欺瞞@(郭嘉と賈ク)


賈クは、曹操の元へ献策するために幕舎に向かって歩いていた。
曹操に降ってもう既に数年が経つというのに、未だに賈クと話したがらない者はいる。以前に比べれば薄れたとはいえ、中には“曹操を破り、典韋を屠った軍師”と見ている者がいるし、賈ク自身の性格を快く思っていない者もいるからだ。
けれど自分は軍師である。策を考え巡らし実行するのが仕事。曹操はそんな自分の腕を買ったのだ。人と慣れあう前に仕事を淡々とこなせばいい。そう、淡々と・・・。
それに敵は作っても絶対に隙は見せないし、いざという時は味方をも罠に嵌めることだってできる自信はある。
賈クは、前を見る振りをして遠くの空を仰いだ。
通りかかった1つの幕舎から、昼にしては楽しげな声が聞こえてきて思わず立ち止まってしまった。
笑う女たちの声の中に、思わず砂を吐きたくなる爽やかな男の声が聞こえた。また、幕舎から透けて見える影は楽しげに酒を呷っていて、賈クは呆れて小さく肩を竦めた。
郭嘉。
自分と同じ曹操軍の軍師で、年下ではあるがあちらのほうが早くに軍に入っている。そして、あちらは曹操と仲が良く、酒好きの宴会好きの女好きで軍紀を非常に乱している。
それでもその類希なる慧眼は何度となくこの軍を勝利に導いているのだから、皆どことなく郭嘉の素行を許していたし、賈ク自身も一目置いてはいるのだ。

(全く。神算を持つ軍師とはいえ・・・そろそろ曹操殿からも何か言ってほしいものだね。)

一目は置いているが、きっと相容れぬ存在だろう。
賈クはその場から逃げるように、早足で曹操のもとへと急いだ。


その夜は曹操主催の宴があり、主だった将が一同に介していた。
賈クもまた宴に出席していたが、酒に溺れるのは好きではないし、馴れ合いも好きではないので、目の前で行われてる王異と夏侯淵の飲み比べを静かに眺めながら、杯を傾けていた。
王異が樽ごと酒を持ってこいと言い始め、夏侯淵の顔が赤くなりだしたところで、賈クは目の前の肴を一口食べてから、呆れた様子を隠すように席を立った。

(酒は泉のように沸くもんじゃないんだがね。見ているこっちが酔いそうだ。それに、我々は誰に命を狙われているか知れん。)

少し夜風にあたろうかと幕舎の入口のほうを向いたところで、入口の柱に背を凭れている郭嘉がいた。
一人とは珍しいと思った途端、郭嘉の背中が突然小刻みに震えだした。それは段々猫背になり、とうとう胸のあたりを掴んで蹲ってしまったではないか。

(・・・。)

薄々感づいてはいた。
賈クが軍に加わった頃から既に顔色はよくなかったけれど、最近は誰が見ても病であると分かる程に一層土気色になっている。それなのに皆何も言わないのは、本人が人生を心から謳歌することで、病を隠しているからなのだろう。
また、他の者に聞けば病を得ていなかった頃から、飄々と日々を過ごしていたというから、常日頃の行いが様々な起因となっているようだ。

(でも、俺まで何も見なかった振りをしようとするなんてな。これもあの人の智謀か何かか?)

仕方なく賈クは何も見なかったことにして、そのまま入口のほうへ歩き郭嘉とすれ違おうとする。郭嘉の横に立った時に小さな瞳を僅かにずらした。
郭嘉もまた、こちらを見ていた。
笑って。
つい、足を止めてしまった。

「やあ、賈ク殿も一杯どうですか?」

声色はいつもの柔和なそれに戻っている。
震えも止まっているが、顔色だけは隠せてはいない。
病人の酒に付き合わされて、事態が急変したら曹操殿に首を刎ねられるかもしれない。そんなのもに巻き込まれるのは御免だ。それに、酒を飲みながら話をするより、策を練りながら酒を飲むほうが数倍楽しい。

「生憎仕事があるんでね。それにあんたと飲むと、一杯どころか潰れるまで飲まされそうだ。」
「あっはっは、仕事か。賈ク殿は真面目だね。」
「どこかの誰かも真面目に仕事をしてくれたら、俺の仕事も減るんだけどね。」
「私は策を考える以外は今できることを楽しんで暮らしていたいんだ。」
「根っからの日暮か。では仕方がない。あんたが仕事をする策を練るとするかね。」
「それはいいね!」

にこやかに目を細めていた男の瞳の奥が、突然活き活きと輝きだした。それは今まで見たことのない・・・子供のような顔で、実に嬉しそうである。
一方で賈クは、病人とはいえこの男に期待されると何かろくでもないことに付き合わされそうな予感がして、つい片手をあげて嘆いた。

「ご冗談!あんた相手に策を練るのは骨が折れる!」
「うん、とてもいいね、やってみよう!賈ク殿との知恵比べはとても楽しめそうだ。次の満月から一月、私を少しでも働かせることができたら賈ク殿の勝ちだ。そして、私が勝ったら私の願いを一つ聞いてくれる、というのはどうかな?」
「あっはは、珍しいね。あんたにも願う程望むものがあるというわけか。」
「それは勿論だよ。誰にでも叶わない願望はあるというものさ。」
「・・・。」

賈クはそこで初めて、この男の願いとは何だろうか。とふいに考えてしまった。
他人の思考を探るのはこれに始まったことではないが、それらのほぼ全ては策を練るためで、血の通っていないものを考えていたということになる。
けれど今、策を練るためにしか生きていないような自分を真面目な人間と呼んだ、不真面目な男に抱いているのは、それとは真逆の・・・まぎれもない、興味だ。
この男は自分の描いた策をどのように掻い潜るか。
それはそれで、楽しめそうだ。

(相手に不足はなし、か。)
「いいだろう。あんたの遊びに付き合ってやるよ。」

賈クは首を縦に振った。
気まぐれと高揚が織り交ざった、今まで味わったことのない感情を隠しながら。




Aへ続く

ツイッター3文字の95番の加筆バージョンです。
図らずも奔走する賈クさんのはじまりはじまり。