流れ流れてA(6甘凌+a)


※女性のオリジナルキャラが出てきます。
甘寧と凌統は既に恋仲です。
地名が多く含まれます。


建業を出発して2週間が過ぎた。船は東からの風を受けて、巴丘のあたりを奔っている。
今のところ何事もなく予定通りに進路を取れている。風も穏やかだ。丁度このあたりは、公安までの中間地点。2週間もすれば、公安に辿り着くだろう。
糧や水の補給は普段の行軍通り行った。女性が乗船しているといっても、この船が軍船である以上、軍人の己たちに合わせてもらう必要があった。
また、洞庭湖を過ぎたあたりから、陸に蜀の砦が見え始めている。あちらからも、河上へ上る船の様子は見えるだろう。孫呉の旗は掲げていないが、この大きさの船ならば警戒するはずだ。
甘寧と凌統は、牽制しないように、櫓手たちに速すぎず遅すぎない速度で進むように指示をだし、自分たちは交代で周辺の見張りをしていた。
見張りをしていると、よく女官の姿を見かける。
女官は、飯炊きの手伝い以外はほぼ甲板で過ごしていた。船の縁に手を置いて、浮かない顔でぼんやりと江を眺めているのが日課であり、その場の日常風景になりつつあった。
夕暮れ時、凌統は、いつものように甲板にいる女官を見つけた。

「やあ、あんた、この場所がお気に入りかい?」
「あ…凌将軍…。」

女官は振り向いて小さく礼をした。しかし、目をあわせてくれない。そういえば甘寧は、ずっと避けられていると言っていた。恥じらいもここまでくれば、人間不信のような気もするが。
けれど、女性である。凌統は穏やかに笑いかけた。

「寒くないかい?そろそろこの辺の気候が変わるし、中に入ってたほうがいいぜ。」
「ええ…お気づかい、ありがとうございます。」
「今は公安の中間地点ってとこかな。まだ日にちはあるし、ここで体調崩されたら困るしね。」

そうして、立ち去ろうとした時だ。

「あの、凌将軍。」

か細い声ではあるが、初めて呼び止められた。凌統は反射的に振り向いたわけだが、女官は俯いてもじもじとするばかり。

「何だい?」
「あの…お話が、あるんです。」

凌統は、表情は変えずに、様子を探るように首を少し傾げてクスリと笑った。腰に手をあて、一歩女官に近づく。

「へえ、女性からの話か。そいつは嬉しいね。で、何だい?」

そういうと、女官は一気に顔を赤くして、袖で口元を隠しながら俯いてしまった。

「すみません、ここでは・・・ちょっと。」
「なら、船室に移動しよう。」
「はい・・・あの、それから・・・甘将軍にも・・・お話を聞いて頂きたいのです。」

甘寧にも?そいつはどんな話なんだ。

「…わかった。」

確か甘寧は昼寝をするといって船室に引っ込んでいる。
凌統は女官を連れて、甘寧のもとへ歩いていった。



船室に入ると、床に寝転がった甘寧の半裸の背中が飛び込んできた。
船室の窓から漏れる夕暮れの陽が、露出した上半身と長い後ろ髪に赤く当たって、まるで燃えているようだと…凌統は、僅かに心の中で艶めかしい欲が湧いた。
そのすぐ横には、奴の得物が鎌首を鈍く光らせて横たわっている。
「おい、起きろ、甘寧。」
甘寧の肩の筋肉が僅かに盛り上がり、ゆっくりと起き上った。不機嫌そうな釣り目が凌統と女官の姿を捉えると、さらに眉間に皺を寄せる。
凌統は後ろにいた女官が、項垂れたような気配を感じた。

「ンだよ、凌統。」
「この子が俺達に話があるってさ。」
「…俺もかよ。」
「だから連れてきたんだろ。聞いてやろうじゃないか。…さ、座りな。」

先に船室に入った凌統が、比較的綺麗な椅子を女官に差し出した。女官は申し訳なさそうに小さく一礼して、そこに座った。
ギシ、と椅子が軋む。
凌統は、甘寧の横に置いてある簡易寝台に座って足を組んだ。

「で、俺らに話って何だよ。」

甘寧が尋ねると、しばらく沈黙が流れた。
江の流れる音が、船底を通してごうごうとよく聞こえる。
女官は、しばらく目線を泳がせたり何度か深呼吸をしたりして躊躇う素振りを見せたが、意を決したのか、一度きゅっと口元を引き締めてから、口を開いた。

「あの…あ…私の話は、どこまでご存じ、ですか?」
「はあ?」
「どこまでって…武陵出身で、姫の友人ってことぐらいか?」
「ええ、あの…そうです。でも…一つだけ、お二人に伝えたほうがいいと思ったことがあって…こうして、います。」
「だから、何だよ。さっさと言えや。」

女官が膝の上に置いた手に力を込めた。

「私は、武陵の異民族生まれで…そこから来た…斥候なのです…。」

途端に甘寧と凌統に緊張が走った。
甘寧はぴくりと眉を動かし、凌統は足を組んだつま先を僅かに上げる。女官に悟られないよう、武器の気配を意識して、いつでも手にかけられるようにしながら、女官の次の言葉を待った。
女官はそうとは知らずに、話し続ける。

