奔走(現代信隆)

※現パロ・小説家×編集担当者という設定です。


「サイン会?」
「ええ、そうです。先生のサイン会を開催したいのですが。」

目の前でアイスを食べながら新聞を読んでいる信親に、隆元は腰に手をあてて仁王立ちで挑んだ。
作家・長曽我部信親の編集担当者となってから早数ヶ月。
信親の仕事数は依然として多く、人気も上調子。
一ヶ月後には新刊の発売日を控えている。隆元はその準備に奔走しているわけだが、3日前に会社の上層部から気まぐれ・思いつきの提案が降りてきた。
実際のところ、それは提案ではなく命令だということを、隆元は専務である陶に呼び出された時点で汲み取った。
“義隆様が、長曽我部先生のサイン会をしてはどうかと言っている。周りもそれをおだてて、やらざるを得なくなってしまった。下の苦労も知らずに・・・できるか、隆元。”
“行うとすれば・・・それは新刊の発売にあわせて、になるのでしょうか。”
“そうだな。こちらからも援軍は出すし、やり方はお前に任せる。”
“・・・・・・。3日、いや、1日ほど時間を下さい。”

と、上司の陶に返事をしたが。
あの隠遁生活よろしく世俗に大変疎い、本当に20代なのか疑わしい男が首を縦に振るのか。それが一番の大問題だ。
今までのマスコミ関係の取材ドタキャンや遅筆は社長が絡んでいなかったし、むしろ社長自信が先生の擁護派だったものだからなんとかなった。
だが、今回はその社長の提案のイベント。ドタキャンなんてされたものなら担当の隆元の首が飛ぶかもしれない。
ひとまずは説得してみようと、あらゆる返答のマニュアルを頭の中で組み立てつつ先生の家へ足を運んだ。




「やだよ。」

ホラきた。
心のどこかで期待していた自分がいけなかった。すんなり“うん”というわけがなかった、そうそう!この人はこういう人だったっ!!

一応作ってきた企画書をピラリと見せても、さっと目を通しただけで、信親は目線を新聞に戻してしまった。そして、何事もなかったように食べきったアイスのバーをガシガシと噛みながら次の新聞を読み出す始末。

信親は新聞を8紙ほど取っている。が、毎日読むところといえば専ら、今日の天気と今日の献立という料理の記事。そして時々正気に戻ったかのように、文化面や様々な連載と、論説を眺める。
聞けば、天気はなんとなく見るだけらしい。こんだてについては、料理なんてしている形跡がないのに何故熟読しているかと思えば、写真の色が綺麗だからという理由らしい。文化面や連載・論説は仕事に関することだから、という。毎日読むところが逆だろ!

「今日のこんだて・いわしのカレー風南蛮」の作り方をじっと見ている姿が憎々しい。
今すぐにでも新聞を取り上げたかったが、拳を固く握ってなんとかそれを我慢して、できるだけいつもと同じ口調で言葉を返す。

「先生は自分の作品がどんな人に読まれているか、興味ないのですか?」
「う〜ん・・・あるといえばあるけど。そういうの嫌いだよ。」
「一度もやってないうちに嫌だというのと、やってみてから嫌だというのとでは、全く意味が違いますが。」
「・・・隆元がやりなよ。」
「何で私が。もっと意味がないですよ。」
「ほら、今雑誌連載の原稿が滞って「仕事を理由にしないでください。滞ってるなら急いでください。」
「サインなんて書けないし。」
「子供みたいなこと言わないでください。普通に名前を書けばいいんです。」

すると、信親はやっと新聞から目を離して、企画書をもう一度眺めた。思いっきり、口を尖らせて。

「先生は講演会やマスコミの取材を極端に受けないですね。それは先生のスタンスとしては多いに結構です。読者からの手紙での感想には目を通してご覧になっているようですが、皆さん先生に期待してらっしゃるのです。」
「そんなことな「そんなことあります。実際読者の顔を見て、対話する機会というのはそう無いことです。一度くらい、経験してみることも必要ですよ。」
「・・・・・・隆元も、いるの?」
「もちろん。主催者側の人間ですから。」

すると、しぶしぶ。本当にしぶしぶ感を隠そうともせずに盛大に溜息をついた信親は、小さく“仕方ないな”と呟いた。
やっと重い腰をあげてくれた。
隆元はホッと胸をひとつなでおろし、信親が目を覚ますようにとびっきり苦いコーヒーを煎れてやり、自分は雑誌のコラム連載の原稿を一つ持って、会社へと走った。

