無常なれど2(100万人の戦国無双 毛利隆元)






隆元はそれから、抵抗らしい抵抗もできずにすでに冷たくなってしまった赤川らの亡骸とともに、屋敷裏の山に放り投げられた。
耳が聞こえないが、霞む瞳は夜を照らす。
己の引き攣った呼吸を嘲笑うかのような木の葉のざわめき。
薄い闇夜の隙間を縫うように、鵺の声が聞こえてきそうだ。
長月が始まったばかりの安芸の夜は、暑さが残る。
風は生温く感じるが、毒に侵され死に向かう体は急激に冷え、震えが止まらなかった。
隆元は、口から流れる何かを垂らして死に向かう己を実感しながら、夏の夜空を仰いだ。

(・・・い、今更・・・生きたい、など・・・)

死んでしまったら仕舞いだ。今更隆景の言葉を思い出した。生きても何が待ち受けているか解らないのに、それでも生きたいだなんて。
・・・いや、何が待ち受けているか解らないからこそ、一歩踏み出せるのか。
嗚呼、今さらこんなことを思うなんて。
だが、隆元の目は既に使い物にならなくなっていた。空を仰いでいても、ただただ、目の前には闇が広がるのみ。

「・・・。」

かすかにだ。
その時、かすかに何かの気配を感じた。

それは最初、熊や猪など獣の類で、このまま食い殺されるのではないか、でもこんな毒に侵された体を貪れば、獣も死んでしまうのではないかとそんなことを考えたが、気配はずっと傍にいるのに手を出そうとはしなかった。

(・・・様子を見に来た・・・和智殿の家来かな・・・)
「そ、そこに・・・どなたかいらっ・・・しゃ、るのですか・・・?」
「・・・。」
「・・・ご、後生です。・・・わ、私の話を・・・聞いてください・・・」
「・・・。」

何を話そうと思ったのかは、自分でもわからなかった。だが、あえて理由をつけるのならば、やっと毛利から自分が抜けたらどうなるか気づき、今更生きたいと願う自分の言い分を少しだけ誰かに話してみたかった、ということになる。

「こ、こうして・・・死に、直面して・・・はじめて思いました。・・・わ、私は・・・生まれてはじめて、死にたくないと思っています・・・・・・と、当然なことですよ、ね?で、でも・・・私はそんな簡単なことを、知らず・・・・・・恥じ入るばかりです。」

隆元の父・毛利元就は、手段はどうあれ、毛利内部では歴代当主のなかでも名君と呼ばれるに等しい人物だ。先代まで夢にも思わなかった中国地方の統一に手が届こうとしており、大大名として各地に名を馳せている。
元就は、若い頃に父と兄を亡くし、先代だった兄の子にも先立たれ、次男でありながら家督を継いだと聞かされた。
元就の願いは、毛利の繁栄。繁栄は長子という大黒柱があってこそであり、次子以下はそれを支える脇柱。元就は、自らは脇柱で次の当主に家督を継ぐまでの中継ぎの当主にすぎないと考えていた。
鎌倉から続く古くからの家、武で勝る弟元春に、策で勝る隆景。
大黒柱になる長子は己。しかし、自らには何もない。
それでも、元就が合戦で展開した策により身を散らした家臣や敵武将、その他大勢の兵卒たちの魂をも背負って生きていかねばならないというのに。

「・・・す、全てが重かった。・・・生きていかねばならないことが、く、苦痛で仕方がなかったのです。それでも・・・それでも、こんな優柔不断な私でも、や、やっと毛利の中での己の立場を見つけたところでした。・・・“人の和”を補うこと。たったそれだけですけど、・・・父上にも弟たちにもないもの・・・。そこに私の活路はあると・・・。」

毒を盛られたのは、これまで後ろ向きでいたことの罰なのだろうか。
しかし、父の策略に嵌った者たちの怨念がこの身一つに降りかかったというのなら、これもまた本望・・・
だが。

