか落ち着いたものの、家にものが無さ過ぎて困った。途中で幾つか夕飯の惣菜を買ったが皿も何もない。何とか家の奥から碁盤を見つけ出しそれを卓にして、コンビニで箸を調達してきてやっと落ち着くと思ったアラシヤマであったが、無言・無表情でぱくぱくと惣菜をつまむ師匠は、何を思っているのか全く分からない。

「ごちそうさまでした。」

小さく呟いて箸を置いたマーカーはふらりと家の中を歩きだした。
やっと安心して夕飯を食べられると思ったアラシヤマは、師匠がどこを眺めているかなど全く気付かないまま箸を進めていた。ああ、そう言えば布団は二人分あったやろか。無いかもしれんどすなぁ。師匠と一つの布団で寝るんは、体格的に無理やわ。最悪今日も夜は暑ぅなりそうやし、適当に浴衣を羽織って・・・

その時、アラシヤマが居た座敷より奥から、バキリという何かが壊れる音が聞こえた。
咄嗟にアラシヤマは心がざわついて、箸を放り投げて襖を開けた。
廊下の奥にある階段の前にマーカーが立っていて、こちらを振り向いていた。
マーカーの前にある階段は、幾重にも板が打ちつけてあって、階段を隠しているようである。その板のど真ん中に、人の拳一つぶんの穴が開いていた。
そしてマーカーは、何も言わぬままアラシヤマに背を向け、階段を遮る板を次々と取り覗いては辺りに放り投げはじめた。

「お師匠はん!」

堪らずにアラシヤマは走り寄り、マーカーの腕に手を掛けたが師匠の力には未だ叶わず、簡単に振り払われてしまった。
階段には電気は、ない。上へ続く暗闇を見、アラシヤマはごくりと喉を上下させて懸命にマーカーの行動を押さえようとする。

「お師匠はんやめとくれやす!ここだけは、あかんのどす!」
「・・・。」
「お師匠はん!」
「・・・。」
「・・・お師匠はんっ!勘忍しとくれやす!」

するとマーカーの手は突然ぴたりと止まり、小さな瞳が蛇の舌のようにアラシヤマをじっと見つめた。
そして、突然力を止めて手に持った板をぽいと放り投げ、その場から立ち去ったのである。





夜。
風呂を焚き、マーカーを風呂に行かせている間にアラシヤマは布団を探しまわったが、やはりアラシヤマの予測どおり、この家に布団は1つもなかった。
仕方なく、この家に来た時に着て服を着、浴衣を体に掛けて寝転がった。
電気は消した。
その代わり、窓ガラス越しに淡い上弦の月の光が畳の上に落ちていて、それなりに明るさはある。
風呂から帰って来た師匠がアラシヤマの元にやってきた。

「師匠、布団がないんですわ。適当に寝とくれやす。」
「ふん。それくらい慣れている。」

マーカーはアラシヤマと少し距離を置き、横になった。
そして再び沈黙。
アラシヤマはぼんやりと窓の外を見ていた。窓から見える上弦の月は、師匠の瞳に似ている。だが、今こちらに背中を向けて寝ている(であろう)人物は、こんな風に淡い光を落としてくれた時があっただろうか。
ああ。そういえば左頬に残っている痣がその証なのではないか。
あの時、あの島で放った自分の全力は、この人にとってはあの場にいる全員を守れるくらいの微力なものだった。それが悔しかった。また、自分が知っている師匠はあの場にいた全員を見殺しにしたはずなのに、みんなを守って痣を作った事も悔しかった。
それからずうっと前線に出て、修行積んで。少しは近づいただろうか、あの時の師匠に。
力も、心も。
あの階段の上にある部屋を思い出すと、未だに気分が悪くなる。
けれど・・・。

(せや、今日ここに戻ってきて、お金払って得たわての家や。もうどうにでもできる家なんや)

アラシヤマは息を吸った。

「大きい独り事言いますさかい、お師匠は適当に寝とくれやす。」

黒い背中は少しも動かない。アラシヤマは唇を割った。

「さっきのあの階段なんどすけど、昇ってくと小さい頃使ってたわての部屋があるんどす。その部屋が、わてが人生一番最初に燃やしたものなんどす。燃やす前に家の人に怒られてもうてなぁ、ぐずぐず泣いて、でも段々ムカついてきてな、そうしたら火がボっと、な。もう2階丸ごと使えんようになって、そしたらあれよあれよという間にお師匠の所に行ってたんどすわ。それで今日来てみたら、あそこに板貼られてたんどす。」

そんな独り事に師匠が動かないことは知っている。だから安心してアラシヤマは話しができた。他人事に心を砕かず揺るがせず冷たくも強い心を、隣で眠る人から学んだのだから。

