ジェイド・シェイド(ガソリンスタンド甘凌)





某県某市揚虎町・・・。
その場所は観光情報雑誌には載らない、傍目からみれば夏になると海水浴者で溢れかえる小さな港町である。しかし、一度訪れたら決して忘れることのできない、また訪れたいと思える町だ。

例えば海。
夏の集客数は他の海岸沿いの町と同等だが、リピーターが群を抜いて多い。スキューバダイビング体験ができる他、鍛えに鍛え抜かれたライフセイバーの監視と救助による安全性が功を奏しているようだ。
そしてまた、最近デビューした美人海女がいるという情報が口コミで広がり、夏以外にも観光客が増えている。

例えば食。
海沿いの町故、海鮮食材に事欠かない。商店街の路地裏に佇むリストランテは、ランチもディナーもどれも絶品。中でも店一押しのボンゴレパスタは格別で、ギャルソンもウェイターも気配り上手。また、ディナーで出されるワインはソムリエ自身が海外や地方に出向き、葡萄の品種から見極めている格別の一品で、都市部で飲むそれよりも美味いとの評判がたっている。
夏には時折臨時の海の家として砂浜に店を出している年もある。(店を出さない年は、いいワインが見つからなかった時で、その場合はリストランテと同系列のカフェのメイドがかき氷とジュースを振舞っている。)

そしてなによりも住人。
誰に声をかけても陽気で、そして親切であり、私利私欲無しに応対してくれる。
駅や海岸付近に設置されている観光案内所には、“衛兵”や、黒ずくめの“探偵”や“執事”がいて、観光客が迷わないようしっかり案内してくれるのだ。(観光客は誰に案内を頼んでもいいよう選べるシステムとなっている。中々この町を仕切る官公庁は侮れない。)



そんな揚虎町の海辺に、他の家々とともに凌統が働くガソリンスタンドは軒を連ねていた。

「っラーイ、ォラーイ、っラーイ」
(ん〜・・・この車、中古だっつってたっけ・・・。前に当てられた傷が今になって出てきちまってるねぇ。レーザーでどうにかできるか・・・?)

車検で預かった車の下に身体を入れて、整備をしながら思案している凌統の耳に、同僚の甘寧が客の車を誘導する声が届く。

「っラーイ・・・」

甘寧の声が一瞬止まりガゴっと不穏な音がしたと同時に、凌統は自分が手にしていたボックスレンチを放り投げ、すぐさま車の下から抜けだし慌てて甘寧と客の車に駆け寄った。

「ストップストーップ。おう、お客さん。ハイオクすかレギュラーすか「じゃねえっつの!!お前またお客さんの車ぶつけて止めたろ!」
「あぁ?ちぃっとだけだろうが。それに、コイツは俺の昔の後輩だし、お前ぇが何とかすればいいだけの問題だろ」
「ちぃっとでも問題は問題なんだよ!あんたの後輩でも信頼は失う時は失うって考えろ馬鹿!それに俺の仕事増やすんじゃねぇよ!」
「仕事はあってなんぼだろ。それにその分金取れんだろうが」
「折角来てくれた人からさらに金撒きあげろって!?こっちの不手際でそんな真似できねえよ、こっちの整備代だってあるんだ!」
「整備代ぐらいこっちが持てっててめぇの手際がどうとか、俺が知ったこっちゃねぇな!」
「〜〜〜っ、あんた・・・それ本気で言ってんのか?」
「あ、あの・・・」
「「あぁ!?」」
「レギュラー満タンでお願いしまス・・・」

二人同時に振り向いたそこには、吸殻で満杯の灰皿をこちらによこしながら、二人の間を裂くのを申し訳なさそうに苦笑いを浮かべていた客がこちらを見ていた。



「・・・」

凌統は舌打ちをして手袋を嵌め直し、自分の持ち場へと足を運ぶ。
ちら、と、客の車を肩越しに見やる。
ぶつけた所は然程へこんではいないし、あの様子では中も・・・いや、やはり一度見ておかないといけないか、後で事故っちまったら身も蓋もねぇっつの。
凌統は踵を返し、再び甘寧のところへ戻り耳打ちをした。

「おい、甘寧。ガソリン入れ終わったらこの車ちょっと見せな。ぶつけた所がどうなってるか見るからさ。」
「へっそうこなくっちゃな!」
「・・・一体誰のせいだと思ってんだ。」

