鎮魂歌(春+忠)

この場には似つかわしくないぬるい風がゆったりと頬を掠めて、元春はフンと鼻を鳴らした。

(そろそろか・・・。)

元春が立っている山の崖下では今まさに戦が行われている。
戦っているのは伊予の一揆軍勢と、土佐の長曾我部。

そこに、なぜ毛利のほぼ全軍がいるか。
邪魔な二勢力の力を同時に殺ぐ・・・という、いかにも父・元就が好みそうな目的を決行するためだ。
三方を山に、残った一方は砂浜でその向こうは海に囲まれた戦場だが、毛利はその3つの山全てを密かに陣取っていた。
一つの山には小早川が。
一つの山には元就と兄・隆元が。
そして、一つの山に元春がいる。
元就・隆元の本隊の山から合図があがったら、小早川とともに逆落としをかけて、二方から一気に崖下で交戦中の二つの勢力に奇襲をかけ乱入する、という寸法だ。
だが、今まで主に知略謀略を尽くしできるだけ自軍の損害を少なくしてきた毛利にとって、多数の戦力を殺ぐのに一番手っ取り早い“乱入”を行うことは珍しいことだった。

しかも、相手の一つは長曾我部。
同盟を組んだことはあるし、父の友人・・・といっても不自然ではないほどよく安芸にやってくる、見知りに見知った奴等。
そんな長曾我部に奇襲をかけることには、別段何とも思わなかった。
そもそも領海を争い何度も戦を交えた相手と今まで馴れ合ってきたのがおかしかったのだ。
ただ逆に、長曾我部と親しくすることにも抵抗はなかった。
だってそれだって「必要」なことだから。


自分の本質は駒だ。
しかし駒は駒でも一平卒とは違う、最強に等しい駒。
それさえ忘れずに生きていけばいい。
父・元就の命令に殉じて死にたくなければ死なないようにすればいいだけだ。
最後に全てをかなぐり捨てる覚悟があるか。
それが最強の駒に必要なもの。

「元春。」

草葉を掻き分け、背後にそっと近づいてきた隆家が小声で話しかける。

「斥候からの話だ。何者かの軍がこちらへ向ってきているらしい。」
「・・・。」
「おそらく敵の軍勢・・・。伏兵を見破られているかもしれないぞ。」

元春は天を睨んだ。
その時。
陣営の後方で、巨大な爆発が起こった。

「っわあああ!」
「敵襲!敵襲ッ!!」

爆発は山崩れを起こすが如く地面を揺さぶり、爆風は一気に当たりに広がり、木々もろとも自軍の足軽の目を手足を焼いて舞い上がった。
隆家が落ち着くよう檄を飛ばす。
それでも肝の座っていない者は腰を抜かしている。
槍を手放し背中を見せる者もいる。
元春自身は全く動じず唇を真一文字に結んで、ただチラリと横を向いただけだった。
逃げ惑う足軽が目に映った。

「ヒッ!」
「・・・自分の持ち場に戻れ。背中を見せるな。」

足軽の首根に槍の穂先を突きつけると、熱気と炎に包まれた場は一気に冷えた。
そそくさと兵らは動き、静かに立て直した。数名の負傷者は出たようだが、そこは詭計に慣れた毛利軍。壊滅的な打撃にはならなかった。
奇襲を受けたと分かれば打ってでる他無い。毛利本隊からも爆発の様子が見えたらしく、すぐに出陣の法螺が聴こえた。
元春は喉が潰れんばかりに声を張り上げる。

「全軍!逆落としを駆けろ!馬は潰してもいい、一人でも多くの敵を斬り捨てろ!・・・隆家、俺の軍の指揮を任せた!」
「なっ、元春お前は!?」
「俺は奇襲を潰す!」

叫ぶと同時に元春は轡をふませて忍ばせていた馬にまたがり、手綱を引いて思い切り馬の腹を蹴った。
隆家が何か叫んだが、もう耳には届いていなかった。
崖下の戦場とは逆方向へ走りながら、無意識に槍を握り締めてほくそ笑む。
駒の単独行動は元就に見つかったらきっと罰せられるだろうが、それは敗れたらの話、勝てばいいのだ。
しかしその前に、己に喧嘩を売った奴を見たい。
この吉川に奇襲を仕掛けるとは、面白い。
肺一杯に息を吸い込みゆっくりと吐き出す。
吐息は震えていた。

元春は珍しく無意識に熱くなっていた。

やがて、爆発で地面がえぐられた山肌が見えてきた。
倒れた木々や、岩からは煙が上がっている。
耳を澄まし、目を凝らす。
奇襲ならば、数はそんなに多くないはず・・・

煙が風でさっと引いた刹那。
そこに見えた人影に、元春はつい目を見開き馬足を止めた。



「ちょっとーッ!和ちゃんったら絶対火薬の量間違えたでしょコレ!やだー・・・あ!羽織焦げてるし!」
「ま、孫次郎様!」
「わかってるわかってるって。コレくらいであたしが死ぬわけないでしょ。」
「あの、孫次郎様っ!!」
「あー・・・でもこの羽織、ちゃんと治してもらおっと。あ、ついでに新しい簪もおねだりしちゃおっかなー。」
「孫次郎様!!敵軍にございますっ!!」



土佐兵の一人が元春を指差して嘆くように叫んだ。
ふと、萌黄の鉢巻をした銀髪がこちらを向いた。
紫の大きな瞳と視線がピタリと合う。

「あら、春ちゃん見―っけ。」

見知った顔の一つ、津野親忠の不敵な笑みがそこに現れた。



Aへ続く



うむ〜。