微熱(現代信隆)

※現パロ・小説家×編集担当者という設定です。


空は青空。道には落ち葉が舞う、冬のにおいが薫る季節。
そんな中隆元は一人、とあるマンションの玄関で青ざめていた。
信親が出てこないのだ。

インターホンを数回押してみるけれど、待てども待てども返事がない。
今日はコラム連載の原稿を持ち帰らなければいけないし、大きな依頼が来た件を話さなければいけないので、どうしても話がしたいのだが・・・
時計を見ると、やってきてから2時間は経っていた。

寝ている・・・とは思えなかった。
なぜだか先生は起床と就寝時間をちゃんと作っていて、それをしっかり守っているようだったからだ。

(外出してるのかな?)

だがしかし、あの先生は外出を極端に嫌う。
日常の中の消耗品もひとつなくなったぐらいでは外に出ないし。
以前、歯磨き粉にティッシュペーパー、石鹸が無くなっていても外に出ようとしなかったときは、なんだか呆れを通り越して切なくなり言葉も出なくなった。その様子を見て何か思うところがあったのか、それから先生は大量に日常品を買ってきてストックしているようだ。
外にはいない。多分。

もしかして、倒れているのでは・・・?
いやでも、なんだかあの人は滅多に外に出ないんだから病原体とかとは無縁・・・いや、待て待て。もしかしてあの部屋にしかいない病原体が先生の体を蝕み・・・いや、そんなのあるわけがない。

外出はしているが別の理由があって部屋にいないとか。
それは“ちょっとそこまで”レベルではなくて、地球の裏側に行くぐらいの・・・。
ありえない話ではない。あの先生ならやりかねないことだ。

そういえば・・・
隆元は考える。
最近は忙しくとも足を運べば何かしらの原稿はできあがっていて、コンスタントに執筆・提出してくれるから隆元の心労も薄らいでいた。

もしかして、先生は何もかも色々やる気がなくなって・・・もしくは本気で悟りを開かんべくどこかの国の秘境へ旅だったとか!そのためにここ最近、真面目に仕事をしてくれた、とか・・・。
むしろ、行き先は秘境どころではなく、極楽・・・

隆元はゴクリと唾を飲み込むと、慌てて自分の鞄の中をさぐりだした。
以前、先生が逃げないように家の鍵を奪い取って無理矢理合い鍵を作ったことを思い出したのだ。
鞄の中でやけに光っていた茶色の革のキーケースを鷲づかみ、中身の左から2番目にぶら下がっていた鍵をそのまま鍵穴にぶち込んで右へ1回転。

「先生!お早うございます!」

勢いに任せてドアを思いっきり開くと、いつもの静かな風景が広がっていた。
そう、静かな。
玄関も廊下も奥に見えるリビングも、何も荒らされてはいない。
何となくそろそろと靴を脱いで、一つ一つ部屋を確かめるように廊下を奥へと進んだ。

仕事場は特に変わった様子はなかった。
パソコン部屋からは気配がしないし、まず先生が中に居る所を見たことがない。
寝室の万年床となっている布団は、毛布が人一人分程めくれていた。

奥の方へ目を向けると、よくよく見知った黒髪がベランダで風にさわさわ揺れているのが見えた。

「・・・先生?」

後ろ姿は振り向かなかった。
近づきながら様子を伺うと、ベランダの外で新聞紙の束を椅子代わりにして座り、空を眺めていた。
しかし、インターホンの音が聞こえなかったのではあるまいに。
さらに近づいてみると、信親の背中越しに見えた風景に、隆元は驚いてつい目を丸くしてしまった。

先生はベランダで小さな椅子に座って、ぼんやりと空を眺めていた。
その口には、煙草が一本。

(そうか、煙草を吸うんだっけ・・)

