鎮魂歌B(春+忠)


それから元春は憎らしい思いでその場に縫いとめられた足をなんとか動かして、下方の戦況を把握するべく崖の淵へと走り出した。
生えた草をむしるように淵から身を乗りだすと、目の当たりにした戦はすでに終わったも同然だった。長曽我部軍のほぼ全軍が海へ退却、一揆勢も多数を切り刻んだとはいえ頭領を取り逃がしてしまった。
結局毛利は何も奪わず、何も得なかった。


その後、毛利軍は元就・隆元本隊の陣へ退却・集合し、主だった武将等は戦評定を行っていた。
元春はといえば、眉間に深い皺を携え膝に乗っていた己の拳をじっと見ていた。周りの科白には一つも口を開かず、ただ、黙ったまま。
他の家臣衆等は元春の様子を見て見ぬふりをしてやり過ごしていたが、隆景だけがそんな兄の様子を時々盗み見ては、苦虫を噛んだような表情をする。

「元就様。」

夜明けの時も近づいてきた頃。
評定も一段落し、各々が撤退のための準備に取りかかり始め、元就が音もなく立ち上がった時、やっと元春は口を開いた。
声色は静かだったが、その場を立ち去ろうとしていた武将等たちが振り返るには十分なほど怒気を孕んでいて、戦場以外では殺気をあまり見せない元春の様子に、皆抑えがちではあるが戸惑い、顔を見合わせる。
しかし、隆景と隆家の二人が表情一つ変えず歩みも止めずにそのまま去っていったのを見て、後ろ髪ひかれる思いで一人また一人とその場を後にしていった。

結局残ったのは元就と元春、それから元就の傍についていた隆元の3人。
元就は顔を横に向けたまま、だが小さな瞳だけを元春のほうへ流してその姿を捉える。

「お尋ねしたき所存がございます。」
「・・・・・・。」

たっぷりと拍を置き、元就が口を開く。

「・・・申せ。」
「この戦、元就様の策は失敗だったのですか?」
「そうだ。」
「それは俺のせいだ。」
「そうだな。」
「ならば、俺の首を今ここで落としてくれ!!」

血を吐くように叫んだ元春の声はゆらゆらと松明を揺らすばかりで、元就は何ら反応を示さない。
いつもなら・・・策が成らなかった時、その元となった駒はことごとく切り捨てられていた。それでなくても、元就の機嫌が悪いときは足を引っ張る駒の命を奪うというのに。
この状態を、元就が何か思わないわけあるまいに。
風がそよぎ、鼻腔に焦土の匂いが広がるたびに、元春は心に焦りを感じた。

やがて、元就が小さく口に出した名前は元春の名ではなかった。

「隆元。」
「は。」
「彼奴の処遇は貴様に任せる。」
「は。」
「え・・・っ元就様っ!、お待ち下さい、元就様!」

みるみる元春の目は見開かれ、元就が完全に背を向けるとその背中に縋るように、身を乗り出し土に跪いて言葉を投げかけた。
しかし元就は足を止めることなく、陣を後にして行く。

「元就様!俺は策を失敗させたんだ!」
「元春。」
「どうか、俺を罰してくれ!」
「元春、落ち着け。」
「元就様っ!」
「元春!!」

隆元の声が響いて我に返った。
顔を上げると、厳しい顔をした兄がじっとこちらを見つめていた。

双方、じっと互いの目を見つめる。
元春は、元就が兄に任せた理由に薄々気付いていた。
でもそれでは納得できない。
自分は元就の駒で、兄の駒ではない。
軍議や合戦での兄はいつも影が薄い。刀を手にすると敵が震え上がるほどの腕前を持っているというのに、滅多にそうしない。
影が薄いのは戦だけではない。政の時も家臣達との宴の席でも。父の影として寄り添うように付き従うと言うと聞こえはいいが、未熟で手腕発揮する力が乏しいといえばそれまでになる。
いつもいつも父の言葉に何も言わずに首を縦に振り、父の言葉を体現するよう働いている。
元春にとってその様子は、ただの木偶のように見えてならなかった。

だから、今の自分にとって兄など出る幕のない人物であり、それなのに目の前に立っているのがとても邪魔で納得がいかなかった。

「元春・・・。」

隆元は小さく呟いて、す、と静かに腰を下ろした。

「元春、元就様が私にお前の処遇を任された意味、わかるか?」
「分かるか!分かっていても分かりたくない!兄貴に何が分かる!いつも元就様の隣にいる兄貴になぞ、先陣を努める俺の気持ちが分かるわけがないだろう!?俺は元就様の策を失敗させたんだ!責任を取ると言ってるんだ、いつもそうしているじゃないか!だから、兄貴じゃダメだ、元就様を、・・・ッ!」

