紅粒(現代信隆)

※輪廻を含みます。ご注意ください!


現代大学信隆です。





朝、学校に着いたときには、そりゃあもう下を向いていた気分も思わず上を向いてしまうような青空だったのに。
1コマが始まる頃には薄墨を零したような曇り空になっていて、どんどん雲は濃くなって、昼過ぎにはざあざあといっそ洗濯をしたくなるぐらいの大雨になった。

「まいったなあ。」

大学生協の屋根の下、ぼんやりと空を見つめながら信親はつぶやいた。
携帯のディスプレイで時間を見れば、午後14時になるところ。

今日はここまで何で来た?自転車だ。
傘は?そんなもの、持ってない。
傘を買う金は?学食に消えた。
傘を買うためにATMに走るのもめんどくさいけど、濡れて帰るのも嫌だ。
折りたたみ傘なんて気の利いたものは鞄に入っているわけがない。
学校で時間を潰そうにも、今日は夕方から夜の12時までバイトが入っているし、昨日は朝まで親父の酒に付き合わされたから、バイトの前に家で少し仮眠を取りたい。
考えれば考えるほど、傘を買うか濡れて帰るかの選択を迫られ、ようやっと帰り道の反対方向にあるATMまで足を伸ばすことを決め、踵を返した。

すると。

見知った顔が一つ。
最近よく学食で話をする、毛利隆元が歩いていた。
肩からカーキ色の肩掛けカバンをひっさげて、ベージュのパンツに黒スニーカーをあわせて深い茶色のカットソーに黒いジャケットを羽織った、悪くいえば地味な姿だったが、信親の心はときめいた。その左手には、今欲しい物ナンバーワンであるビニール傘を持っていたのだから。
他の学生たちが校舎の軒下を歩いているのに、隆元は真っ直ぐ前を見つめたままバケツをひっくり返したような空の下、一人堂々と傘をさして歩いているのである。

「隆元!」
「は?ぅ、わ!?信親殿!?」

軒下から飛び出して、小さな水溜りを跳ね上げながら、隆元の背中をポンと軽く叩いて傘の中に無理矢理入った。
ひどく驚いた彼が肩を竦めた拍子に、傘の張り出した骨の先端が信親の額に綺麗に刺さった。

「いってぇ・・・」 「すす、すみません、あの、大丈夫でしたか?」
「いや、今のは俺が悪いし。むしろこっちがごめんね。それよりさ、どこ行くの?」
「あ・・・今から、帰ろうかと。3コマが休講になったので。」
「そうなんだ?ねえ、ちょっと駅まで傘に入れてよ。今日チャリで来ちゃってさ。」
「はあ・・・。いいですけど。」



そうして、はじまった相合傘の旅。
しばらく商店街の中を歩きながら、他愛ない話をしていたように思う。
商店街なのにどうしてアーケードがないのかとか、ここの惣菜美味いとか、このゲーセンの景品をパクったことあるとか、昨日親父の酒に付き合わされて朝寝たのが朝の5時とか。
全部、こちらから振った話題だ。隆元はそれに主に相槌で答える。(ただし、惣菜に関しては“特にポテトサラダが美味しいですよね”との返答付きだったことは少し嬉しかった。)

商店街を抜けて、主に民家とか工場が連なる道に来たときにはどちらとも黙っていた。
ざあざあと、雨が傘を打ちつける。

信親は、ずっと何か違和感を感じていた。
ビニール傘は野郎二人を隠すには少し幅が足りなくて、互いの片方の肩が雨に濡れてるから。
違う。
隆元の歩幅に合わせているから。
違う。
ビニール傘越しに、空を見上げた。
夕焼けみたいな空だ。

・・・夕焼け?

首をひねるようにして、隣の隆元の顔を覗き込んだ。
どうしました?と彼が答えたのが先だったか、信親は隆元の手から、傘をもぎ取った。
少し乱暴だったような気がしたし、隆元も足を止めてこちらをポカンと見つめてくるけれど。

「信親殿?」
「ホラ、俺のほうが身長高いのに、隆元が傘持って頑張ってるのもどうかと思ってね。あと・・・」


隆元は、赤、似合わないし。


笑顔で言えただけでも上等だ。
ああ、でも押付けに聞こえてしまったかな。
だって、赤と隆元っていう組み合わせは、嫌なものしか思いつかないんだ。
例えば、燃え盛るあれであったり、体から流れ出るアレであったり・・・。

ざあざあと、雨が煩い。
ジーパンの裾が濡れて、肩も髪も冷たくて、少し気持ち悪くなってきた。ああ、そういえば、このスニーカーだっておろしたてだったのに、もう雨が滲んでる。
水溜りに映る傘の色が、赤。
隆元の顔が、赤く染まっていた。
どうしてよりによって赤いビニール傘なんて選ぶかな?

ふわりと、頭に何かがのった。
それは隆元の手で、視界の隅に緑色の布の切れ端を捉えた。

「頭、濡れてますよ。」
「・・・サンキュ。」
「・・・この傘、私のではないんですよ。」
「誰の?」
「学校の友人の、です。借りたんです。」

髪を軽く拭きながら、少しはにかんだ笑顔で言う彼の言葉にひどく安心した。

「やっぱさ。」
「はい。」
「あの・・・」
「はい。」
「隆元にはさ。」
「はい。」
「緑色が似あうよね。」

それには返事を返して来なかった。
変わりに少し目を見開き髪を拭く手を止めて、ゆっくりとハンカチを髪から離しながら、彼は目を細めて笑う。
一連の動作が、とても美しかった。

「じゃあ。」
「?」
「信親殿は・・・」
「ん?」
「紫色が一番似あうと思います。」

雨の音が止んだ、ような気がした。
何が?
どういう意味があって?
そんなことを?
だって、“今”の隆元は何も知らないはずじゃないか。
それが、どうして、こんな・・・心を抉るような真似を?

「あ〜〜〜〜・・・」

半分濡れた髪をぐしゃぐしゃと乱暴に掻いて、しっかりと赤い傘を握り締めて。

「行こう、電車来るし。」
「ええ。」

ぽたりぽたりと傘から伝う雫が透明すぎて涙みたいに見えただなんて、俺はいつから詩人になったんだろう。







相合傘な二人。
心の距離は縮まらず。