何がそうこなくっちゃな、だ。
今の時期、どうしてか車検の車が多くて残業が積み重なり、疲労していてより神経を使うというのに。それでなくてもこの海沿いでは潮でやられる車が多く、海より遠い街より故障した車が運ばれてくる頻度が多い。
はあと凌統は肩を落とし、再び自分の持ち場へ戻った。


元々このガソリンスタンドは、凌統の父が経営していた。
個人経営のスタンドだからかもしくは父の人徳からか常連客は多く、はじめはバイト代わりにと家の手伝いをしていた凌統であったが、あれよあれよという間にいつのまにか整備工になってしまっていて、後を継いでいた。
そこで人手不足と父に告げたら、ある日父は暴走族上がりの甘寧という男を連れてきた。初対面でメンチを切られ、一応自己紹介はしたものの、どうにも凌統はこの男と馬が合わないまま現在に至る。
ヤンキーあがり、バイクや車についての知識は確かに備えてはいるが、時折雑さが目立つのが癪だった。
釣銭は間違えるわ灰皿をぶっこぼすわ、車検で車を預かったはいいが、煙草を吸わない客にヤニのにおいが充満している仮車に乗せようとするわ(慌てて凌統が消臭剤を撒いたのは言うまでもない)。挙句の果てには客の車をぶつけて止めるわである。
ただ、人脈だけは父よりも広かった。暴走族あがりというだけあって、地元や周辺地域の知り合いが続々とやってくる。それから、客への声のかけ方は言葉遣いの荒さはともかくとして、確かに気持ちが入っているのだ。何かあったら素直に謝るし、笑顔もある。それに、この町の道はおろか、周辺の町の路地裏まで頭に入っているのでそれは本当に信頼できる。
また、甘寧が何かしでかしたら凌統が横から箱ティッシュやらドリンクやら飴などをスマイル付きでサービスとして振舞って謝っている。
実際のところ、常連客からしたら二人のやりとりが面白いので全く気にはならない、この町に似合ったスタンドだと映っているのだが、凌統はそんなことを知る訳がない。

(まあ、プラマイゼロ、か。)

じわじわと、どこからか蝉の鳴く音がする。
そんな季節か。そういえば、最近ボードを乗せた車をよく見るようになった。
凌統は一人自分の持ち場で車を相手にする日々。
確かに、高校の頃は水泳部に所属しインターハイまで昇りつめたが、今では青い海を眺めているだけでも落ち着くようになっている。

「・・・」

指先が黒くなった手袋でレンチを取り替え、額に滲んだ汗を拭う。
少し休憩しようかと車から離れ、近くに置いていたパック入りの2リットル緑茶と、ラジカセを手に、凌統は腰を降ろした。
手にした緑茶を喉を鳴らしながら飲み、ラジカセをコンクリートの上に直起きにして電源をオンにする。
流れてきたのはFMラジオ。
それは、凌統の日常であった。
朝から昼過ぎまで車の部品をいじり、昼飯を食べて持ち場に戻ってラジカセでラジオを聞きながら再び車を整備する。
海が奏でる漣と、DJの言葉と、合い間に聞く音楽。オイルまみれの手元をしっかり見ながらもゆったりと落ち付ける時間だ。

“さて、次のメールですが、ラジオネーム、師くんと昭くんのママさんからでーす。”
「おーい、凌統!親父さんから電話だ、発注したオイルと部品明日届くってよ!」
「はいよー!・・・ったく、あいつ帽子ちゃんと被れっての・・・」
(さて、仕事の続きをしますかね・・・)

よっこらしょと凌統は腰をあげ、そのままいくつかのレンチを持って再び車の下に入った。
車も人と同じだ。小さな傷、漏れ、緩みがやがて大きなものとなって大事故に発展しかねない。己の扱う車の向こうに、乗車する人物の命が消える可能性を考える。すると、どんな小さな綻びも見逃すわけにはいかない。

(そこんとこ、あいつは判ってるのかねぇ・・・)
(ま、俺よりあいつのほうが接客は向いてるのかもしんねぇけどさ)

甘寧が給油をした車を見送ったのを、僅かに盗み見て再び自分の手元を見た。
どこで父上は甘寧を見つくろってきたのだろうか。
あの父上のことだ、甘寧と喧嘩したか、車の話題で盛り上がってそのまま連れてきたのか。
甘寧はどう思っているのか知らないが、2人で回しているスタンドだ。奴とは上手くやっていかなくてはいけないと思う。

“お前達はいいコンビだな”