「生きたい・・・。」

ぽつりと呟いた己の言葉は、そのまま心に染み入った。
生きたい、生きたい。苦痛が和らぐ事もまた、生があればこそじゃないか。
・・・多分、それも適わないけれど。

「・・・・・・やれやれ・・・」

そう呆れたように呟いたのは、己の声ではなかった。
ずっと傍にいて、動かなかった気配が発した声だった。
和智の家臣の一人か、それとも、また別の者か・・・。

「立派な命乞いだ。」

低い女の声だ。ああ、この女は忍か。
忍は続けて言った。

「お前の話は聞いた。お前は何も悪くないし良くもない。善悪は自分で決めることでもないし、過程と結果が全て善と悪に直結する物でもない。」
「・・・。」

忍の言葉は、鍛練に鍛練を重ねたどんな名匠が作った刀よりも鋭く、隆元の胸の真ん中を貫いた。
隆元は、もっとよく忍の姿をとらえようと、目を凝らしてみるが、羽織と袴の影しか分からず、鉄の味がする口内で奥歯を噛みしめた。

「しかしお前は頭も良く気配りも上手い。挙句に真面目だ。この時代はとても生きづらいだろう。」
「・・・。」
「だがお前は生きたいと言った。だからまだ生きる価値がある。」
「・・・?」
「私はお前を助けに来た。それだけ喋れるんだ、毒の量が少なかったようだな。」

すると、目の前の影は隆元の唇にやや強制的に何かを押しあてた。影を見るに瓢箪のその口から流れ出た液体が口の中や鼻に入り、隆元は咽(むせ)た。

「飲め。解毒剤だ」

隆元はそれを聞き、未だ痺れる舌をなんとか動かして、喉に液体を流し込み、ごくりと飲み込んだ。

「・・・?」
「私は“しん”。尼子の忍びとして働いてきたが、元は毛利の出。」
「・・・毛利・・・の?」

忍びの言葉に隆元は目を見開いた。
同時に、先ほどに比べれば、呼吸が楽になっているし痺れも落ち着いてきている自分の体も感じた。しかしすぐに考えは目の前の忍びにいった。毛利の出の女など、隆元自身の妹の可愛や、父の腹違いの叔母以外いただろうか・・・。
段々開ける視界に映ったのは、自分によく似た顔の忍び。
もしやと言いかけた隆元の口を閉ざすように、忍びは突然隆元の服に手をかけ、隆元を別な服に着替えさせてしまった。

「・・・も、もしかして、貴方は・・・高橋家に・・・幼女となった・・・」
「私はもう死んだ。尼子の家臣になり、お前を暗殺するのに一躍担った・・・けれど、お前まで死ぬ必要は無い。」
「姉う「死ぬのは私だけで十分だ。私が身代わりになる。けれど私は“身代わり”だ。生きる事はそう簡単ではない。」

そう言って、忍びは隆元の着ていた汚物まみれの衣にはき替え、何かを懐から出し一気に口に持っていって煽った。
瞬時にそれが毒だと隆元は悟ったが、身体に力が戻ってきているとはいえ、忍びの動きを止めることなどできず、すぐに血を吐いて横たわった忍びに擦り寄るしかできなかった。

「あ、姉上・・・姉、上・・・」
「早く行け・・・・・・お前の口かあ・・・そろ言葉が聞ええ・・・ょかったよ・・・」

生きる選択がある。それは何よりも尊い。
だが既に死んでいた忍が“身がわり”になって死んだ。

「・・・う・・・うう・・・」

隆元は泣いていた。
泣きながら姉から手を離して、ふらつく足で安芸の森の中を掛けた。
話には聞いていた姉と出くわしたから、そんな姉が死んだから、己の“身代わり”となって。
身代わり・・・あの姉ではなくやはり自分が死ぬべきではなかったのか、今になって死の選択をしなかった自分に後悔する。

(いや、それでも・・・)

“生きる事はそう簡単ではない”

最後の言葉が頭の中を過る。
そうだ、今まで生きてきた中で、簡単に生きたなどと考えたことなど一度もなかった。
けれど生きている。この足は、動いている。
目も見え、音も聞こえる。
ならば、自らにもう一度足枷をつけよう。

「・・・さ、さようなら・・・父上・・・元春・・・隆景・・・」

隆元は、安芸から遠ざかるように闇の中を掛けた。


3へつづく



続いちゃった。
もし、あそこで隆元が本当は亡くなっていなければ・・・というか、ひっそり生きていたらを想像して書いてます。
どこまで続くか、私もわかりません・・・。