しばらく前に、リビングに小さなシルバーの灰皿があるのを見つけた。
見たところリビングにしか灰皿はなく、部屋は煙草くさくなければヤニで壁が黄ばんでいる様子もない。来客用かと思えば、カウンターには使い古して変色したジッポとセブンスターの箱があったので、ああ、先生は喫煙者なのだと知ったが、実際吸っているところを見たことがなかったから実感が湧かなかった。
ああやって煙草を吸うのか…と隆元はその口元をじっと見つめてしまった。

しばらくすると煙草を銜えていた口が小さく開き、歯列の隙間から薄い煙が靄のように吐き出され、空の雲にとけるように消えた。

いつもと違ってなんだか怠けているようには見えない。どちらかといえば、呆けているようだ。
いつもの灰の瞳は空を写して青みを帯び実に綺麗な色をしていて、隆元は思わず口元を綻ばせ、カラカラとベランダの引き戸を開ける。

「先生、こちらにいらっしゃいましたか。」
「・・・。」
「先生、原稿を取りにきました。できあがっていますか?」
「・・・。」

こくりと、ひとつ頷く。

「どちらにありますか?」
「・・・。」

やはり先生は、ぼんやりと空を眺めたまま音もなく腕を上げて仕事部屋のほうを指差した。
その不思議な様子に小首を傾げながら隆元は示された仕事部屋に赴き、机の上にきちんと端の揃えられた原稿があるのを確認すると、再びベランダのほうへ向かった。
微動だにしない黒髪を眺めながら考える。
どうにもおかしい。
一言も喋らないなんてこと、今まであったか?
どうしたんだろうか、熱でもでたのかな?

・・・熱?

「せ、先生!!」

もしかして、いやきっとそうだ!先生だって人間なんだ!
ベランダに飛んでいった隆元は失礼します!というが早いか、意識がどこかに飛んでいるままの信親の額に自分の手を押しつけた。

(なんだこれは・・・!?)

それはもう、ちょっと熱っぽいとかいじらしいものではなかった。
手を当てる直前からその熱気が感じられるほどの半端ない高熱で、そのくせ本人の顔色は赤くもなく青くもなくまた汗ばんでもおらず、至っていつもと同じ表情だったのだから、隆元は最近忘れかけていた胃痛と眩暈を一瞬にして思い出した。
が、この常軌を逸脱している先生はといえば、冷たい隆元の手が気持ちいいのか手に手を取って頬をすりよせてくる。

「隆元の手・・・ひんやりしてて気持ちいい・・・。」
「先生が熱いんです!ご自分で熱があるって気づいてなかったのですか!?」
「あ〜・・・・・・・・・そうだったのか・・・どおりで・・・何かおかしいと思った・・・」
「おかしいなら連絡をくださいっ!ていうか煙草!煙草を消してください!」
「どうして?」
「熱があるのにっ・・・煙草は体に毒だからですよっ」
「いつもと違うことしたら治ると思って・・・外に出てお日様に当たったら治るかなあとか・・・」
「植物じゃないんですからっ・・・ていうかそういう問題じゃありません!ああ、もう!ちょっと待ってください!!」


信親の手から手を振りほどくと、その口から煙草を引き抜き傍に置いてあった灰皿でもみ消した。
それから慌ててリビングに走り込んで体温計を探して本棚やら引き出しを引き抜いてみたが、一向に出てこない所か救急箱すらない。
・・・仕方ない。
もう一度ベランダに行き、呆けている信親の腕を掴んで半ば無理やり立たせて、その辺にあったジャケットを先生の背中に引っかけて、ついでにタオルもあったから首に巻かせた。そして自分より大きな信親の体を支えながら、玄関に置いたままのカバンを手に持って外へ歩き出した。