それから、隆元は会場となる書店と連絡を緻密に取りあい、印刷所とできあがった本の具合を確かめ、初版部数・出荷状況・書店予約状況を常に確認する。また、サイン会の主役である信親のために、さまざまな連絡事項をすべて書面に書き出していちいち家に持って行った。それから外部に向けての宣伝文句を考えるのに広報部と話し合いをし、また経理部と話し合ってサイン会に関する諸経費に頭を悩ませる日々が続いた。
その間に溜まった事務を処理するとすぐに日を跨いでしまって、ほぼ毎日会社で次の日を迎えては深夜に帰宅。帰宅してもシャワーを浴びて髪を乾かさないまま寝てしまったり、飲む胃薬や栄養ドリンクの量も多くなり、見かねた目の前のデスクの同僚がそういった類のものを差し入れるようになったときは、つい苦笑いが出た。
発売日3日前、少しだけ時間が出来た隆元は、最終打ち合わせも兼ねて近くのカフェへ信親を連れてきた。

「久しぶりに外に出たなあ〜。」
(出不精というか引きこもりというか・・・)

ぼやきながらスコーンを頬張る信親に当日の流れをひととおり説明するが、彼の目はガラスの向こうの風景を眺めているばかり。

「それで、ここで先生から一言いただきたいところなのですが、会場が書店の店舗内です。特設会場を作る場所もなければ、お客様に待機して頂くスペースがありません。こちらでマイクとアンプは用意しておきますが、整理券のはけ具合によっては先生の一言を省略して、なるべく沢山の人にサインを貰って頂こうと思います。整理券は本を買った方一人に対し1枚配布、マックスで100、予備に100の計200を用意しています。時間の確認ですが、イベントはお昼過ぎの13時からになります。朝11時に私が家まで車でお迎えに行きますので、先生、聞いていますか?」
「うん、もう何回か聞いてるし書面でも確認したから分かってるよ〜。」
「・・・それでは、何か質問はありますか?」
「あ、はい。一つだけ。」
「何でしょう?」
「そういうのって、服はどうするの?」
「服?」
「うん、俺、どんな格好すればいいの。」
「先生の私服で大丈夫ですが・・・スーツが妥当かと。」
「俺、スーツなんて喪服しか持ってない。」
「・・・。」

他の作家相手ならば“今日のような格好でもいいですよ”、と答えるところなのだが。
目の前の人の格好といえば。
上はヨレかけの白いTシャツ、下は万年履いていそうなジーンズ、健康サンダルを引っかけた素足はいっそ健康ランドをサイン会会場にしたほうがいいのではと思うくらいジジくさい。
だが、会場は老若男女が行き交うファッション街の書店。このような流行を無視したフリーダムっぷりは許されないだろう。

「先生。」
「はい?」
「このままスーツ一式を買いに行きましょう。」

といって、隆元はガシと信親の手首を掴み上げて、立ち上がった。

「は!?ちょっ、俺これから本屋と文房具屋とか色々行こうと思ってたのに!」
「そんな格好で外に出せますか、それなりにピシっとして頂かなくては困るんです!財布はどこですか?カードは持って・・・ませんよね。」
「ちょっとちょっと!待ってって!!」





そして、隆元は今サインを書いている信親を少し遠くで後ろから眺めていた。
あと3人で、サイン会は終了する。
このイベントは大盛況で、用意していた整理券は予備も含めて全てが完売、それでもファンは整理券を求めてやってくる。サイン会は予定が変更となり、信親の一言は省略された。
隆元の携帯に次々と舞い込んでくる販売状況も明るい声ばかりで、会社全体から嬉しい悲鳴が聞こえてきた。
このために奔走していた甲斐があった。が、一番驚いたのはサイン会当日の信親だった。
悩みに悩んだ末買った黒のクラシコスタイルのスーツを自然に着こなし、ノーネクタイではあるが決してだらしなくは見えない。また足元はいつもの健康サンダルではなく、ブラウンのロングノーズの革靴だ。
そんな慣れない格好で、背中を丸めて必死にサインを書いている先生の姿はなかなか見れないな、と小さく笑いながら、隆元は信親に後ろから近づいていった。

最後の一人の持つ本の裏表紙にサインを書き終え、握手を交わす信親が隣に立っていた書店の従業員のメガネの女の子に何やら話かける。
女の子は慌てて、こちらを振り返ると、隆元のほうへ小走りに駆けてきて告げた。

「あのっ、先生がマイクを貸して欲しいといってるんですが。」
「え?マイクを?」
「あ、はい、あの、よくわからないんですけど・・・何か一言皆さんに喋りたいそうで。」
「・・・じゃあ、これを渡してきてください。ありがとう。」

