あの旗の先に(呉カル)







※魏伝・許昌政変戦ベースの話です。




長江の流れがいつにも増して濁っているように見える。
上流で長雨が続いたか、いいや、そんな季節じゃないはずだ。
船を溯上させながら練兵を行っていた呂蒙は、自らが乗っている船の旗の青と曹魏の文字が江に映った瞬間、思い切り顔をしかめて江から目を離した。


これから北への従軍が多くなる。
最近の凌統はおもに騎馬を多く取り入れて、練兵を行っていた。
練兵を終え、建業に帰ってくるとそこに翻っているのは赤い孫呉の旗ではなく青い曹魏の旗。自分の帰るべき場所ではない、しかし仕方がないと言い聞かせ、凌統はしかめっ面で城に向かって馬を闊歩させた。


夜の酒宴が終わり、甘寧は大欠伸をかきながら建業の街を歩いていた。
歩いていた先にあったのは、城門の孫呉の旗ではなく曹魏の旗。
次の自分はどこで暴れようが関係ないと思っていたが、どことなく気に食わない。孫呉は自由に自分を使ってくれた。曹魏は・・・飼い慣らされているようにしか思えない。
その証拠に、自分への派兵の命は最近下っていない。
面白くない。
甘寧は大きく舌打ちをした。



孫呉は曹魏に負け、降伏した。
赤壁の戦で大敗し、孫権が出した答えだった。勿論主戦派はそれに猛反対したが、降伏派は孫権をよくぞご決断なされたと讃え、そして受け入れた。
孫権は勿論主戦派の意見もよく知っている。それに父や兄の志を考えれば、尚更もう一度天下に手を伸ばしたいと思う。
しかし、曹魏の力は圧倒的すぎた。敵わない。ならばいっそ、曹魏の元で天下を一緒に掴み取ることのほうがよいのではないか。・・・きっと、民草にとってはこの戦乱が一刻も早く治まることのほうが大事なのだろうから。
だから、孫権は主戦派に穏やかに告げた。

「皆、よくぞ頑張ってくれた。しかしこれ以上戦い続けても疲弊するばかりだ。これ以上私は戦場で失う者を見たくない。・・・勿論、魏の元で飼い慣らされる虎にはなりたくはない。しかし、それでも私達しかできないことは有るはずだ。そこに孫呉の未来を見出していきたい。」





陸遜はある夜、使いの者を走らせた。
孫権に知られぬよう、そっと。
そして暫くして使いの者とともにやってきたのは、呂蒙、甘寧、凌統の3人の武将達であった。この3人は、3人とも孫呉の主戦派である。

「ンだよ陸遜。こんな夜に宴会かあ?」
「んなわけないだろ。」
「いえ・・・ある意味、宴会かもしれませんね。」

3人が椅子に座り、卓を囲んで陸遜は含んだ笑いを見せた。

「何かあったのか、陸遜。」
「そうですね・・・。まず結論から言いましょう。私達で許昌に襲撃をかけ、曹魏の力を削ぎます。」

陸遜の大胆な発言に、3人は目を丸くした。
孫呉が敗れた今の現状に、陸遜だって不満が募るばかりであった。
孫呉のために振るった剣や策は、今までの戦は、一体なんだったのか。孫呉の隆盛の先にしか陸氏再興の道は無かったのに、潰えてしまった。才を買われた己は、様々な任が舞い込んできてそれを片づける日々。しかしそれは孫呉のためではなく、曹魏のため。
己の内で燻っている炎は消える影を全く見せない。何度、城門に翻る曹魏の旗に火矢を射かけようかと思ったことか。

「遠征で現在許昌に曹操はいません。留守を預かっているのは曹丕とその奥方、そして近隣に夏侯惇と夏侯淵がいますから、窮地に陥れば駆けつけてくるでしょう。そこで、今入った情報なのですが、不明な部隊が許昌に向かって攻め入っているようです。これに乗じれば、寡兵の我等でも曹丕を討ち取ることは可能、曹魏の滅亡とまではいきませんが、曹操の行く末を幾分か削ぐことはできると思うのです。」
「・・・それで成功すれば、孫呉に再び対曹魏の力がつく、というわけか。」
「ええ。」
「許昌の内部はわかってんのかよ」
「数ヶ月前に許昌に行った際、内部を見学してきました。地図に起こし、ほぼ把握しています。」
「あっちの留守居の兵力は?」

そこで陸遜は黙った。
それで想像以上の兵が居るということを3人は陸遜の沈黙から汲み取ったが、果たして勝てるのか。いや、しかし、最早勝つ戦などを考えるべきではないのかもしれない。
孫呉を曹魏の属国としてではなく、曹魏と同等の国にせんと奮う戦、ならば、やることは一つ。

「ま、大暴れしたい所だったしねぇ。ひとつ派手にやるとしますか」
「おいおい、凌統。そいつは俺の台詞だろうが」
「あんただけが武官じゃねぇっつーの。それに、帰る場所が乗っ取られたままっていうのは俺も気に食わないしね」
「周瑜殿・・・魯粛殿・・・。果たしてお二人が描かれた孫呉の未来は我等が手に入れられるのだろうか・・・」
「・・・信じましょう。空も大地も、どこまでも続いているのですから。」