信親はぼんやりと斜め下の隆元の顔を眺めながら首をかしげた。

「どこ行くの〜・・・?」
「医者です。薬も体温計もないのではなんの施しようもありませんからね。」
「・・・医者・・・。」

それから信親は何も言わなくなり、隆元がひろったタクシーに大人しく乗って病院へと向かった。





隆元は一連の行動を思い起こし、額に手を当てて目を閉じた。


大きな荷物(信親)を背負いながら大通りに出て、タクシーを拾ったのはいいものの、はたと気づけば今日は日曜日。
知りうる限り、ここから一番近く且つ一番大きな病院に向かうようタクシー運転手に言いつけた。
運転手は二人の様子を察すると目を鋭く光らせ、“しっかり掴まっててくださいよ”と一言。
隆元が聞き返す間もなく突然エンジン全開、ものすごいスピードで国道を走りだしたのだ。信号が赤になれば横道に入り、ドリフトを利かせながら右や左へ曲がること数回。
本当にしっかり掴まっていないと振り落とされるんじゃないかというほどの荒々しい運転に、隆元は必死に信親の肩を抱き寄せ、片手で助手席のシートをひっ掴んでいた。

そうしてやっとついた病院である。
病院は休日外来を受け付けていて、ほっと胸をなで下ろした。


「いやー、でも休日の担当が小児科だったとはねえ。ひさしぶりに“くん”付けで名前呼ばれたよ。」

家に戻ってきた信親は、とりあえず薬を飲んで、布団にもぐりながら笑顔で言う。
病院で体温を測ったら40度だった。清々しいほど完ぺきなインフルエンザ。
なのに、どうしてこう普通に笑ってるんだろう。

「先生・・・インフルエンザなんですから、数日はちゃんと寝ていてくださいね。」
「・・・あ、今なんかすごい書けそう。どうしよう、ねえ、仕事場行ってもいい?」
「先生、私の話を聞いていましたか?」
「でもさ〜・・・書ける時に書いておかないと・・・」
「それとこれとは別です!先生に死なれたら困るんです!いいですか?まずは今日と明日。この2日はちゃんと寝ていてください。先生のことですから大丈夫だとは思いますが、外には出ないでくださいね。明日以降になったら、少しずつ筆を進めてください。」
「うん〜・・・」

もぞもぞと、信親は布団を頭まで被って唸っている。

「では、申し訳ありませんが私は仕事に戻らなくてはなりません。先ほど作ったお粥の残りがキッチンにありますから、起きたら食べて下さい。薬も飲んでくださいね!」
「はい・・・・・・隆元?」
「なんでしょう?」

布団を被ったまま名前を呼ぶ声は、いつもより聞き取りづらくて隆元は耳をそちらへ近づけた。
すると、目から上だけをひょこりと布団から出して、信親は眠そうにゆっくりと瞬きをしながらじっとこちらを見つめた。

「あのさあ、この間・・・すごく綺麗な色鉛筆があったんだよね。全部で・・・120色だったかな。だから、買っちゃった。仕事場の俺の机の上に・・・・・・乗ってると思うから・・・持って行っていいよ。・・・・・・今度、あれで・・・絵描いて・・・。」

それを言うと、寝息も立てずに信親は眠ってしまった。
何を言うかと思えば・・・。もうちょっと自分の体も案じてほしいものだ。
隆元は、目の前の病人を起こさないようにそっと立ち上がると、仕事場に向かった。
色鉛筆と聞いて、図らずもわくわくしてしまったのだ。
音を立てないようにソロリソロリと。ドアノブをひねり軋まないようにドアを開くと、いつもの風景があった。
白いこたつ、コーヒーメーカー、マグカップ、本棚、全身鏡、仕事机・・・
仕事机の上には、いつもの原稿と眼鏡と万年筆が置いてある。その少し横に、妙に横長の茶色のケースがあった。

ケースを手に取ってみた。
流石120色、ずっしりと手にその重みを感じた。
そのケースの右下に彫ってあるメーカー名に、隆元は目を見開いた。

「ドイツ製!?」

いくらしたんだろうどうしてわざわざこんなものを、と考えたが、すぐに答えは出た。
そんなに、私の絵が見たいと?

