毛利家の日常・修行編(毛利兄弟)


どこぞの武田家のような華やかな修行ではないが、毛利にだって心身を鍛える日はある。

今日がまさにその日で、毛利家中の者・老若男女のすべてが、武道所やその中庭で、交代で修行をしていた。
そんな家臣たちを中庭の軒下で眺める、青年が二人。
武道所の監督を務める、吉川元春と小早川隆景だ。

「兄上。今流鏑馬を行っていたあの者、以前より弓の腕が上がっておりますな。」
「ああ。この間の尼子攻めに連れて行っただけある。このままいけば、弓の先鋒部隊か搦手にいけそうだなあ。」
「元春殿、隆景殿。」
「あ、隆家。どこ行ってたんだ?」
「元就殿と隆元殿に捕まってな。すこし餅に付き合わされた。」

丁度櫓から未の刻の鐘が鳴った時、縁側に面している襖が開き、宍戸隆家がやってきた。
この男は二人の姉である可愛の夫で、義理の兄弟にあたる。武勇にすぐれ、修練の日となれば時折元春とともにこの吉田郡山にやってきて、汗を流していく。
隆家の手には、木刀一振りと木槍一本があって、二人と目が合うと口元を大きく引き寄せて笑いかけながら、太刀と槍を二人に差し出した。

「二人とも、手合わせはまだだろう?」
「ええ。」
「隆家、他の者たちは?」
「皆、終わったようだぞ。」

隆家が告げれば、元春と隆景は顔を見合わせて同時にニヤリと笑った。

「では、やりあうか?元春兄。」
「そうだな。」

元春は槍を、隆景は木刀を手にして、土煙の舞う武道所中庭の中央へ歩いていった。
二人が修練の監督を務めるのには、いくつかの目的がある。
兵が乱闘を起こさぬよう。兵らの手合わせの申し出に応えるよう。
そして、自らを鍛えるため。
二人とも、足軽達や重臣たちの手合わせに応えても、本気を出すことはない。
二人の獲物がたとえ木刀や鏃なしの弓であったとしても、相手が深手を負うことになるからだ。
それほどに、毛利両川は強い。

そんな二人が、戦ったらどうなるか?
毛利家修練日の締めはいつも、吉川元春対小早川隆景の手合わせだ。
判定を任されている隆家は元春の顔を見、それから隆景の顔を見て小さく頷くと、袖の袂から一個の柿の実を取り出し、自らの目の前に置いた。

「それでは、本日はこの柿の実を相手より先にとった者が勝ちだ。」
「フン。何がどう変わろうと、兄上に負けぬことだけは確実だ。」
「言ってろ。」
「ハハ。それでは二人とも、よいな?」
「ええ。」
「・・・・・・。」

元春と隆景は各々獲物を構え、相手を強く睨む。
風が強く吹いているのが一瞬止んだ。
頃合いとみて、隆家は力一杯叫んだ。

「いざ、尋常に勝負!始め!!」



しばらく、二人とも動かなかった。

否、動けなかったのだ。 互いの腕の程はよく知っている故、下手に動いたら負けだ。
隆景の眼孔は鋭く光り、草履の下で小石がジリっと音を立てる。
元春は、極端に口数が少なくなった。人が変わったような冷たい顔で、溢れる殺気を隠すことなく垂れ流している。
隆景が突然目を見開いた。

「ああ!兄上ッ!!父上と隆元兄が餅をくわえながら裸でバンジージャンプをしようとしております!」
「何!?」

反射的に振り返ってしまった元春だったが、同時にしまったと思った。
隆景は元春の見えない所で満足げに目を細め、隆家のいる縁側めがけて走り出す。

「貰ったっ!」
「チッ・・・・・・・・・・・・・・行かせねえ。」

低く呟いた元春は、力を溜めるように腰を低くして、見事な跳躍で、柿に迫る隆景の脳天めがけて槍を振り落とした。
瞬時に隆景は身を翻し、木刀で槍を受け止めるが、あまりもの強烈な衝撃に腕が痺れて木刀を落としてしまった。
元春はそれを逃さず、木刀を武道所の床下へと蹴り払う。
隆家は、一連の毛利両川の手合わせに、ただただ感嘆の溜息をついているしかなかった。

(どちらも負けず嫌いだなあ。)
「クッ馬鹿力がっ。」
「お前が非力なんだ。」
「あ、兄上!」
「馬鹿か?その手にはもうノらねえ。」
「そうですか。それは残念だ。」

元春が隆景の肩を掠め、隆家めがめて走ろうとした瞬間、隆景の腹の辺りで何かが弾け、強烈な光が元春の瞳を襲った。

「クソっ閃光弾か!卑怯だぞ!」

つい、その場に膝をついてしまった。
手から転がり落ちた槍は、隆景がすかさず拾い上げ、池めがけて放り投げた。
綺麗に水が跳ねあがり、池の鯉が何事かと泳ぎ立てる。
隆景は、隆家と柿を見て勝利を確信して笑みをもらした。

「卑怯で結構、兄上、柿は私が頂きます!」
「油断するな!」
「ぶっ!」

元春が気配を頼りに掴んで引っ張ったのは隆景の袴だった。
勢いづいて前に走ろうとした隆景は、盛大にコケて顔面を強打。
軽く小さい時に元就の寝顔で遊んで、殺されかけた時のことを思い出した。