そうだ。
本当は、国境などないのだ。胸の中に僅かに躊躇いが浮かんだのをかき消すように、陸遜は襲撃詳細を3人に伝えようと、自ら作り上げた地図を広げ話し始めた。





堅固な許昌は、やはり想像以上の兵数がいた。
なんとか玉座の間近くの小部屋を押さえたものの、そこから如何にして曹丕のもとまで辿りつくか。・・・辿りつけるのか。凌統は冷や汗にも似た汗が背中を垂れていくのを感じながら、迫りくる敵を次々となぎ倒してゆく。

「おい!」

凌統は鈴の音が響く方向に向かって大声をあげた。

「帰ったら、酒宴といこうぜ!」
「へっ!お前となら酒宴どころじゃねぇかもしれねぇなぁ!」
「どういうことだよ!」
「何を言っている二人とも!急げ!他の部隊に嗅ぎつけられる前に玉座の間へ行くぞ!」

とはいえ、次から次へと襲いかかってくる兵の数は赤壁のそれ以上。さすが敵の本拠地だ。
陸遜は黙って双剣を振るった。小部屋を出、広間に出ると天には青空が広がっていた。
孫呉とは変わらない青空。
再び、自らの考えに躊躇いがよぎる。

“私の行動は、間違っていたのでしょうか。”
“しかし、呂蒙殿も甘寧殿も凌統殿も、皆、皮肉にも乱世でしか生きられないのです。”
“孫呉の天下を謳いながらも、武を奮う事こそが我等の本懐・・・”

陸遜の背後で呂蒙の絶叫が聞こえた。
ああ、呂蒙殿・・・。しかし振り向く余裕などない。
目の前に出てきた夏侯淵を討ち取り、陸遜は走った。己の体力の消耗、傷の痛みは忘れていた。
階段を駆け上がり、次々と兵たちをなぎ倒していた目の端に、広間で甘寧と凌統が夏侯惇の腹と背後とを通して互いの腹を貫き通し、相討ちとなって同時に倒れたのが見えた。
それでも、陸遜は走る。

玉座の間は暗く、多数の兵の中に煌びやかな鎧を纏った曹丕とシン姫がいた。
あの首を取れば・・・。
狙いは定まっているが、兵達が邪魔だ。
肩を裂かれる、足を斬られる。

「ぐっ・・・」

腹を何かが貫いていって、陸遜はとうとう膝を追った。
だが、心臓は動いているし首は繋がっている。迫りくる矛や刀を持った兵をものの見事に薙ぎ払う。
そこでやっと、自分の息遣いが荒いこと、血に塗れていることに気づいた。

“そうか・・・”
“生きることと、生き様を貫くことは、また違うのですね。我等は、後者だったのか・・・”

きっと自らも呂蒙殿や甘寧殿、凌統殿とともにここで果てるだろう。しかし自らの生の意味を知った今、成すべきことは一つしかない。

「曹丕殿・・・」

双剣を床に突き立て、自らの背に忍ばせていた書簡を曹丕に向けて震える腕を伸ばし差し出した。
曹丕を取り囲んでいた兵達が、陸遜に向かって刃を突き立てる。が、曹丕は兵達を退け陸遜に向かい足を進める。
曹丕は陸遜から血まみれの書簡を受け取ると中を見た。

「何だこれは」
「孫呉の・・・・・・造船技術です・・・・・・江での船と・・・渡海の・・・船とでは・・・・・・勝手が・・・違います・・・・・・それをもって・・・・・・造船すれば・・・交易が・・・より発展する、でしょう・・・」

そこまで言うと、陸遜は力尽きた。
曹丕はじっと陸遜の顔を見る。

「ふん、こういう事は武力無しに口で語れ。それとも手渡しできぬ程に口を閉ざすか。愚か者共よ。」
「我が君、この者らはどういたしましょう」
「棺に入れ孫呉に帰還させよ。護衛もつけ、彼等を讃える詩を添える。この書簡も孫呉に戻し、すぐに造船させよう。」

そして曹丕は卓につき、陸遜から受け取った血まみれの書簡の最後に陸遜の名前の後に自らの名を筆で書き、兵に持たせた。
血まみれの書簡を見、孫呉の者達は何を思うだろうか。

「乱世とはこのような人間をも生みだすものか・・・」

玉座の間から外に出た曹丕は、孫呉まで続いているであろう青空を眺めながら小さく息をついた。





許昌政変戦でいきなり呉カルが乗り込んできてびっくりしましたけど、どう考えてもあれ、呉カルが来ても負けるだろうと思って。
でもきっと彼等なりの行動で示したかったんだろうなって。
生きる事を続けることと、生き様を示すことは違っていて、姜維なんかも志を継ぐっていう生き様を貫きたかったんだろうなー。