ボイルド・オイル(甘凌)


(おーおー、派手にやってくれちゃってまあ。)

丁度夕暮れ時だった。
凌統は小高い丘の崖縁で、眉のあたりに手を翳しながら遠くを眺めた。
陽は地平線に半分程が落ち、空は赤く燃えている。
空だけではない。地平線から下に広がる森もまた炎の赤に燃えていて、空も大地も、孫呉の炎に染まっているようで少し見惚れてしまった。
あの勢いだと、陸遜の火計は成功したようだ。そして、陸遜の火計を導いた先陣の甘寧もまた、凄まじい勢いで敵陣を切り裂いていることだろう。
凌統は、いつもなら、俺も甘寧あたりと一緒にあの前線の中心にいて、武功を競っているところかな、と少し考えて、小さく息をついた。
この戦、凌統軍のみ別行動なのである。
否、凌統軍といっても凌統のみが別行動、といったほうが正しい。実際、凌統軍のほぼ全ての兵は副将がまとめ、甘寧とともに前線で奮戦している。

(ま、俺も自分の役目を果たさなくちゃね。)

凌統は黙って、眼下に広がる深い緑に目線を落とした。




揚州全体に住み着く山越の民は、孫呉の悩みの種であった。
山越の民たちにとっては、自分たちが暴虐の徒であろうから、懐柔できる部族は話し合いで孫呉の民として受け入れてきたが、徹底抗戦を続ける部族もいる。
国力のついた呉にとって、それらは蠅のように叩きたくても叩けない煩わしい存在で、見つけ次第攻撃、或いは防戦していたけれども、中々根底から絶やすまでには至らないでいた。
しかし最近孫呉を取り巻く情勢が変わってきた。
魏は益々勢いを増し、劉備は益州に向かっており、何やら不穏な動きを見せている。山越に目を向けている場合ではない。
そんな時丁度、山越の抗戦派がまとまり、孫呉に大規模な襲撃を行うと斥候からの連絡が入った。これは後顧の憂いを断ついい機会だと、孫権は呂蒙をはじめとする孫呉の将たちを集め、直ちに軍議を開いた。

「山越は、会稽の森林地帯に集結すると聞きました。」
「うむ、ならばそちらに向かうのが道理と言えよう。詳しく聞きたい。会稽の何処になる?」
「新都寄りの内陸部です。長江は離れており、支流もなく船は使えません。土は乾燥しています。歩兵か騎馬がよろしいかと。また、火計も使えると見ました。」
「成程。」

呂蒙は斥候からの報告を受けながら、顎に手をやった。
山越もこの揚州に住まう民。水での戦が得意なはずであるが、あえて水のない場所に集まっている。何か策を用意していると考えていいだろう。
隣にいた陸遜が呂蒙に言う。

「呂蒙殿、敵も火計を使うつもりなのでは。」
「うむ。俺もそう思う。だが、赤壁の時のように風を読めば、あるいは・・・。」
「呂蒙殿、それは私にお任せください。相手が炎を使う前に、こちらから敵陣まで燃やし尽してみせましょう。」

そこで、大きなあくびをしながら甘寧が口を開いた。
何かの拍子に鈴が鳴り、隣の凌統が眉を寄せてそちらを見る。

「おっさん、あいつらを一発でぶちのめすいい機会なんだろ?だったらやってやろうじゃねぇか。俺に先陣任せろよ。」
「森林か・・・。伏兵も多数居ような。」
「この地形・・・敵陣は縦に伸びるでしょう。火計で燃やすのが最良ですが、その前に遊撃によって伏兵の元まで誘いこまれるのも考えられます。」
「どんだけ神速で先陣切っても、頭(かしら)を討たなきゃ意味のない戦なんだろ?だったら、こっちからも伏兵か奇襲を仕込んでおくべきじゃないですかねえ。」
「ふむ・・・。」
「馬―鹿、敵の罠に嵌る前に潰せばいいんだろうが!」
「馬鹿なのはあんただね。これから魏や蜀と本格的に戦わなくちゃいけない大事な時に、無駄な犠牲は出せねえっての。」
「山越の軍を纏めているのは?」
「山越でも一番人口の多い土地の長のようです。その長の力が強く、他の部族の長達はその者に従っている状態です。」
「成程・・・今回の山越の民は、抗戦派とはいえやはり寄せ集めのようですね。凌統殿のおっしゃる通り、首魁の首を取れば潰走するでしょう。」
「ふむ。やはり奇襲か・・・。確実に実行するには、十分に前線を押し上げ、敵を引きつけねばなるまい。」

