欺瞞A(郭嘉と賈ク)


賈クはまず無難に、手短なところから潰していくことにした。
郭嘉の遊びを封じる。
郭嘉が出入りしている店と、宮にいる郭嘉お気に入りの女官のもとへ出向き、美しい髪飾りを差しだして、ひと月ほど洛陽近辺の陣営に出稼ぎに行くよう頼んだ。女達は賈クが何を企んでいるのかと訝しんだが、一応首を縦に振り、やがて洛陽へ出立する姿を確認した。
それから酒だ。これは許昌の酒蔵を一度に預けるので賭けではあったが、王異に一任した。これで彼女も酒に困らないし、一石二鳥というものだ。
それから他の文官に“それは郭嘉殿に回してくれ”などと伝え、郭嘉にどんどん仕事が行くように仕向けた。

しかしやはり郭嘉も軍師と謳われているだけあって、無難な手は全く効果がなかった。
郭嘉は賈クの手をすり抜けてすぐにどこかに行ってしまう。

(別に戯れに耽ってもいい。少しでも郭嘉殿に仕事をさせたらこっちのもの、か。)

賈クは少し手を変えた。
郭嘉が街に繰り出して、目に叶う女性に語りかけていると聞けば、その女に郭嘉宛ての仕事の詰まった書簡を持たせて、郭嘉に渡すように言った。
数日後、その書簡は確かに郭嘉の手に渡ったが、郭嘉はさらに副官に手渡して終了。
それから、郭嘉が宴を開くという噂を聞いては、その場に賈ク自身も出席し、郭嘉に次の戦の策の話などを持ちかけた。しかし、賈クは郭嘉より先に酔い潰れてこれもまた終了。
むしろ病人なのにあんなに酒を飲んで、どうして次の日にけろっとしているのか。そちらのほうを解明したくなった。

(うーん、中々手強い相手だ。)

さて、どうしたものかと思案を巡らしていると、ある日突然郭嘉の行動がぱったりと途絶えた。
街をうろついてもいないし、酒も王異によれば郭嘉には一滴たりとて渡していないという(しかし彼女は一人で膨大な量を飲んでいる。こちらも何か手を打たねば。)。
ただ、郭嘉は仕事だけは一切手をつけていなかった。
郭嘉は一体どこで何をしているのか気になり、斥候を放って探りを入れてみれば、邸の奥の奥でずうっと床についているというではないか。

「やれやれ、やっと病人らしくなったか。」

けれど、病人から楽しみを抜けば、あとは寝ているだけになる。
そうして郭嘉の周りは、本当に静かになった。



気が付いたら一月が経っていた。
賈クは、まるで自分が郭嘉の命を吸い取っているようだと思ったけれど、勝負を持ちかけた時の郭嘉の嬉しそうな表情を思い出すと止めるわけにもいかず、何もできないまま早く一月が過ぎればいいと焦りに似た感情さえ抱いた。



一月が経つとすぐ、賈クは郭嘉の屋敷に足を運んだ。
そこには、病床が似合わない病人の姿があった。

「ああ、賈ク殿か。はは、このような姿、本当に病人みたいで些か落ち着かないね。」
「確かに。さあ、一月何もしなかったあんたの勝ちだ。俺の負け。」
「随分と潔いのだね。」
「悔しいが、病人に悪あがきはしたくない。・・・それにあんたのそんなに弱った姿を見ちゃおれん。ま、久しぶりに楽しかったがね。」

(さて、確か郭嘉殿は俺の願いが聞きたいと言ったが・・・)

賈クは顎の髭を一撫でした。
今まで己の願いは誰かに語ったことなどない。
語る必要もなかったし、主君を次々と変えてきた己は、語る時を逃してきたとも言える。

願望も策も、似ているところがある。
語るものではなく実現するもの。だから願いを口に出すときは、それを掌握できると確信した時、もしくは本当に叶えられない時。叶えられないままで終わるのが一番嫌だ。
けれど叶ってしまった後ならどうなるのだろうか。
そして、目の前の病人は、己が願いを聞きたいと言っている。

「では、聞かせてくれる、ということかな?カク殿の願いを。」
「ああ。いいだろう。俺の望みは、同等の力と考えを持った軍師と力比べをすることだ。主君なんて構わない、国なんて構わない。そんな風に考える奴と知恵比べをすることが、俺のちっぽけな願いさ。」
「それは、叶ったのかな?」
「ああ。あんたと勝負したことでね。だが不思議だ、叶ったはずなのに全然実感がない。」

