研ぎ澄まされすぎた直感






味方の水軍が無事帰路に着く直前、出迎えに出た時の逸る気持ちに似ている。
こちらに近づいてくる気配と鈴の音を例えるならばと考えた時、命の危険は感じずむしろ安堵に近い感情が沸くのだ。そして、命より身体の危険を警戒したほうがいいかね、と、凌統は考え、自らが弾きだした答えに片眉を上げたところで、突然窓が外から大きく開いた。

「よ〜う、凌統。」

甘寧だった。
こんな風に邸の玄閑からではなく、いきなり窓からやってくるのはまず一人しかいないし、声色もいつもの喧嘩を吹っ掛けてくる時のそれで、でも、些か何かを企てていて思い描いた様に成った時を想像して笑っているようにも感じた。
竹簡を読んでいた凌統は、少しも甘寧に目線を動かさず、また、顔色も変えずに唇だけを動かした。

「はいはい。いつも言ってるけどさ、俺の室の入口はそこじゃねぇんだけど。」
「難ぇ事言うな、どこから話したって同じだろ。」
「ちゃんと敷居は跨げっつの。」

甘寧がよっこいしょと窓枠に両腕をひっかけ、窓枠に器用に胡坐をかいて座り込んだのが目の端に映った。
甘寧はそのままじっと凌統のほうを見たり、開け放たれた室の入口の向こうに見える庭に目を向けて黙っていて、しばらくすると窓枠に凭れて自らが持っている羽や鈴に目をやりだした。
しばらく互いに黙っていた。
凌統は思う。少し前ならば、この気配が近づくにつれ得物を忍ばせて待ち構えて、やって来たと同時に被りを振って斬りかかったり、笑顔で招いて不意を付いて首根を掻いてやろうと思っていたのに、全てかわされ、戦を重ねて甘寧が邸に来る回数が多くなるうちにそんな気さえなくなってしまっている。
仇という気持ちは未だにある。
あるのだが・・・。
自らの内にある父の仇討ちと、戦友(それを超えた関係であるのも大いに作用しているのかもしれない)という気持ちを天秤にかけてもどちらを取ることもできなければ捨てることもできないだけなのだ。
ならばいっそ、そんな自分自身を受け入れてしまったほうが、気も楽になるだろうかと思ったら、不思議と何か腑に落ちた。
仇怨と戦友、どちらも心にある状態だから、こうして近くに甘寧がいても安堵はするけれど、心の片隅には僅かに拭えない気まずさはあって、凌統は竹簡を読む速さが少し遅くなったのをそのせいだと思った。

「なあ凌統、お前、何してんだ?」
「あ〜・・・?今度青州のほうから学士が来るっていうから・・・ちょっとうちの連中に学を仕込んでもらおうかと思ってねぇ・・・。孫呉から出たことない奴が結構多くてさ。」
「孫呉の文官共がいるだろうが。」
「あっちからはもう教えてもらったの。それに、違う文化の奴から話を聞くとまた見方も変わるってもんだろ。」
「あ、そうだ、ほれ。ここに来る途中に買って来た。」

何かと思って顔を上げた凌統に向かって甘寧が放り投げてきたのは、肉まんだった。
奴がこうして何かを手土産にやってくるという時は、あまりいい話がない時で、凌統は十分にその理由に思い辺り、空中で受け止めた肉まんを思わずぐしゃりと握り潰してしまいそうになった。

「・・・甘寧、お前、この間俺の名前で酒代ツケやがっただろ。」
「その前に、お前も俺の名前で酒代ツケやがっただろうが。」
「その前にもあんたは俺の名前でって・・・ああ、もう!俺は持ち合わせがなかったもんでね!」
「しっかし、お前の酒代って俺の何分の一だよ。あんな量しか飲めねぇってか?凌統さんよ。」
「あんたと一緒にすんな。俺は大体一人で飲んでるの。それに短時間に大量に飲むのは性にあわねぇんだよ。あんたはいっつも兵と一緒に浴びるように飲んでるだろ!あんな代金ツケんじゃねぇよ!」

凌統の怒鳴り声が止む前にすとりと、妙な軽やかさで甘寧が凌統の室内に両足をつき、竹簡を読む凌統へ近づいて真横で立ち止まった。
甘寧の視線は感じないが、妙な予感がする。
こういう時の予感は大体的中する。戦の時もこれぐらい綺麗に敵の攻撃を予測できればと思ったが、それと戦とを一緒にしようとした自分自身、戦に対して謝罪したくなった。
甘寧が、凌統の持つ竹簡を片手で薙ぎ払った。

「おいおい、何すんだよ。」

竹簡が床の上をからからと転がる音がして、止んだ。
この後待ち受けている展開はいつもと同じだろう。容易に想像できることをひた隠し、凌統は一応下から軽く睨みながら唇だけで笑った。
凌統のやや斜め上にあった顔も不敵に笑っていて、あまりに自然に差し出された右腕は凌統の腕を強く掴み、そのまま歩き出した。凌統はやや前につんのめりながら、何とかその歩幅に合わせようと足を動かす。
行きついた先は寝台の上で、思い切り投げ飛ばされた。そして、凌統を抑え込むように甘寧が馬乗りになった。
ほら、嫌な予感は当たっちまった。

「安心しろや、残りは身体で払ってやるからよ。」
「安心するとこじゃねぇつーの。それさ、どう考えたって俺のほうが損してるだろ。」
「何だよ、まんざらでもねぇくせに。それじゃ、律儀に金払うか?」

それも甘寧らしくない。
そして、こんな奴に律儀に金を払ってもらったほうが寂しくなるような気がして、また、寂しさを覚えた自分に笑いが込みあげ、凌統は大きく笑って未だ片手に持っていた肉まんを寝台の外へと放り投げ、自分の上に居る甘寧に向かって不敵に笑った。

「はは、そんな気持ち悪いあんた、こっちが嫌だっつの。ま、いいぜ。せいぜい損はさせんなよ。」
「はっ、天まで吹っ飛ばしてやるぜ。」

戦から帰って来た者を出迎え、労い、抱擁し、あとは寝台に行く。
やはり戦と似ている所があるけれど、そんな風に戦にしか例えられない自分自身と、そんな戦によって磨かれた己の直感。

(乱世じゃなかったら、俺、どうなってたんだろうねぇ・・・。)

金色の髪に指を差し入れ、熱い唇を受け止めながら、もう何も考えまいと凌統は諦めた。






他ジャンルを挟んだのち甘凌を書いてみたら、あら不思議。
割と自分でも腑に落ちる甘凌が書けました。甘寧に振りまわされる凌統は5凌統だけの特権みたいなもんだと思うのでw、ここは互いにライバル視つつ余裕のある6にしてみました。