呂蒙と陸遜は顔を見合わせ、瞬きする事数度。同時に目の前に座る甘寧と凌統を見やった。
二人は相変わらず、つべこべ言うんじゃねえだの、お前は突っ走りすぎなんだだのと口喧しく騒いでいる。

「よし、今回の策が決まったぞ。」
「おっ、おっさん。俺は奇襲か?」

呂蒙が口を開けば、甘寧は身を乗り出して楽しげに呂蒙の顔を覗きこんだ。一応話し合いは耳に入っていたらしい。その隣の凌統は、椅子に深くもたれ込み、深い溜息をつきながら腕組みをする。

「いや、お前は先陣として敵に斬りこめ。」
「おう、わかったぜ!」

というと、先陣だと思い込んでいた凌統は、少しばかり驚いて甘寧の横に並ぶように身を乗り出す。

「えっ?じゃあ俺が奇襲?」
「ええ。お願いします、凌統殿。」
「へえ。久しぶりの奇襲か。わかったよ。」





そうして各々軍備を整え、建業を出立して近隣の砦に幕舎を張った。
攻撃を仕掛ける前夜、凌統は眠れずに甘寧の幕舎へと足を運んだ。
久しぶりの奇襲。
恐怖や不安で眠れないのではない。その目的に高揚しているのだ。
軍議での呂蒙と陸遜のやりとりは、甘寧と話ながらもしっかり聞いていた。
奇襲というものは、さまざまな効果をもたらすが、今回のそれは、この戦で最も重要であるといっても過言ではない。
凌統が奇襲を仕掛ける場所は、敵の本陣。しかも狙うのは大将の首。確実に取れ、ということだった。
背筋が震えた。
むしろ喜びに。大将の首は兵何人に匹敵するだろうか。
それを思うと、寝るに寝られず、この高揚をどうすればいいのかと考えたら、無意識に甘寧のところへと向かっていたのだ。

甘寧の幕舎の入口の垂れ幕に手を掛け、俺から甘寧の幕舎に向かうとは珍しいねと考えて小さく肩を竦めて、入口の幕を大げさにあげた。
すると、目の前には酒瓶片手に寝台に腰を下ろし、目を丸くしてこちらを見ている甘寧と目があった。
少し瞠目していた甘寧であったが、すぐに近くの卓に酒を置いて手招きをした。誘いに乗ったの甘寧に速足で近づき、寝台に二人一緒に沈んだ。

(明日が楽しみだ。)
(俺もだ。俺が先陣切ってる横で、陸遜が火計を仕掛けるってよ。)
(へえ。ま、あんたが雑魚をぶちのめしてる間、俺は敵さんの頭を取っちまってるけどね。)
(へっ、言ってろ。俺はそれ以上に先陣切り崩して、本陣まで辿り着いてやるぜ。)
(あ、そうだ。俺の軍だけどさ、明日だけあんたに預けるよ。精鋭10人ぐらいで行く。身軽なほうがいいからね。)
(お前死ぬかもしれねぇな。)
(そいつはお互い様だろ。ま、生きて逢えたらよしとしようぜ。)



そう言った所で、高揚しすぎて何のせいで気分が高まっているのか分からなくなり、本能のままに互いの体を燃やさんばかりに貪ったのは、つい数刻前。
あの熱を思い出して、凌統は小さく息を吐いた。

眼下には、深い森林が広がっている。
その僅かな隙間にちらちらと見えるのは、敵の本陣だ。こちらには気づいていないようだが、どのくらいの兵が守っているだろうか。
前線はあの様子だし、上手く引きつけているようだ。
敵本陣から、大きな馬のいななきと足音が聞こえ、前線のほうへ駆けて消えた。
炎の勢いはやや衰えてはいるが、先ほどよりこちらに近づいている。
甘寧はどのあたりにいるだろう・・・。

(・・・よし、行くとしますか。)

凌統は精鋭10人に目で合図を送り、眼下の敵本陣目掛けて疾駆した。
できるだけ音はないほうがいい。そして身軽なほうがいい。
だから両節棍は置いてきたし、代わりの武器も持ってはいない。頼る物がないほうが身体の感覚が研ぎ澄まされ、集中できる。
そういう点では、本当は甘寧より自分のほうが奇襲に向いているのかもしれない。というか俺は奇襲じゃなくて暗殺に向いているのかな、例えば、仇打ちみたいに・・・。
薄く考えた所で、凌統は心を白くした。

