蝶が舞う(春と忠)

02の続きです。

津野親忠は長曾我部元親の3男である。
数日前から長兄の長曾我部信親とともに四国からここ中国へ挨拶に来て、元春を気に入ってしまい、現在も滞在中。


「津野殿・・・・・・・・・もう元春から離れてやってくれぬか。」
「え〜、ナリパパどうしてもダメ?」
「ナ・・・」


詭計智将・中国総大将毛利元就の一生に一度ともいえる嘆願を、見事簡単に弾き返す者はきっとこの者しかいないだろうと元就は思った。
目の前には、二男元春が白目を向いて精魂尽き果てた顔をして座っている。そして、元春にタコのように絡みつき、ひっついて離れようとしないのは津野親忠。
どうやら気に入ってしまったらしい。

「あたし、春ちゃんの側室になりたいんだけどなぁ〜。」
「・・・。」

いや、無理だろ。




元春は兄弟の中でも適度な柔軟性と適応力があるためか、親忠に一番初めに興味を示した。


「・・・春ちゃん?」
「・・・。」
「・・・・・・・何見てるの?」

親忠の人隣りにもいち早く慣れ、ただただじっと親忠のそれを観察していた。
顔と顔の間5センチ。つい親忠も黙って元春に見られる。

「・・・あの、あたしも動きたいんだけど・・・」
「・・・・・・睫毛・・・・・・・・・」

単に珍しくて気になったのだ。髪は銀色だから、他の毛はどうなんだろうと。そして覗いてみたら、生え際は黒なのに先端に向かうに連れて灰色、白へと変わっていく。

「・・・・・・綺麗だなあと思って・・・・・・」
「っ!!」

何も考えずに、何を見ているかの問いの補足をしただけなのだが、元春はいきなりガバリと抱き付かれ、やっと我に返ったときはすでに遅かった。

「春ちゃんッ!結婚してっ!!」
「う、うわあああ!ぎゃあああ!く、唇!唇近付けるなああ!」
「熱いベーゼは夫婦の誓いよ!」
「おっ俺にも選ぶ権利がっ!は、離ッ、離れろォ!」



そして、やっとの思いで転がるようにして、父・元就の元へ助けを求めにやってきたのだ。

いい策はないものか、元就は考える。
どうやら長曽我部の3男は根は悪い奴ではないらしい。
館の者たちに明るく振る舞い、偵察している風でもなく、ただあちこちに興味を示しては素直に喜んでいる。

・・・津野と手を組めば、四国を手中に収める足掛かりとなるのでは・・・?
元就の思考も麻痺してきた。

「それでは・・・貴様の父親とも話をせねばなるまいな。」
「おっ、親父ィィ!?」
「元春諦めよ。」

いよいよ元春が泣き叫ぶ。親忠も盛大に喜ぶかと思ったのだが。

「あ、じゃあいいわ。」

いとも容易く、彼(?)は元春から離れ、失礼仕りましたとやたら礼儀正しく頭を垂れてさっさと元就の部屋を出ていってしまった。

「・・・。」
「・・・。」

それは山の火事が鎮火するかの如きであり、元就と元春は拍子抜けしてしまった。
ここで隆元なら緊張がほぐれて腰を抜かし、隆景なら怒り狂って刀か槍を手にするところであろう。

元春は性懲りもなく親忠の後を追いかけたのだから、元就は次男の行く末を案じる他なかった。

「お、おい!」

庭を眺めながら前をふらふらと歩く親忠に声をかけた。

「毛利は綺麗だね〜。四国にはない、節制の美しさがあるわ。」
「なんで、いきなり「ナリパパのやり方はあたしも聞いたことある。みんな窮屈にしてるかと思ったらそうじゃないんだもの。きっとみんな、毛利が好きなのね。・・・当たり前か。家族だもんね。」

袖が風になびいては、蜘蛛の糸のような生糸の刺繍がきらきらと光り、まるで揚羽の蝶のようだ。
真意を捉えようにもころころと変わる態度に惑わされ、小さく肩を竦めると元春は庭先を眺めた。

「・・・親父の策は度が過ぎることもあるけど、全て毛利のためだからな。」

親忠は庭を見たままゆっくりと歩を進める。
横顔は正面からよりも元親によく似ていて、しかも背丈も少し元春より高い。典型的な長曾我部の、土佐の人間だと思った。
その腕がすっと上がれば、軒下にかかっていた梅の枝葉を柔らかく撫でた。

「あたし、パパから褒められたことないのよ。」
「元親殿が?」

親忠は俯くように頷く。
あの元親殿が、とは思ったのだが、それをこの男に聞くのは無粋だろうと途中で閉口し、親忠の指先が梅の青い葉を弄ぶのを眺めていた。

「でも、あたしは・・・私だって長曾我部のために力を尽くしたいんだ。・・・色んなものを見て、色んな人と出会って、あたしが長曾我部に生かせるものは何か知りたい。」

隆景が魔物と言い放ったこの男も、中身は他の人間と同じように一点の曇りを持っているのだ。
同じように、悩んでいる。
元春は、キュッと足袋越しに廊下の床板を踏みしめた。

「あんた・・・・本当は飾り気のない人なんじゃないか?」
「春ちゃんに言われたくないよ。」

振り向いた親忠は、泣きそうな顔で笑っていた。

「だから・・・」
「?」
「やっぱり春ちゃん結婚してえええええええ〜〜〜!!!」
「ぎゃあああああああああ!!!!!」
「待てゴラアアアアアア!!!!」


その頃、元就は親忠について考えることを諦めて茶を飲んでいたという。







そしてさらに続いてしまうのです。