「わてが帰る所はなくなったと思いましたわ。でも・・・なんででっしゃろなぁ。今日一日ぐるっと巡ってみて・・・やっぱり帰りたくなる所はあるんどすなぁ。」

そこで、思わない声が返って来た。

「では私も独り事を言おう。」
「・・・。」

アラシヤマはまさか師匠が言葉を発するとは思わず、息を飲みそうになったが何とか堪えて黙った。
マーカーの低い声が、闇の中に沈む。

「中国の辺境・・・海からも川からも離れた、砂漠地帯にある遊牧民族がいた。そこに一人の少年がいた。遊牧の中普通に暮らしていたから、季節がある程度変われば暮らす場所も変える。羊を追い、馬を駆り・・・。だが、少年は好奇心が旺盛でな。暮らしていた場所から最も近い都市に出稼ぎに行くと言っては、勉学を盗み聞きしに行っていた。そんな風に暮らしていた季節の変わり目に、少年は馬を走らせさらに遠い都市へと遊学しに行った。様々な事を見聞きし、部族の元へ返ってみれば、辺りは血にまみれていた。後で知ったのだが内乱に巻き込まれ、敵と間違われ空爆を受けたらしい。両親も、他の家族も皆死んでいた。残っていたのは少年だけだ。少年は吠えた。それと同時に、辺りの死体が燃えだしたのだ。水も殆どない砂漠地帯だ、死体はすぐに骨になって、砂になっていった。」
「・・・。」
「アラシヤマ、己以外はクズと思えと最初に教えたはずだが。」
「・・・。」
「己の内にあるクズは、薫陶にもクズ以下にも転がる。」

上弦の月に雲がかかった。

(・・・今更また教えでっか・・・。)

アラシヤマは師匠の話しは聞かなかったことにしようと、今度こそ本格的に眠りにつくためマーカーに背を向けて目を閉じた。





「ほな、これがとりあえずガンマ団に帰れるお金どす。」
「・・・。」
「カードぐらい持っておくれやす。シンタローはんに言えばどうにかしてくれますやろ?」
「いや、その前に隊長が嗅ぎつけてたかられる。」
「・・・。」

次の日、アラシヤマは近くの銀行に行くと数百万を引きだして家で待つマーカーに手渡した(引き出した時、銀行員にオレオレ詐欺の犯人なのではと思われたようだが、全く違う。本当に違うのにどうして色々尋ねられたのか一向にわからない。)
マーカーはアラシヤマから札束を受け取ると、その他何も言わずにアラシヤマに背を向けて去って行った。

「・・・去る時はさっさと居なくなるお人どすなぁ。」
「あ、あのう・・・」

突然後ろから声を掛けられてアラシヤマは飛び上がった。
その人物は、昨日アラシヤマが電話をした不動産会社の人物で、背の高いアラシヤマの様子を伺うように上目遣いでおどおどした様子でそこにいた。

「な、なんですの!?いきなり!判子は押すとこ押しましたえ!」
「い、いや・・・昨日言おうかどうしよか思うたことがあって・・・。昨日は言わへんかったんやけど、でも、やっぱりお耳に入れといたほうがええんとちゃうかと思って、来たんどす。すんまへん。」

その人間曰く。
この家に住んでいた人間が、引っ越し手続きをする際に言った事があったらしい。
もし空家になった後に誰かがここに住みたいといっても、この写真に映ってる子以外には明け渡さんでくれ、そして仮にこの子が来ても自分達の引っ越し先は絶対に言わないでくれ、それから家に置いて行くもんがあるけれど、それもそのままにしておいてくれ、と。
その不動産会社の人間がぴらりとよこしてみせた写真には・・・七五三の時の写真だろうか、両親の間に挟まれた自分が映っていた。

「・・・なんや、わて・・・・・・全然変わってへんなぁ・・・。」

なんだ、この気持ちは。
自分を居ない事にしたのではないのか。
自分の居場所を作っていてくれたのか。
この、自分が今まさに着ている大人の浴衣はもしかして・・・いつかわてが来ることを望んで、用意して、待ってた?

アラシヤマは不動産会社の人間から写真をひったくると、背を向けた。

「・・・わかったわ。早よ行き。」

立ち去る足音。
それは己の内から何かが立ち去るようでもあった。

(今更・・・こんな写真・・・)

アラシヤマはそのまま家の中に入り、箪笥の中に写真をそっと治めるとそのまま家を出て鍵を締めた。
もう、ここには戻らなくてもいいかもしれない。
己を取り巻くものはこんなに多くなくていい。荒れて朽ち果ててもそれでも己の場所ならばそれでいいのだ。

お師匠はどこまで行ったやろか。
指先から炎の鳥を作り、師匠の気配がする方向へ飛ばした。
どうせ戻る場所が同じなら、一緒にガンマ団に戻りましょ。

「・・・今日も暑くなりそうどすなぁ。」








お友達に捧げているお話、炎の師弟です・・・。
こんなんでいいのかなあ。不安だ。
ていうか詰め込み過ぎた感があります。
お師匠は香港出身でもいいけどー・・・どー・・・。
もっとほんわか師弟にしたかった。一緒にお着物着て、一緒に花火見・・・ないな。アラシヤマが人酔いして発火しそう。
師匠は花火を見て「中国の花火とは違うのだな、中国はもっと激しいが・・・」「師匠、それ花火ちゃいます、爆竹や。」っていうのもいいと思います。
ていうか、ここではアラシヤマは祇園生まれですけど、嵐山も祇園も平等院も、京都の中でも全然違う地方なんですけど、本当はどこ出身なんでしょう。トシさん?が祇園のって言ってたから祇園でいいのかな。
あ、ちなみにアラッシーのおうちのイメージは、新撰組の屯所があったw旧八木邸ですw
お友達某Sさん、ありがとな!