郭嘉は賈クが知恵比べを提案した時のように目をまるくして、そして大きな声で笑った。
その後に続いた湿った咳が、痛々しい。

「そうだったのか。それはそれは・・・。身に余る光栄だね。」

賈クは片眉をあげて、郭嘉を見た。
己の策は、敵を陥れ血を流すための知恵だ。いくら志のためとか綺麗な言葉で包んだところで、汚さは滲み出てくる。策と打算で生きてきた己は、一人の汚れた男。
そんな賈クにとっての綺麗で美しい策とは、子供が行うような他愛もない知恵比べだ。
血の流れない、最後は互いに笑ってごまかせる程の。
でも、身を守るためには手を汚さなければ。しょうがないのだ。そう、しょうがない。
曹操に招かれざるべくしてやってきた己には、願いを語るにふさわしい相手はここにはいないと思っていた。
だから賈ク自身の願望は夢のようで叶わないと思っていた。高慢と思われても構わない、高望みだろうと夢のようなものだったのだから。

そんな自分の願望を不本意にも満たしてくれた男は今、珍しく静かに横たわっている。
喜んでいいのか、悲しいのか。
こんなにも静かだけれど、憐れみは持たなかった。
そっと郭嘉が口を開いた。

「じゃあ、私も賈ク殿の願いを聞いたお礼に、一つだけ教えてあげるよ。私の、曹操殿にも言ったことのない願いさ。」
「もっと長生きしたいなんていう無理難題は今更言わんでくれよ。」

郭嘉苦笑いを浮かべたが、その次の瞬間には意志の強い瞳で賈クを見上げた。

「賈ク殿の願いを聞くことだ。」

賈クは自分が素直に目を丸くしたことに気がつかなかった。
けれど郭嘉は今まで聞いたことのないような、はっきりとした口調で続ける。

「貴方はここに来てからずっと、曹操殿に献策をすることしかしていない。自分を押し殺しているようには到底見えない。賈ク殿自身が立てた策が実った向こうに、曹操殿の覇道がある、だからこそ貴方もここに居れる。だから貴方は・・・曹操殿の覇道に続いているようで・・・手を貸しているといったほうがいいね。曹操殿もそれでいいと思っているようだけれど。」
「・・・ま、そういうことにはなる。」
「しかし策は策だ。心の成就とは少し違う。人が我々が立てた思惑に鮮やかに嵌るのは心地がいいけれど、策もまた、刹那の楽しみでしかない。だから私は戦が好きなんだ。」
「なんだか、あんた自身のことを言っているように聞こえるが?」 「そうだね。でも、それあ貴方も同じだ。けれど貴方は私とは大きく違うことが一つある。長く続く命がある。そんな賈ク殿が刹那の連続を策で埋めるのは、あまりにも・・・。だから私は・・・明日のある賈ク殿の願いを聞けたらどんなに嬉しいだろうと思ったんだ。予想していたのはもっと、深いものを抱えているのだろうと考えていたのだけれど・・・。・・・でも、いや・・・そうだったのか。」
「あんただって判ってるはずだ。人の願いなんて、意外とちっぽけでそのへんに落ちてるもんだということをね。」
「そうだね。けれど私の渇望は・・・足掻いても手に入れることはできない。」
「・・・ああ、そうだ。郭嘉殿、もう一つ頼みがある。」
「?何だい?」

興味とは恐ろしい。
一つ気になるとふたつ、みっつと気になるものが増えて、いつの間にかもっと親しくありたいと感じるようになるのだ。
これもまたちっぽけな願い。これも、あんたが巡らせた罠か?
賈クは今から自分が伝えようとしている言葉に、違和感と恥じらいを覚え、郭嘉に背を向けながらも、自然を装って声に出した。

「・・・・・・あんたがよければの話だが・・・・・・友人になってくれないか。」

郭嘉は目を丸くした。
まさか、あの、打算と処世術に長けた策士から、そんな言葉が聞けるとは思ってもいなかった。
しかし明日にでも命を落としそうな己に声を掛けても・・・と郭嘉は思う。
確かに、賈ク殿と戦を描いてみたいけれど、酒を酌み交わしたいけれど。
そして賈ク殿は自分がいなくなってもきっと、何事もなかったように過ごすのだろうけれど。
ああ、でも。
その本心に応えなければ、いけないかな。

「うん、それはとてもいい提案だね。でももう、友人ではないのかい?」

何の言葉も発せず居心地悪そうにしている賈クの背中は、意外と温かいのではと、郭嘉は微笑みながら見つめた。






ツイッター3文字の95番の加筆バージョンです。
賈クさんの奥底には、化石のような優しさがあるといいなあって思います。