逃走本能






「もう沢山だよ!どうしてこんな馬鹿と俺が一緒に戦場に立たなきゃいけないんだっての!」

これまで幾度となく聞いた台詞だ。
今度の戦のために、酒宴も兼ねて夜に呂蒙の房で陣形の話をしていた時、例に漏れず凌統と言い争いになった。奴はそんな陣形ではただ犠牲が増えるだけだの、増援を増やすべきだのと呂蒙に進言していたが、そんな凌統の言葉に野地という名の相槌を打っていたら、いきなり凌統が怒りだしたのだ。
そして、大きく机を叩きながら立ちあがり、いつもの台詞を吐いた後、房から出て行ってしまった。

「全くお前達は・・・。どうしていつもそうなのだ。魯粛殿の言動もその目で見ていたであろう。」

甘寧は小さくため息をつくと、軽く後ろを振り向いた。
丁度凌統が房を出る所で横顔が一瞬だけ見えた。
両手を後頭部で組んでぼんやりと前を見る横顔に、甘寧は何か妙な予感がした。
追わなければ。
どうしてそう思ったのかは分からないが、椅子を吹っ飛ばして呂蒙の言葉も聞き入れず、甘寧は凌統の後を追った。

「凌統!」

目の前を歩く高い背に思い切り叫んだ。
凌統の歩調は最初こそ止まらなかったが、だんだんと遅くなり、とうとうぴたりと止まった。
が、こちらを振り向こうとはしない。
無言の風が吹き抜け、腰の鈴が僅かに鳴った。
ああ、そういえば奴が夜襲の時に馬鹿じゃねぇのかと言っていたのを思い出した。
どうして追ってきたのか、それは甘寧自身もよくわからないし、ただの勘でしかなかったのだが、このまま凌統はどこかへ行ってしまうような気がしたのだ。

「何しにきたのさ」
「別に。てめぇがここから居なくなりそうだと思ってよ」

すると、凌統はゆっくりと甘寧のほうをむいて、くすくすと笑いだし仕舞には腹を抱えて笑い出した。一体何が可笑しいんだと思った直後。

「馬鹿じゃねぇの?」

ああ、いつもの凌統の言葉だ。けれど、含まれているのは本気の“馬鹿じゃねぇの”。
だから、甘寧はいつものようにあぁ?と凌統を睨んだが、凌統の瞳も闇夜の中で本気の光を宿していた。

「そりゃあ孫呉から出奔して、今抱えてるものぜーんぶ投げ出して自由になれりゃあって思うよ。誰かさんのせいで父上を失って、家督を継いで、兵たちを纏めて前線に出て。俺の家は兵家だからねえ、お偉いさんの策に従って戦う死ぬのが仕事だ。弔う覚悟だってある。だけど俺は死ぬわけにはいかないし、俺についてくる連中もそう思っていて欲しいんだよ。」
「・・・。」
「誰かのために戦う覚悟だってある。だから、・・・そういうの全部、投げ捨てちまいたくなるんだよ!!」
「・・・。」

いきなり降ってきた乱世という現実は、凌統が受け止めるには少し重すぎた。
いづれは己も戦場に出るであろうことは理解していたが、それは一兵卒としてであり、将としてではなかった。
だが、国はそれを許さない。無論、凌統自身の力量を図ってくれてのことであろうから有難い事ではあったけれど、これ以上何も失いたくはないというのが本音で、いっそ全てを投げ出して、この空は一体どこまで続いているのか、江はどこへ流れついてどの国へ行くのか、どこかへ旅に出たくなる。
しかし。

「でもなぁ、丁度いい所に解消法を見つけちまったわけよ。」

そういうや否や、凌統は不敵に笑って甘寧のほうへ数歩近づいてきた。

「仇のあんたに俺の苛々を全部押しつける。だから、あんたは俺の苛々解消の存在なんだよ。せいぜい覚悟しとけよ。」

そう言って甘寧の額を小突いた凌統は不敵に笑っていた。
凌統の言葉を黙って聞いていた甘寧は、結局凌統のことなどこれっぽっちも理解できないことは解ったのだが、一つだけ自分の中で腑に落ちたことがあった。

「・・・ま、“諦めて”なくてよかったぜ。」
「あぁ?」
「逃げたら、戻ってこれんだろ。諦めたら終わりだからな。戦と同じだろ。」
「・・・だから?」
「だから、とっととおっさんとこに戻って、また策練ろうぜ。」
「・・・・・・・・・しょうがないねぇ。」

そうして二人一緒に踵を返したが、甘寧の心のざわつきは未だ晴れない。
もしかしたら、明日ふらりと凌統はいなくなっているかもしれない。
重荷がそんなにあるのならいつだってぶつけてきていい。そして全部返してやろう。そして時々奴自身が思い知るように、重荷ごと抱きしめてやって、身体に叩き込んでやろう。

(んじゃあ、俺はもっと死ねねぇなぁ。)

凌統の少し後ろを歩きながら、甘寧は回廊から見える星空を仰ぎ見た。




7の甘凌のイメージはこんな感じ・・・?とまた書いてみたらできたので、短いですけどあげてみました。
7の凌統は真面目で、仕事はちゃんとするけど甘寧も気づかないくらいにふらりとある日突然いなくなっていそうです。