灰と雨@(信隆)



嗚呼、こぼれ落ちてゆくばかり−



「くっ・・・」

隆元は敵の横っ腹目掛けて無銘の刃を振るうが、無駄に鍛練された本願寺僧兵の筋肉を断つにはまだ力が足りなかったようで、刀は腑に達する前に筋肉で止められた。
思わず顔をしかめる。
僧兵がニヤリと笑った刹那、顔に槍の穂が迫ったが、隆元も負けてはいない。刀を抜き、僧とは思えぬ巨躯の懐に踏み込んで、逆手に持った刀で思い切り敵の左半身を下から上へ切り上げた。

「ぐっあッ・・・!」

鮮血が迸り、地元に倒れる。
しかしこれで終りではない。
隆元の周りを無数の敵が取り囲んでいた。味方は無事だろうか、果たして戦局はどうなっているのか。全く読めない。
隆元は刀を持ち直し、間合いを計りながら自らの鼓動を確かめるように胸元に手を置いた。
彼もまた、死を覚悟していた。


今や日の本随一の勢力となった織田の襲撃を受け、浅井・朝倉からも見放された石山本願寺が率いる一向一揆衆は、西国の大名・毛利他、武田・上杉等全国各地の武将を頼った。
元就は本願寺の持つ莫大な金と引き換えに、兵糧輸送の救援と護衛を引き受けた。
その任は嫡男である隆元に自分の名代として、元就家臣・児玉就英と飯田元重、小早川の配下にある乃美宗勝など、水軍を持つ武将達をあて、摂津に向かうよう任せた。

元就は、密かに隆元に策を与えていた。
救援の策を遂行したのち、本願寺と一揆衆に加勢して織田を殲滅させる。その裏で一度運び込んだ兵糧を再び船に積み、本願寺・一揆衆を裏切り刃を向ける。
元就率いる援軍の船が来るまで応戦し、援軍と合流したら、一気に本願寺・一揆衆を叩き潰す。そうして手に入れた地は、東に勢力を拡大するための足掛かりの場とし、備中と摂津から豊臣を挟み撃つ。

(持ちこたえられるか・・・?)

潮を含んだ、初夏の瀬戸内の生温い風がべとついて嫌に気持ち悪い。が、それだけの理由ではない汗が背中を伝った。
織田勢の総大将・織田信長は、浅井・朝倉両軍を討つため、近江へ向かっていてここにはいない。
問題は織田ではない。本願寺だ。
本願寺は浅井・朝倉の援軍がなくなったとはいえ、紀州雑賀衆と周辺農民・一揆衆を擁し、1万五千の兵力を持って籠城している。
また、民兵たちは、織田の非人道的な策に耐え抜いてたまった不安が一気に爆発しており、神仏の力を借りて一人一人の力が増強しているように見える。
毛利軍は隆元、児玉、飯田、乃美水軍をあわせても二千ほど。
吉川は宍戸、熊谷とともに備中で豊臣と、小早川は伊予で四国の長曽我部と間接的に戦っているから、頼みは元就の本隊だけといってもいい。
織田勢を一蹴したのは、主に僧侶と民兵たちだ。毛利ではない。その者たちに刃を向け、耐えられるだろうか。
ただ一つだけ、天候だけが味方した。
雨がぱらついていて、湿度が高い。これで鉄砲や篝火の自由が利かない。

「皆の者!私の声が聞こえるか!!」
「隆元様!」
「聞こえております!!殿!!」
「船に走れ!撤退だ!」
「逃がさん!っぐあ!!」

隆元は立ちはだかる僧の目をめがけ足下の泥を投げつけ、ひるんだ隙に僧兵達の間をくぐり抜け、海上で応戦している児玉・乃美両軍の元へ走った。
姿の見えなかった味方達も隆元の姿を確認して後をついて走る。
しかし荒法師たちは戦が似合うしゃがれた声をあげ、泥を跳ね上げながらすぐに追ってきた。

「毛利が逃げるぞ!追え!追って首を取れ!」
「本願寺の坊様は嫌いだが、神様に武器は向けらんねえ!!」

軍船の入口手前で立ち止まり、再び僧兵達のほうへ向き直ると、味方が一定の所まで逃げてきたのを見計らい、隆元はヒュッと息を吸った。

「皆の者今だ!!放て!!」

号令をかければ軍船で待ち構えていた弓隊の矢が一斉に唸った。

「うわあッ!」
「ぐっ・・・」

雨矢は敵兵たちの四肢を、顔を、体を射抜き、次々と地に崩れていく。
矢を受けても未だ息のある者は、船からどっと降りてきた飯田の槍持ち達に討ち取られていった。

「もうすぐ援軍がやってくる!皆持ちこたえるのだ!!」

頼ってくれている兵達を、失うわけにはいかない。
隆元は亡骸を飛び越え、刀を上段に構え直し、味方と自らを鼓舞するように声を振り絞った。

それでも、次から次へと敵が襲いかかってくる。
駄目かもしれない。
しかし、戦わなくてはいけない。
ただの時間稼ぎの駒であることなど、とうの昔に知っている。
毛利にとって、一番の手駒は自分であるからこそ、与えられた策は誰よりも確実に遂行しなくてはならない。失敗は許されない。
毛利嫡男とは、死すらも許されない存在なのだ。
生きながらに、死んでいる存在なのだ。


いっそのこと、死んでしまえばどんなに楽なことか。


「殿!!船が!軍船が着いております!」
「援軍か!」
「否!七つ酢漿草の家紋・・・四国の長曾我部です!!」

船上から、乃美が血を吐き出すように声を振り絞る。
民兵の鍬を押しやり周辺を見渡す。目に映ったものが何であるか理解した瞬間、隆元は指先から血の気が引いていくのを感じた。



Aへ続きます。


戦っているお兄ちゃんが大好きです。