Sky drizzle(和+忠+盛)


讃岐の天霧城。
瀬戸内の海を見渡すことができる山に作られた山城だ。また、城下には海に面した港町が広がっていて、辺り一面が要害となっている。
故に、本州の敵が四国に攻めいってきた際、真っ先に攻撃を受ける場所であり、逆にいえば、こちらからも攻めやすいという要の城でもある。

この天霧城は西讃岐の武将・香川家の詰の城だ。
香川氏が元親に攻められ降伏し、土佐から養子として送りこまれたのが元親の次男・親和である。
病弱な親和は元服を待ってから天霧城に入ったが、入ってから一月を待たずして豊臣の攻撃を受けた。以降、豊臣の船団は定期的にやってきては、城に攻撃を仕掛け牽制していった。
だが、いつでも義父の信景は、゛親和案ずるな。こんなもの災害と同じよ、備えがあれば憂いなきこと!゛と、豪快に笑って崩壊した城の修繕の指揮をとっていた。

隠居してしまった信景に変わり、城主となった親和は、信景の教えである゛備えあれば憂いなし゛をもとに城を改築していった。
城門や曲輪という曲輪、櫓に井戸までをも重厚な鋼に作り変え、さらには四方八方に幾重にも砲台を掲げ、曲輪内には親和が設計した自慢のカラクリ兵器を何台も装備し、いつの間にか天霧城は黒光りする大要塞となってしまった。(「普請を行っているときの五郎次郎様の目は、楽しそうに血走っていました。」後日、家臣談。)
読んで字の如く、鉄壁の城となった天霧城は、遠方を狙う重騎同士の戦や、籠城戦ならば圧倒的な強さを誇った。
しかし、一度城内に侵入を許してしまうと逃げ場がなくなるし、カラクリが壊れてしまえば人兵力に頼らざるを得ない。人海戦術にはひどく脆かった。


そして、今だ。
本丸から瀬戸内の海を見下ろすと、海上は桐の紋旗で埋めつくされている。
豊臣の大船団だ。
この城の弱点を真向から突いてくる気だ。

「どうしようか・・・」

親和は脳天気に顎に指を置いて首をひねる。
大筒で追い払うことも可能だが、下手に玉を浪費してしまえば相手の思うツボだ。

「殿!三の丸が今にも落ちかかっております!」
「うん。援軍は?」
「それが、まだ・・・」
「そうか・・・。では僕も出ましょう。」

数日前に和泉、河内のほうへ放っていた斥候から豊臣が動いたという知らせを受け、すぐに書状を書いて同じ斥候を土佐に走らせた。
できるだけ讃岐で食い止めはするが、もしもの時は己を捨ててくれと。
要の城を守るには、覚悟が必要なのだ。

「持ち堪えられるかな?」

城は勿論のこと、己の身体が、である。
香川の兵力は五千。決して少なくはないが、豊臣は2万。ケタが違う。
戦闘に不向きなこの病弱な身体は、どこまで采配を振るうことができるかのか。だがやるしかない。
親和は右手に引っ掛けた若草色の布を頭に巻いた。それは土佐の武将が合戦時にいつも頭に被る布。被った時は不思議と負ける気がしなかった。

「殿!三の丸が落ちました!敵兵は二の丸へ進んでおりまする、また、搦手を守っておりました別動隊も敵兵と交戦中!」

転がり込んできた伝令が、血を吐くように叫んだ。

「わかった。ありがとう。・・・総力戦に出ます!大筒鉄砲カラクリ、惜しみ無く使えと伝えてください!」

そう言って、己の得物を手に持ち、神棚の護符を懐に忍ばせて親和は部屋を出た。

「土佐の技術を引き継いだ讃岐の意地・・・見せてやろう。」



「弩」という武器がある。
一見弓矢のようだが、発射台と引き金がついていて、使うときは横に構える。弓と鉄砲を合わせたような性能を持つ武器だ。
古くは支那より伝来したというが、その重さ故に戦場で使われなくなり、今や文書の中だけの武具となっていた。

親和はこれを目にしたことがある。
支那へ渡った父・元親の沢山の土産の中に混じっていて、手に持ってみると成る程、廃れた理由がよくわかる。病弱な自分ではふらついてしまって、射撃がうまくいかない。また、発射台に矢を設置するまでに時間がかかる。
だが、形がとても自分好みだった。
そこで考えを逆にしてみた。
使えないなら改良してしまえばいい。
行動に移るのは早かった。
なんせ改良・改造・設計は得意中の得意分野だ。
早速元親から使っていなかった長槍・荒渦を譲り受け、槍の槍頭だけを柄から取り外し、部分的に削って弓のように作りなおした。そこに軽い木で作った土台と引き金を取り付けて、矢の設置も、連射機能をつけたことである程度緩和された。元が槍の先端なので、接近戦でも使える。
そうしてできたのは巨大な弩だ。支那よりずっと西の果てのほうではボーガンという名らしい。
そんな巨大ボーガンを肩に背負い、本丸の櫓から姿を見せた親和に、香川兵らは目を輝かせて士気を上げた。