最初の頃の会話の中の、曖昧な約束事だと思っていたそれを彼はずっと覚えていて、現実にしようとしている。
本当にそうなるかどうかは別として、確実に、先生は実現に向かおうとしている。
勝手に決められた約束はいつしか夢になっていた。
その先生が見たい絵は己にしか描けない。
隆元自身だって忘れているわけではなかった。
けれどもあんな夢物語、語り草で終わってしまうものと思っていたのだ。

まったく。

隆元は小さくため息をついて、ジャケットを脱いだ。
机の2段目の引き出しを開け、いつものスケッチブックと胸ポケットのシャープペンを手にし、先ほどよりは大きな足取りで寝室に向かい、眠っている信親の横に座った。
その寝顔を、じっと見つめる。

自分は人間らしく生きているつもりではあったが、決して自然に生きているとは思えなかった。
人間だって自然の一部。先生を見てみるとどうだろう、こちらが振り回されていると思ってばっかりいたのに、先生のほうがより自然に生きているように見える。
何にも捕らわれず、縛られず、染まっていない文字を紡いで。
だから支持されるんだろうな、と隆元は一人思った。

そっとスケッチブックを開けば、今までこの部屋で描いた絵が目に飛びこんでくる。
それらを流して、真っ新なページにペンを走らせた。
今日持ってきた依頼というのは、実は先生のファンだという女性歌手からの作詞依頼だった。
あまり歌には通じていない隆元でも、その歌手はテレビに出ているのを見かけたくらいだから、きっと人気があるのだろう。
その歌手とも、数日前に会った。
それまでにも色々な経緯があったらしい。あちらのマネージャーが先生に話をもちかけようとしたところ、連絡先が全くわからない。仕方なく出版社を虱潰しに当たって、隆元の会社にたどり着いた。
そこで電話を受けた先輩が、先生と連絡が取れるのは隆元しかいないとマネージャーに隆元を紹介して、後日その歌手と会うことになった・・・というわけだった。
彼女は“先生の言葉はとてもイメージが沸いてくる、曖昧なところがなく洗練されている”という。
イメージが沸いてくるというのはよくわかる。
今だってペンが止まらないのだから。
先生にとって作詞は、物語やコラム以外のはじめてのジャンルだ。
本を通さなくても先生自身がこんなに自分にイメージをくれるのだから、歌詞だってきっといいものを作ってくれるだろうと。
そして何より、夢を現実にさせるために。

(なんだか、私は先生を好きになったみたいだなあ・・・)

隆元は、紙上を見ながら一人照れ笑いを浮かべた。





ひどく喉が渇いて起きた。
薬を飲んだせいか、病院に行く前より体が重いような気がして、信親はめんどくさそうに重い瞼を開いた。
あくびをしながら身を起こして枕元を見ると、隆元が用意してくれていた2リットルのスポーツドリンクとコップが一つ。その向こうの窓には、夕暮れの紫の空が世界を包んでいくのが見えた。
ドリンクの蓋を開け、無精してそのまま口に運び一気に半分弱を飲みほした。

さて。
隆元はああいったが、頭の中で何かが溢れてくるのを止められない。
こういうときはペンが衝動的に動く。きっと仕事がはかどる。
体はだるいけど、ずっと座ってるだけで動いたりしない作業だもの、大丈夫大丈夫。
信親は煙草を探してキョロキョロとあたりを見回した。

すると、視界の端に白いものが映った。
スケッチブック。
その、開いていたページに描かれていた絵は。

「これは・・・。」

描いてあったのは家に無いはずのデジタル体温計で、体温計はしっかりと40℃を示していた。
作者は一人しかいない。
言葉で言われるよりもずっと、警告やら小言やらがたっぷり詰まった絵に、つい信親のやる気は萎縮してしまう。

「あはは・・・これは恐れ入ったね。」

脳内であふれる構想をそのまま沈ませ、煙草も吸わないでゆっくり眠ったほうが、身のためだ・・・色々と。
信親はもう一度布団にもぐりこんで、その灰の瞳を閉じた。






うちの信親と隆元は現代と戦国とで若干性格が違います。
信親はどこまでも変人(こら)、隆元は生き生き。