灰と雨B(信隆)

「隆元様ぁ!」

飯田が悲壮の声を上げた。
霧雨で姿が見えない。
もし、主が討たれたならば、即刻敵を討たねばと児玉は自らの刀を握り締めた刹那、
二つの影が浮かび上がって見えた。

隆元は、信親の太刀を受ける寸前で足元に転がっていた刀を手にし、先の折れた刀と2本を使ってそれを受け止めていたのだ。
そして、児玉をはじめとする兵たちに呼びかける。

「大事ない!皆も奮え!民兵たちは構うな!民を惑わす僧と賊を討て!」
「っ隆元様っ・・・!」
「殿っ・・・よし!我等も続くぞ!!」

すると、それまで立ち尽くしていた毛利軍兵士たちは、みるみるうちに士気を取り戻し、まだ立ちつくしている僧兵や、海賊たちに向かっていった。民兵たちに至っては腰を抜かして、海とは反対のほうに広がる森林の奥へ逃げていった。
信親は、小さく口笛を吹くと鍔競りから身を引いて、間合いをとったまま隆元に呼び掛けた。

「毛利は本願寺の後ろについてるって聞いてたんだけどな・・・。仲間割れか?」
「貴殿にいう筋合いはない。」
「まあ、そうだけど・・・。ちょっとやりづらくなっちゃったかなあ。」
「私はここで、時間を稼ぐだけだ。」
「・・・アンタあの毛利の嫡男なんだろ?毛利元就がいないってことは、総大将なんじゃないのか?」
「・・・・・・・・黙れ!」

先ほどに比べれば、雨は弱くなった。
隆元の小さな怒鳴り声が波に響いて消えた。

「・・・黙れ・・・。」

信親は鬼神の如き武者をはじめて見た。
一人で、僧と民兵と自軍の三つ巴の大軍の中を刀一振りで突っ込んでくる、若武者。
頭からつま先まで血と雨に濡れ、頭を伝い落ちてきた雨露が返り血を含んで頬に赤い筋を作っていく。
血の涙を流しているように見えた。
全身で泣いている。
止めなければ。
そう思って、谷や福留の制止を聞かずに飛び出した。
その男は今、頭を垂れて討ち取られることを待っているかのようだ。

「アンタ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・死にたいのか?」

その時、突然の悲鳴が木霊した。

「フフフ・・・ようやく私の出番ですよ!!」

水色桔梗の旗印。
織田勢の一つである明智軍だ。
どうやら、織田が差し向けてきたらしい。

「・・・。」
「明智か。少し、不利かな?」

その数、ざっと見で2千。
信親は濡れた前髪を軽く払い、旗印の数を少し数えて顔を歪ませた。
正面にいる毛利嫡男は俯いたまま。
もうそろそろ動かないと、出遅れる。
信親は溜息をついて、大太刀を肩にかつぎあげた。

「おい、アンタどうするんだ?」
「・・・。」


死にたいわけ、あるか。


「私は・・・・・・・・・・・・・・・・・私は、誰も死なせはしない!」


隆元は、おもむろに自らの具足の奥の、襟元へと手を突っ込んだ。
時折やってくる矢をよけながら、急ぐ手つきで引っ張り出したのは、きちんと折り畳まれた書状だった。
隆元は、一度手の中の書状をきつく睨むと、くしゃくしゃとそれを丸め、信親のほうへ乱暴に投げて渡した。

「それは、貴殿が持っていてくれ!」
「えっ!?、何コレ!」
「私にはまだ必要のないものだ。貴殿が長曾我部の者なら、我ら毛利と再び相見えることになるだろう。その時まで、持っていてくれ。」

一騎打ちなど、はじめてのようなものだった。
そのせいなのだろうか、この者なら分かってくれるのではないかと心が錯覚をおこしているのは。

「では、御免!」

信親は走り去る隆元を眺め、手の中でがさつく書状を開いた。
その最初の書き出しに、つい苦笑いを浮かべたのだけれど、やけにくすぐったく思って肩をすくめた。

(“まだ必要ない”、か。)

書き出しには、「遺書」とあった。

「おい!」

信親は後ろから隆元を呼び止る。
どろどろと明智軍が迫っているのに、一体なんだというのだ。
でも隆元は無視できない性分。振り向こうとしたら、隣に信親が立っていて隆元は軽く驚く。

「何だ?」
「共同戦線張らないか?」
「・・・何?」
「毛利軍だけじゃあ勝ち目がない。」
「どうして、我等に味方する。」
「アンタを死なせたくないからな。死なれちゃ困る。ウチの奴らの数人がアンタにやられてるしな。」
「・・・。」
「ああ、それと。コレ持っていきなよ。」

ぐいと出し押されたのは、脇差しだった。

「刀を2振り使ってても1振りが折れてちゃあ意味がない。」
「・・・。」
「次会うとき返してくれ!行くぞ、隆元。・・・野郎共!長曾我部は毛利の味方につく!明智をやっちまえ!」
「・・・・・・・・いいだろう。」

雨はまた小雨に戻った。
周りの木々に火を放ちながら進んでくる明智軍に、不思議と恐怖は感じず、さざ波の音色がやけに心地いい。
隆元は静かに笑い、先に明智軍に向かって突っ込んでいった信親の後を追いかけた。

「児玉、飯田!私に続け!!」

毛利と長曾我部の援軍がやってくるのは、それから間もなくの事である。







贈呈品でした。