精鋭が本陣近くの櫓の兵を静かに殺したのが、視界の端に移った。
凌統も音なく大地を強く蹴り、落下しながら本陣内に目を凝らす。
見張り兼補給兵が数人、弓兵は僅かだが入口のあたりに隊列を組んでいる。
陣営の中に幕舎はなく、やや奥まったところで刀を佩いた将2名が、1人の皮の鎧を着た将に地図のようなものを差し出して話をしている。
あの、鎧を着た男が頭か。
着地するのは頭の背後。
空中で身を捻りながら思い描いた場所に降り立つ。束髪を揺らし、まるで風が吹いたが如く、首魁の首に腕をかけ、そのまま捩じった。
言葉発する間もなく将がどうと倒れる。
間髪入れずに近くの将兵に蹴りを叩きこみ、蹴り飛ばすと同時に腰に佩いていた刀を抜き取って、難なく首魁の首を身体から斬り離した。

「はい、お疲れさんっと。」

凌統が言葉を発した途端、何が起こったかと敵周辺の時がぴたりと時が止まった。
実に心地よくてその場で笑いたくなったけれど、さて、ここからは撤退だ。むしろここからが本当の勝負かもしれない。 凌統は精鋭が持っていた麻袋に首を入れて持ち出し、直ぐに本陣から味方の前線のほうへ飛びだした。

「敵、敵襲、敵襲!!」

後ろから血を吐くような叫び声が聞こえる。大将が倒された本陣周辺は、早くも逃げ惑う兵で混乱している。
だが、矢張り中には本懐を忘れずに動じない者もいて、敵本陣に近いということもあり、次から次へと敵兵が容赦なく襲いかかってくる。

(あ、なんかちょっとやばいね。)

こちらは精鋭とはいえ10人しかおらず、一人、また一人と討ち取られていく。しかも凌統自身が持つ武器は刀。流石にこの数相手では、馴染みのない武器では些か心許ない。
目の前から敵兵の弓矢が襲いかかる。刀の腹でなぎ払ったが、精鋭の一人に当たった。味方はあと3人。
味方はどこまで前線を押し上げただろうか。
先程崖から確認した時のおおよその位置を思い返して、凌統は強く舌打ちをした。

(誰だよ、本陣まで辿り着いてみせるっていったのは!)
(ったく、ここぞという時に来ない野郎だねえ!)

一体どうして甘寧のことを考えているんだ、気に食わない。刀を通して感じる斬撃も中々身体に馴染まないし、たちまち刃こぼれを起こして切れ味が悪くなってきた。でも、足を止めてはいけない。
辿りつかなくちゃ、前線に・・・。
そんな時凌統の耳に、聞きなれた音が届いた。
鈴の音。
取り囲む敵兵の一部が崩れ、甘寧が乱入してきた。
凌統は一瞬驚いたが、直ぐに横から敵の刃が迫ってきて咄嗟に避け、構えながら不敵に笑ってみせた。

「へっ、凌統!生きてやがったか!」
「遅いご登場だね、甘寧さんよ!結局本陣まで辿り着けなかったじゃねえか!」
「お前に手柄取られるのは癪だからよ、根こそぎ討ち取ってきたぜ。お前の取り分はここにいる奴等だけだ!」
「あっそ。ま、それでもしっかり元は取ってるし。今回は俺の勝ちだね。」
「あ、それから。おらよ!」

甘寧が放り投げて寄こしたのは、己の両節棍であった。
本当は、甘寧と両節棍を見比べたいところだったのだけれど、敵がかかってきた。持っていた刀を敵に投げつけ、棍を振るい足技を繰り出し、甘寧に背中を預けながら尋ねる。

「あれ?俺、副将に両節棍持たせたっけ!?」
「俺が持ってきたんだよ!守札みてぇにな。それから!お前が本陣制圧したんだ、首持ってるお前が本陣みたいなもんだ。だからお前とずらかるのがこっからの戦だ!」
「・・・。」

つまり、俺にまた逢うのに来たってわけ?
本陣っていうか、俺に逢うため?
まあ、俺も、あんたを目指してたわけだけど。
手に馴染んだ両節棍を振るえば、返ってくる衝撃が懐かしくてつい目を細めた。
甘寧が鎌を飛ばすと僅かながら道が開け、凌統はそこに向かって真っすぐ走りだした。
甘寧も、後ろからついてくる。

「・・・馬―鹿。」

今日はいいことばかりだ。
戦に勝った。きっと一番手柄だ。
そしてまたあんたに逢えた。
ま、陽が沈んでもう暗いのがさびしいけど、誰もいなくなっちまったらあんたと一緒にその辺で絡み合うってのも、いいかな。

陽の温かさはないが、燻る炎の熱さが前方より近づいてきて、凌統は笑いながら赤の中へと戻っていった。






暗殺している凌統が書きたかったのです。もっと闇の中に潜んでいてもよかったかなあと思うのですが。
凌統自身は前線で戦うのが好きそうだし、これくらいにしておきました。
タイトルはミッシェルガンエレファントから貰いました。