戴冠(丁奉と凌統※甘凌)



初夏のよく晴れた日だった。
城を歩いていた凌統は、回廊の片隅で丁奉の後ろ姿を見つけた。
その巨体はどこか肩を落としているように見えて、凌統は何の気なしにふらふらとそちらに歩み寄って声をかける。

「どうしたよ?あんたがそんな所で突っ立ってたら、嫌でも目立つぜ?」

すると、丁奉は小さな瞳を僅かにこちらに向けて凌統の姿を捉えると、身体を向けて小さく頭を垂れた。
やはり、どこか力ない。
丁奉はへの字に結んだ岩のような唇を開いた。

「先程甘寧殿と話をしていました。」
「・・・。」
「一緒に舟に乗って美しい風景を見に行きませんかとお誘いしたのですが、“あんまり考えたくねぇ絵面だな”と断られてしまいました。」

つい、丁奉の話の途中で吹きだしそうになった凌統だったが、笑いを堪えてよかった。目の前の強面は、本当に甘寧とともに“美しい風景”を見に行きたかったらしく、甘寧の発言を思い出してか、碇のような肩を落として重い溜息をついたのだ。
羨ましくなるくらい、清らかな心を持っているというか、何と言うか。
しかし、甘寧の発言も一理ある。
目の前の漢と、甘寧が並んで美しい風景を眺め、あまつさえ詩を詠みあっているそれを想像しようとすると、どうしても想像したくなくなり、孫呉のいつもの宴会風景にすり替えてほっと安心してしまうのだ。
うん、丁奉は誘う相手を間違えたのだ。

ふと、丁奉は何かを思いついたように、顔を上げた。

「どうでしょう、凌統殿。ご一緒に美しい風景を見に行きませんか?」
「えっ、俺かい!?」
「ええ。其と一緒に。素晴らしい場所を知っているのです。」
「・・・。」

う、と、凌統は顎を引いて、丁奉を見た。
丁奉と自分が並んで舟に乗っている風景。
凌統はまずそれが想像できなかった。
甘寧の下で働いて長い丁奉とは、接点がなかったに等しい。しかし、丁奉も武勲をあげ、今や立派な孫呉の将の一人となっている。
ならば、ここで少し親交を深めてもいいのではないか。丁奉の審美眼はあの周瑜のお墨付きだというし、なにより、今まさにこちらをじっと見つめてくるつぶらな瞳は、期待に満ち溢れていて、断れそうにない。
凌統はしどろもどろに目を反らして答えた。

「あ、ああ。いいぜ。丁度軍備も整ったし、そういうの、俺あんまり見たことないしね。」

凌統の言葉に、丁奉は一瞬驚いたように目を見開き、そしてその強面の顔は段々と満面の笑みに変わった。

「おお・・・!嬉しいです、凌統殿。早速舟を用意します。」
「あ、ああ。頼んだよ。」

今日行くんだ、と思った凌統のことなど余所に、丁奉は嬉しそうに回廊を小走りに駆けて去って行った。





丁度天の陽は頂にさしかかり、気温も大分高くなった。
舟は、長江の入り組んだ支流を右へ左へと奔り、上流へと進む。そして、建業を出立して数刻後にはその場所に辿りついた。

「へぇ・・・!」

突然開けた光景に、凌統は感嘆を漏らし、丁奉が岸に舟を寄せ、碇を下ろしている途中、堪らずに陸へ飛び降りた。
辺りの木々は青々と生い茂り、足元には花畑が広がっている。それから江のほうを振り向くと、長江は青く透き通り美しく、対岸が鏡のように水面に映し出されていた。そこへ、自らが乗ってきた舟が浮かんでいる様も実に辺りに溶け込んで美しい。
その場に立ち込める空気もまた清らかな気がして、凌統は大きく深呼吸をした。

「あんた流石だな!こんなところ、初めて見たぜ。」
「お気に召していただけましたか。よかった。ここに来ると詩が浮かんで止みません。季節が変われば風景も変わります。この花畑は初めて見ました。」

舟から降りた丁奉は、凌統のところへやってくると、おもむろに足元に広がる花畑に腰を落とした。凌統も、釣られるようにしてその場に胡坐をかいて座る。
丁奉は凌統のほうを見て穏やかに笑い、近くの花を数輪摘み取った。そして、その巨大な指からは想像もつかないような繊細な動きで、花を器用に編んで行くではないか。
凌統はそんな手さばきに目を見張り、興味を持って丁奉の手元を覗きこんだ。