元春の叫びを眉間に深い皺を作り聞いていた隆元は、みるみる肩を震わせ、堅い拳を握りしめる。
沸々とこみ上げた怒りは爆発し、気付いたら殴り飛ばしていた。
鈍い音とともに後方へ吹っ飛んだ元春はすぐに起きあがって、切れた口の中に溜まった血を乱暴に草むらに吐き捨てた。
そして、目の前の若い大将を睨む。

「ンだよ・・・。」
「お前がそこまで自分の身しか案じていない奴だとは思わなかった・・・。」
「・・・。」
「お前が言うとおり、私は無才覚無器量な人間だな・・・。だが言わせてもらうぞ。お前はまだ青い。」
「ッ・・・!俺は駒だ!失策の罰を受けるのは駒として至極当然だ、そうしなければ、今まで死んだ奴に面目がたたない!」
「私は斯様な駒などいらぬ!」

反抗していた元春の喉は震え上がった。
いつも静かで温厚な兄がこのように声を荒げる姿など、記憶を辿っても今まで見たことがなかった。ましてや手をあげるなど。
だがそれ以上に、その内に、毛利家当主として運命づけられた者のみが発する言葉の重みを一瞬にして感じた。

元春は目を伏せ俯くが、隆元は続ける。

「元就様は御自身駒と自覚し、為すべきことを成就せんとしている。私も駒の一人だが私はその次代を担う駒として、その全てを見聞きしこの胸に焼き付けておくよう努めている。駒にはそれぞれ役割があるのだと私は思う。大将駒、兵駒。お前は如何にある?」
「・・・っ」
「お前は毛利の武将であるが、吉川の大将でもある。そして駒全てが皆毛利の兵士だ。罰を与えることは簡単だ。だが、ここで失うわけにはいかぬのだ。」
「じゃあ、この戦で失態を犯した俺はどうなる!」
「許す。」
「何!?」
「だが、次はないと思って欲しい。その胸に焼き付いた恥があれば、今まで以上の働きはできるだろう?」

顔をあげると、そこにはいつものように穏やかに笑っている兄の姿があった。
まだ具足をまとった姿だったが、兜だけは脱いでいて、馬の尻尾のような栗毛の髪が緩く風になびいていた。
元春は唇を尖らせる。

「・・・腑に落ちない。」
「・・・それは親忠殿を侮ったせいか?」
「・・・。」
「そうならば、お前もまだ未熟ということだ。・・・私が言えることではないが・・・。」

そういって自嘲した隆元の顔が昇陽の光に染まる。
結局父は落命させたくなかったのだと思う。
でも父は役割を考えて兄にそれを譲ったなんて。
これが、兄の役割か・・・。
ちらと兄を盗み見ると、兄は目を閉じて合掌し日輪を拝んでいた。元春もそれにならい合掌して陽を拝む。
その頃になって張られた頬がズキズキ痛み出した。結構いい拳を持っているじゃないか・・・・・・。
元春は痛みを噛みしめながら、口元に笑みを零した。





海の上。
土佐へ帰る安宅船の船首に座って海へ足を投げ出し、親忠は眼前に広がる大海原をぼんやり眺めていた。
そんな弟の様子に気付いた信親は、銀髪の背中へ近づき声を掛ける。

「忠、どうした?」
「う〜ん・・・。」
「奇襲看破、成功してよかったじゃないか。」
「そうねぇ。」

あの、瞳。
何も映さなかった瞳に、逆上して炎がついた瞬間の、あの、顔。
自分が火をつけたのだ。
自分が・・・。
思い出せば思い出すほどふつふつと何かがこみ上げてきて、傍らに置いていた己の獲物を掴むとそれが和らぐのに気付き、親忠は苦笑いを浮かべた。

「信ちゃん。」
「ん?」
「帰ったら、ちょっと手合わせ付き合わない?」
「うん。それはいいんだけど・・・忠。」
「何?」
「珍しいな。殺気が抑えきれてないよ。」
「あはは。手合わせ、ちょっと手加減できないかもー。」

結局自分も、土佐の人間なのだ。
そして、戦う気などなかった自分に火をつけたのも、また、彼。

「やっぱりあたし、春ちゃんのこと大好き。」

親忠は、突き抜けるような蒼の狭間で呟いた。







やっぱりうちの忠って・・・特殊だよなあ・・・。