笑顔でマイクを渡すと、女の子は小さくぺこりと頭を下げて、また慌ただしく信親の元へ駆けていった。
一体何を話すのか。いつもなら、“こんなことしたくなかった”とか“言われて仕方なくやった”とか言い出すのではとハラハラして事を見守るのだが、今日は少し違うような気がして、隆元は柱に背中を預けてその様子を穏やかに眺めていた。

マイクを持ち、そして席を立つ。
小さく咳を一つ。

“・・・長曾我部、信親です。今日はありがとうございました。皆さんに今日手にして貰った本、少しでも多くページをめくってくれればいいなと思います。それから…今日この場所を貸してくれたこの本屋さんと、企画してくれた出版会社の皆さんに御礼を述べたいと思います。ありがとうございました。”

(本番に強いのか・・・)

沸き上がる拍手に送られるようにしてこちらへ向かってくる長曾我部信親は、今まで見た中で一番かっこよく、そして作家らしくて、隆元はなんだか目頭が熱くなるという不意打ちを食らってしまったのである。




「どうでしたか?」

帰りの車を運転しながら、隆元は声を掛けた。
だが、一向に返事がない。
寝ているのかと思ってミラー越しに信親を見たが、隆元はその姿にげんなりした。
さっきまで今まで見たことがないくらい堂々としっかりしていたのに、今ではジャケットを横の座席に放り投げて、背もたれに預けた体は斜めに傾き、ものの見事にだれている。
ぼんやりと開いている灰の目はどこを見ているのか分からないし、まさに心ここにあらず。

(もうちょっとあの態度が長続きしてくれればいいんだけどな・・・)

バックミラーから視線を外し、ハンドルを右にきりがてら、隆元は小さく溜息をついた。
掠れた低い声が情けなく響いた。

「つかれた。もうしない。」
「あはは、そうですか。では、帰る前にご飯を食べに行きますか?」
「・・・でも・・・・・・よかったのかな。みんな嬉しそうだった。」

おやおやと隆元は眉を上げ、後ろの先生がどんな表情でそれを言ったのか気になってまたバックミラーを見るが、信親はさらにだれてシートに寝転がってしまい表情を見ることはできなかった。

「企画した甲斐がありますね。身に染みる言葉です。」
「あ、隆元。このへんに携帯電話売ってるとこってあるかな?」
「携帯、ですか?」

どちらかといえば、このあたりは信親の自宅の近所といえる場所だから、信親のほうがどこに何の店があるか分かるはずだが。
そうだ、この人は可哀相なまでの出不精だった。
隆元は頭の中でこの周辺の店をリサーチ、この道路沿いのもうちょっと車を走らせたところに一件の携帯ショップがあることを思い出した。

「この道路沿いにありますね。少しご自宅から離れますが。・・・携帯電話、使うのですか?」
「うん・・・まあね。」

すると、のそのそと起きあがった信親は窓の外を眺めて眠そうな目をこする。

「この間用事があって俺から何回か出版社に電話したときあったんだよ。その時いっつも隆元は不在ですとかって言われてさ。隆元の携帯に電話しようとしたけど、番号が分からない。でも隆元、俺に連絡事項持ってきてくれてたりしてたじゃない。・・・なんか、ねえ?」
「ねえ?と言われましても。」

隆元はふと思い出した。そういえば以前この人は、自分の携帯番号を紙に書いて教えようとしたとき、会社に連絡するからいいといって受け取らなかったことがあった。
信親は続ける。

「それに、また取材とかあったらさ、俺だって外に出るじゃん。いつも隆元が取材に付き合ってくれるとは限らないじゃん。」
「至極、当たり前ですね。」
「だったら、俺からもいつでも連絡できたほうがいいじゃん?」
「・・・そう、ですね。では携帯ショップに行きますか?」
「ううん、いい。疲れたし。隆元も疲れたっしょ?」
「はあ、まあ。」
「・・・・・・隆元、」
「何でしょう?」
「お疲れさま。」
「・・・。」

ドキリとしてバックミラーを眺めると、後ろに座る彼は窓ガラスに額を付けてこくりこくりとうたた寝をし始めたところだった。

「・・・先生も、お疲れさまです。」

先生を送り届けたら、この後報告書を書いたりするのに会社に戻ろうと考えていたが、やめておこう。
今日ぐらいこのまま帰って休んでもいいかと思ったのだ。・・・実は、今日は休日出勤なのだし。
明日も休みだから、ゆっくり寝て起きて、ゆっくり絵を描こう。
久々の休日はやることが沢山だ。

隆元はそっと、こみ上げてきた欠伸をかみ殺してハンドルを握り直した。







性懲りもなく。
信親ファンに物投げられそうな信親ですいません・・・。でも・・・好きなんだ。