ある時客に言われた言葉を思い出した。
あれは確か早春の、北国からやってきた車のチェーンを取り替えた時のことだったと思う。
凌統がチェーンを取り替えている間、甘寧はその運転手と談笑し、いつの間にか仲良くなって相手を“おっさん”と勝手に言い始め、今や常連となっているタクシー会社の運転手である。
チェーン交換を終えた凌統がその場に行って、会計をしていた時にあまりにも甘寧の言葉が酷いので咎めたら、いつもの言いあいになった時に言われた台詞だ。

“まあ、仕事でそうなってればいいに越したことはないけどさ・・・一緒にすんなっての”

ラジカセの中ではリクエスト音楽から再びDJの声がし始める。

“それでは次のメールに行きたい所ですが・・・え〜、久しぶりにメールではなくお葉書を頂きました!ええっと・・・ラジオネームはかんねいさんと呼べばいいんでしょうか。え〜〜〜・・・凄い内容です。書いてある事をそのまま読みますよ〜。『聞いてっか凌統!お前ぇがいなかったら俺の背中預けらんねぇ、宜しく頼むぜ相棒!』”

つい手が止まった。
ラジオのDJは何かまた言っているが、続けてリクエストで流れた音楽は凌統がたまに鼻歌で歌っている曲だった。好きでもなく嫌いでもない、昔父がよく聞いていた曲で、歌詞もよくわからないしただ耳にこびり付いて離れない曲だというのに。
まさか、
まさか。

凌統は、じっと車の下から接客中の甘寧の背中を眺めていた。
こうしてあんたの背中を見るのは俺だけって?

あいつも笑顔は作れるもんなんだな・・・。

「おい」

持っていたレンチを腰の後ろに差しこんで、凌統は甘寧のほうへ歩いていく。
そして、甘寧をのけるようにして久しぶりに凌統が会計をして客の車を車道へ誘導し、見送ってから再び甘寧のほうを見て言った。

「ルビーの指輪なんざ、あんたよく知ってたな」

今度は甘寧が振り向きぎょっとする番である。
が、しかしすぐに甘寧は破顔し、憎たらしいばかりの白い歯を見せた。

「へへっ、親父さんに聞いたんだ」
「あのラジオ、いつも俺が聞いてるって知らなかったら唯の馬鹿だぜ、あんた」
「親父さん、ルビーの指輪をお前ぇのおふくろさんにやったんだとよ」
「・・・っうちの家庭事情に首突っ込むな!」
「俺はお前ぇにルビーなんざくれてやる金はねぇが・・・ま、こんなんでどうだ」

そう言って甘寧がズボンの後ろポケットから取り出したのは、不思議なネックレスであった。
鈴を潰したようなデザインのそれは、白と黒の紐で結わえられている。
即ち、これは、ルビーの指輪の代わりということであり・・・と、そこまで考えて凌統は顔を真っ赤にして俯いてしまった。

「で?どうなんだ」
「・・・・・・・・・何がだよ」
「判ってんだろ。おら、言え」
「〜〜〜〜っわかったよっ!ほらお客さん来たっつの、とっとと行けってば!」
「それじゃあ答えになってねぇな!」

凌統は話を逸らそうと、車がスタンド内に入り込んできたことをいい事に甘寧の横を通り過ぎようとした。が、甘寧は凌統の腕を捉え、一向に足を踏み出そうとしない。

「結構俺本気なんだけどよ」
「・・・」

客が待っている。甘寧も待っている。
ラジカセはルビーの指輪の終盤にさしかかっている。

「わかったってば!!今度一緒に飯食いに行こうぜ!それでいいだろ!」

凌統は甘寧の手からネックレスをひったくり、ついでに腕も振り払ってその場を逃げるように速足でして自らの持ち場へ向かった。
後ろから何事もなかったかのような甘寧の威勢のいい声が聞こえる。

(ああ、もう!なんで父上は本気でコイツを呼んだんだよ!)

凌統は奪い取ったネックレスを握りしめながら腰にさしたままのレンチを手にした。
ラジオは再びDJの声に切り替わっているのが幸いだったが、自らの心臓はどくどくと脈打って顔も熱い。
きっとこれは潮風も気温も暑いからだ・・・。そう自分に言い聞かせて、凌統は熱を冷ますように緑茶をごくごくと飲み干してしまった。








DLCのガソリンスタンドの二人でした。
勝手に孫呉の町を作ってしまいましたが、ここでの父上はオイルや部品の発注担当で別な部署にいるということにしておいてください。
行ってみたいなあ、二人がいるガソスタ。
もしかしたら続くかもしれません。