「おおッ!香五様が!」
「皆さん、敵兵は多いようですが、この天霧は難行不落。敵等に讃岐の意地を見せてやりましょう!」
「ぐあ!」

そう言い放ったと同時に親和が放った矢は、応戦していた敵兵を射ったどころか、貫通して後ろの敵までをも貫いた。
滅多に見ることができない主人の働きを目の当たりにした味方等は、先程までの疲れはどこへやら。我先にと次々奮い出したものだから、親和も負けてはいられない。

櫓から次々と弓を連射し、味方を援護してはいるが、それでも豊臣の軍勢はまだまだ衰えない。

(長引けば不利だ・・・)

この状況で、己はこちらに風を吹かすことができるのか。そんな自信は全くなくて、自らを鼓舞するように引き金を引いた。
その時だ。
思わず親和は目を丸くしてしまった。
親和のいる櫓からは二の丸と本丸、両方の入口が見えるのだが、本丸の入口からとんでもない者たちが飛び出してきたのだ。

「ちょっとー!和ちゃん天守にいないじゃないのよ!!盛ちゃん、和ちゃんどこいるのー!?」
「俺が知るか!ちゃんと前見て行けって、危ねーな!」

聞き覚えのある声と、紫の羽織。
頭には自分と同じ若草色の布。
長曾我部の武将の証のそれを纏った二人の大柄な男(?)は、どこからどう見ても弟の、土佐の須崎領主・津野孫次郎親忠と、最近吉良から本家へ戻ったと聞いた長曽我部盛親だった。

「な、何をしているんだ二人とも!」
「あ、和ちゃんいた!」
「無事だったみたいだな。」
「加勢にきてくれたのか!」
「もちろん!ていうか和ちゃん!」
「え?」

二人の弟は飛び交う刃を交わしながら櫓の格子越しに兄を見る。
親忠は無事を確認して安堵したようだったが、盛親は親和のところまで届きそうなほどに、盛大に肩で濃い溜息をついた。

「香川のパパが土佐宛てにお手紙送ってくれたんだよ。」
「義父上が?」
「そ。“親和は行き急ぎ命を賭けようとする癖がある。そんなときがあったら助けてやってくれ”って。」
「自ら生死をかける時は早すぎる!和兄が死んだら誰が讃岐を治めるんだ。」
「いざというときはもっと頼って!パパがなんとかしてくれるわよ!」

二人は土佐から山脈を越えてきたのだろう。慣れない馬できたのだろうか、それとも足で来たのだろうか?どちらにしろ、山越えは大変だったろう。
そして義父が自分を案じて、内密に土佐に文を送っていたとはなんと情けない。だが、今は嬉しさのほうが勝っている。
とても嬉しいのだ。
まさか弟に諫められることになろうとは!

さて。
親和は不適に視線を横に流す。

二人が本丸から出てきたということは、城の裏手である搦手のほうからやってきたということになる。と、いうことは二人は搦手に回っていた敵の別動隊を蹴散らしてきたと予測できる。裏は最低限の守備と斥候を置いておけば、まずはいい。
しばし考えていた親和に、盛親が早く令をくれと催促してきた。そんなこといわれなくても、もう令は頭のなかでできているのに、と親和は目を細めて笑った。

「では・・・二人とも。大暴れしてきてください!僕はここから皆の援護をします!」

すると、親忠は前方に広がる豊臣軍勢を見据え、己の得物である巨大な三又鎌を肩に抱えて笑った。

「そうこなくっちゃね!もう、何時間も馬さんに乗ってたから体動かしたいのよ〜。」
「お前が道間違えなければもうちょっと早い時間に来れたかもしれねえだろうが。」
「あ、でもお尻痛くなってきたとき、ちょっと感じたかも。」
「聞いてねーよ!おら行くぞ!」
「じゃ、和ちゃんいってくるねー!盛ちゃん、どっちが敵武将多く倒せるか、競争よっ」
「お前には負けねー!」

そんな弟二人のやりとりは、最近では正月や盆など季節の行事のときにしか見れなくなっている。
それだけ己が重要な処を預かっているのだということになるのだが、やはり久々に見れば、顔がほころぶというものだ。

「早速・・・二人とも隙だらけじゃないですか。」

敵の猛攻へ真っ向から突き進む二人の周りを中心に、親和は標的を定めた。
そんな土佐の武将二人の援軍に士気の上がった讃州勢も、次々と最前線へと飛び込んでいく。

数刻後、兵力の三分の一を削がれてしまった豊臣軍は撤退していった。


讃岐の天霧城。
否、四国の天霧城は皆に守られている山城である。







い、一応天霧に行ったんですがね・・・
捏造のしすぎにも程がある。