「私の部族は劉表様に仕える代わりに、村の土地を保証されていました。ですが、孫権様の名声が届くようになって…孫呉を探ってこいと言われました。魯粛様の遠縁ということは間違いありません。でも私はこのような外見です。学もなければ、舞も楽の音を奏でることも、できません。斥候など、果たせないと思いましたから、役目を捨てて孫呉の人間として生きて参りました。尚香様や孫権様は、私に良くしてくださいましたし、忠誠を尽くしていこうと・・・このままずっと孫呉で暮らしていこうと思っていました。ですから、今まで私から、故郷へ便りを送ったことはございません。孫呉での暮らしも誰にも伝えていません。建業の皆様にも斥候であることは言っていません。ですが…突然、故郷から便りがありました、母が死んだ、と…。故郷には年老いた祖父がいます。一人にはできませんから、帰郷を決めました。でも…それがなければ、私はずっと、孫呉にいたかったのです。故郷に帰ったら、何をされるか分かりません。」

女官は泣きそうな顔をしてはいるが、しっかりと2人を見つめている。またや口調も、やや早口ではあるが、今までの引っ込み思案な様子とは打って変わって、はっきりしている。

「私は…どうすればいいのか分からないのです。本当は帰りたくないのです。でも…おじい様が…」

甘寧は、黙って女官の話を聞いていたが、段々苛立ちを通り越して己が殺気立ってゆくのに気づいた。その高まりは既に自分でも抑えが利かないほどであったが、女官も凌統も気づかない。

「おい、お前ぇ。」

自分でも酷く低い声に可笑しくなったが、びくりと女官の体が大げさに揺れて舌打ちをした。
ゆらりと腰を上げ、察した凌統が何か言ったが既に甘寧の耳には届いていない。
一歩、二歩。女官の傍へ近づきながら考える。
俺は、何に怒っているのだろうか。
この女の態度に?
違う。
涙ぐむ細い瞳をめいっぱいに丸くして、じっと見上げている女官の顎を、ぐいと力強く掴みこんだ。

「腹ァくくれ。てめぇはどこに帰りてぇんだ。」

女官の顎が恐怖にガチガチと震えている。
だが、甘寧はおかまいなしに、足元にあった鎖を蹴りあげた。
鎌が甘寧の背後から勢いよく飛び出してきて、爪のように孤を描き、女官の首めがけて襲いかかる。
鎌の切っ先が女官の額を突き破る寸出で、甘寧はぴたりと鎌の柄を手におさめた。

「半端な覚悟で国を捨てようだなんて思うんじゃねえ。てめぇの居場所ぐらい自分で決めろ。それが出来ねぇならここで死にやがれ。」

女官は一瞬の出来事と、甘寧のどすの効いた低い声に、ぼろぼろと泣きながら意識を失い倒れてしまった。

「…おいっ、甘寧!」

凌統が勢いよく立ちあがった。凄い気迫で迫ってくる。
けれど、甘寧はじっと倒れた女官を睨んでいた。凌統が手から甘寧と鎖鎌を引き離す。ごとり、と、まるで首が落ちたような音を立てて鎌が落ちた。

「あんた何してんだよ、一応これは護衛なんだぜ?ここでこの子の命取ったらどうなるかわかってんのか!?この子は意を決してああ言ったんだ、やりすぎだよ!」
「知るか。」

凌統の怒鳴り声は理解している。けれど、沸々とこみ上げる怒りが断然強く、低く答えるしかなかった。
甘寧は、自分の存在意義は、自分で決めた志を全うすることだと、心の壁に染みついている。だから志なく、自分の意思で前に進めない女官の迷いが許せなかったのだ。
孫呉にいたいという唯一の願望すら貫き通さないことが、許せなかったのだ。
それだけならば、放っておいてもよかった。
けれど。

生まれ育った地というのは、誰にだって特別な場所だ。甘寧だってそうである。ごくごくたまに誰にも分からないように一人で、心の内に閉まった故郷を懐かしむことだってある。
蜀を離れたのは、会計報告として仕えたとき、宦官が横行を繰り返しているのを目の当たりにしたからだ。あんなものが溢れる世はおかしい。そこに孫家の名声が耳に届いた。孫家の元で功を立てようと思ったら、職を放り投げて飛び出していた。
孫呉が蜀を飲みこむまで、絶対に自分の意思で蜀には帰らないと、誰にも言ったことのない、巌のように頑なな思いを抱いている。
そんな思いを、無理矢理この女に押し付けている。迷う選択ができる女に、無意識に羨望の念を抱いているのかもしれない。
だから、許せない。
凌統はとても運がいいと思う。近くに天下に手が届きそうな主がいたのだから。生まれる前から孫呉の忠臣であることが約束されていて、孫呉のために働くことが、凌統の存在意義に直結している。
気がつけば、凌統が黙って甘寧を見つめていた。どこか、迷いが籠った瞳をして。

「甘寧…そういえば、聞いたことなかったけどさ。あんたの故郷ってどこなんだい?」

孫呉の中のお前だ、などと思った自分の思考に舌打ちをして、甘寧はその場で凌統を押し倒した。






3へ続く




交地で出す本のボツネタです。
それなりの量があり、完成したので、救済のためにサイトにあげることにしました。
一文一文が長いっすね…(汗
この後に色なシーンがあるかと思いきや、そうではないので3に期待はしないでくださいませ…