「貴様っ、何をする!卑怯だぞ!」

ガバリと起きあがった隆景は心なしか涙目で、しきりに鼻のあたりをさすっている。

「卑怯で結構!戦だったら何をもクソもあるかッげふっ!」

やっと見えてきた目を擦り、得意げに肩を竦めた元春の頬に、隆景の拳がめり込んだ。
こうなれば、戦とかそんなものは関係ない、ただの兄弟喧嘩。
二人は互いの胸ぐらを掴み上げ、取っ組み合いをはじめてしまった。

「お前!この間俺の書写用の筆を折っただろ!」
「兄上だって、私の弓をこっそり使って折ったではないか!」
「じゃあこの間兄貴から貰った饅頭、一個多く食ったよな!?あれ返せ!」
「では兄上が横取りした私の餅を返していただこう!」
「チビ!」
「カス!」
「あ〜あ〜。二人とも・・・。」
「やはり、こうなってしまったか。」
「おお、隆元。はは、いつものことだな。」

土の上を転がって、犬のように本気でじゃれている義弟たちに苦笑いするしかなかった隆家のところへ、隆元がやってきた。
二人はほのぼのと、じゃれる弟たちを見つめる。

「隆元殿。もう政務はよろしいのか?」
「ええ。ほぼ終わってしまった。私も、汗を流そうかな。」
「それはいい。おい、二人ともこの柿はいいのか?私が柿を食べてしまうぞ?」
「「ダメだ!」」

おお、と隆元と隆家は声を上げた。
変な所で息の合う二人だ。
そこでハッと我に返った隆景が怒鳴った。

「忘れていたが決着はあの柿の実一つで決まるのではないか!兄上お先に!」
「お前に渡すかよ!」
「えっ、っちょ、二人してこっちに来るなああ!」



ゴン。



我先に手に入れようと、ほぼ二人同時に縁側の柿に向かって突進してきて、隆家は慌てて離れたところへ避難した。
一瞬隆景が触れた柿の実は元春が横から腕を伸ばして弾きとばし、二人は縁側の床板にどっと倒れた。
元春が弾いた柿の実はほぼ垂直真上に跳び、ややあって床から中庭へぽてぽてと転がって落ちた。

(「ゴン」・・・?)

何か不吉な音がしたような?
首をかしげた元春と隆景二人の目の前には、見慣れた苔色の袴。
二人同時に、その袴を上へ辿っていく。
目線がたどりついたところに隆元の顔があった。
その顎は、痛そうに赤く染まっている。
ニコニコニコと、隆元は満面の笑顔で二人を見下ろしていたものだから、元春と隆景は背筋に冷たい何かを感じずにはいられない。

「「あ、兄貴「兄上」」
「・・・二人とも。」

隆元が笑顔のまま、二人の頭を掴み上げた。
その笑顔とは裏腹に、握力の強いこと強いこと。

「何をやっているかああああ!!!!!!!!」
「いでええええええ!!!!!!」
「ッッッッッ!!!!!!!!!!」

叫ぶと同時に、掴んだ二人の頭を鐘のようにゴチーンとぶつけあい、烈火の如く怒りだした。

「お前たちは何をやっているのだ!!毎回毎回毎回毎回と毛利両川の当主ともあろう者が斯様な場所で兄弟喧嘩などと!修練とは心身を鍛えるものだがお前達はすぐに武ばかりを重んじ心を鍛えることを忘れているようだな!遊びではないのだ、修練の本質を深く噛みしめもっと真面目にやれ!戦場でも痴態を晒すつもりか!」
「ここは戦場とは違うし・・・」
「つい本気が出てしまい・・・」
「いらぬ口答えはせんで良し!」
「「は、はいぃ・・・」」
「隆元、我の餅はどこに置「父上は黙っていてください!!!!!!!!」
「・・・・・・・・。」 (あれ?今の元就殿・・・) 「大体元春は大人げないのだ、お前は兄であろう!兄ならばもっと大人になれ!」
「すいません・・・」
「隆景ももっと兄を敬う気持ちを持ちなさい!」
「ごめんなさい・・・」
「本当にそう思っているか!?」
「はい、他意はございませぬ。」
「本当だな!?」
「「はい・・・」」

ようやく怒りが鎮火してきたのか、隆元はふーと細く息をつくと、軽くこめかみに手を当てた。

「兄弟とは仲良くするものであると、父上が口を酸っぱくして仰せになるのは、父上自らの御身で経験なされたことがあるからこそだ。血の繋がる同士といえど、どこに不仲となる原因が転がっているやも知れない。今この時勢、親子兄弟同士で血を流すことはよくあることだ。だが、毛利は違うと知らしめてやろうではないか。」
「・・・。」
「・・・。」

元春と隆景は長兄の言葉にただただシュンと肩を落として聞いているしかなかった。
隆家も、じっとこの義兄弟の言葉に耳を傾けている。
隆元は、弟たちに絶大な信頼を置いているからこんなことをいうわけで、決して自分を棚にあげているわけではない。
隆元は二人の頭をポンと叩いて二人の間を通り、中庭に落ちた柿を拾い上げた。

「それでは、この柿は4人で食べてしまおう。」

そういって振り向いた長兄は、いつもの穏やかな笑顔だった。


こうして、毛利軍修練の日は終わりを迎えた。
その後、自分も柿を食べたかったと拗ねた元就が居室から出てこなくなり、早速兄弟3人力あわせて父のご機嫌をとるのに苦心したという。







毛利家の母=隆元。