「何それ。何作ってんだい?」
「冠です。花の冠を。」
「花でそんなもん作れるのか!?」
「はい。凌統殿も、作ってみませんか?」
「・・・。うん。」

丁奉の手がゆったりとした動きになった。倣って凌統も花を摘み取り編んでいくが、武器に馴染みすぎた手は中々上手く動かすことができず、途中で花がぽろぽろと落ちていってしまう。

「ん・・・?これ、どうなったんだ?」
「ああ、凌統殿。そこはこのように・・・」

丁奉の指は手品のように綺麗に花を編み込んで、あっという間に小さな花の輪を作ってしまった。
一方で凌統はといえば、丁奉の力を借りて何とか4分の1を作ったはいいが、丁奉が作ったものに比べればいびつで、既に見るに耐えない出来になるであろうこと請け合いだ。
必死に手元を見ている凌統に、丁奉の声が耳に入る。

「ああ、やはり甘寧殿もお連れしたかったです。」
「どうしてだよ。」
「美しい風景は、一人で見るには勿体ないものです。二人で見るとより美しさが増します。それが三人ともなれば。」
「それ、甘寧は俺の父上の仇って知って行ってるわけ?」

丁奉が息を飲んだ。
しまった。
冠を作るのに必死になりすぎて、凌統はつい言葉を選ぶのを忘れてしまった。自分にとって甘寧は仇だが、丁奉にとって甘寧は自分の力を引き出してくれた恩人のようなものなのだ。
その場に似つかわしくない爽やかな風が流れ、すみませんと、丁奉の沈んだ声がぽつりと聞こえた。

「・・・ごめん。」

凌統は少し思い知った。人の心の数だけ、人間は様々な形で生きているのだ。
甘寧一人を取ってもそうだ。
丁奉や、甘寧を慕う兵卒の中にある甘寧は、上官、恩人として尊敬するに値する人間。
殿とか呂蒙殿たちとか、上官の中にある甘寧は、頼もしい武官。
俺の内には・・・沢山の甘寧がいる。様々な甘寧が居座りすぎているのだ。仇であり、背中を預けることのできる同遼で、そして・・・愛している人間。そのうちのどれも拭い去ることなどできない。
自分は、甘寧の内にどれくらいの自分が存在しているだろうか。

(あいつは、お前はお前しかいねぇとか言いそうだね。)
(あーあ。こんな所に来てまで、どうして俺はあいつのこと考えるんだっつの。)

花の冠はやっと半分ほどになった。必死に編む指から、ぽとりと一輪の花が落ちて、凌統は拾いあげながら言葉を紡ぐ。

「やれやれ・・・。こんな、俺でも簡単に冠を作れちまうんだからねぇ。」
「はい。其にも作れることが出来る、誰でも簡単に冠などは作れるのです。」
「でも、簡単に作れるからこそ冠を戴げる奴を選べってことなんだろうね。」
「はい。」

こんな花の冠じゃない、朽ちることのない真の冠は勿論孫家に差し上げたい。
武器しか持った事のない手で紡いだ、いびつなこの冠は。
仇の命を狙う手で編んだ、この花の冠は。
時と共に枯れて消える運命にあって、ないことになるかもしれない冠は。
俺の内を一番多く占めているあんたに、あげるべきなのかもしれないね。

丁奉が詩を口ずさみはじめた。
凌統はそれを聞きながら、穏やかに手元の花冠を編んでいる。





「ほら、土産。」

次の日、甘寧は城で凌統に会ったと同時に花の輪を投げてよこされた。一体何だとつい凌統の顔と花輪とを交互に見やる。

「ンだぁ?これ。」
「昨日さ、丁奉と一緒に舟で出かけたんだよね。その時に、丁奉に教えられて作ったんだよ。」
「あいつ俺の次に凌統に声かけやがったのか。しっかしお前不器用だな。ここ、茎が飛び出てんじゃねぇか。」
「うるさいな!・・・でも、本当にいい所だったよ。本当は今の季節より、春のほうがいいらしいけどね。桃の花が咲いてもっといいって言ってた。」

確かにそうかもしれない。昨日の風景を思い出して凌統は考えた。
今は緑が美しかったが、あの風景に満開の桃の色と香りが入れば、その言葉通りの桃源郷になるであろう。

「・・・次の春に、みんなで舟で行くっていうのもありかもね。殿や陸遜も、兵達もみんな誘って、酒も飯も持ってさ。」
「へぇ。お前がそう言うなら本当なんだろうな。」
「・・・。」

(“みんな”の中にあんたも入ってるって、気づけっての。)

甘寧が花輪を頭に乗せたのを横目で見ながら、凌統は唇を尖らせた。









某Sみさんとお話をしていた時、さり気なく出てきた発言に私が盛大に萌えて「書いていいっすか!?」と言って了承を得、勢いで書きあげた話です。
Sみ様に捧げます、ありがとうございました!