Lady Grey(現代信隆)

※現パロ・小説家×編集担当者という設定です。


ふう、と、隆元はコーヒーを飲んで小さく溜息をついた。
今日は久しぶりの休日。さて、何をしようか。

一応会社の休みは土日の週休二日と決まっている。
だが、最近の隆元に限ってはそんなものは無いに等しかった。
ある企画のプレゼンを考えるのに、休み返上で出てきているのだ。
その間にも細かい処理は溜まる一方。本人はそれをただただ黙々とこなしている。周りの目にはどう映っているのか、一部の人間は手伝ってくれるが、あとのほとんどは不憫がるだけで、何もしてくれなかった。
見かねた陶が、数日前に気を利かせて隆元に休みを取れと言ったようだったが、その時の隆元は大きな数字の計算をしている真っ最中で、珍しく上辺だけの返事をしてしまい、直後に陶が隆元の年休手続きをしていたことに全く気付かなかったのである。

そんな休みの前日の、終業時間間際。
隣の机の弘中に話しかけられた。

「なあ、毛利〜。もう帰ったら?お前もう今日で連続残業3週間目だろ。」
「大丈夫ですよ、以前はバイト3つかけもちで一日3時間しか家にいなかったことが1ヶ月続いたことがあります。」
「自慢になんねーよ、ソレ・・・。栄養ドリンク今日何本飲んだ?」
「今日は少ないですよ、5本です!」
「死ぬよ、お前。そのうち。たまには家でゆっくりすれば?明日休みなんだし。」
「え?私、明日休みだったんですか!?」
「はあ!?お前覚えてないの!?この間陶さんが言ってくれたじゃんか!」
「ええ!?いらないですよ、別に!」
「ったく、仕事大好きなんだから・・・。いらないとか言うな!明日の休みは陶さんからの命令だ!いいから、後は俺がやっておくから!もう帰れ!」
「でも私はまだこの書類を作って課内に回して広報にも同じ資料を提出して経理に確認とらなきゃいけないんです!それから「あああ〜!!いいって!書類の型はあるんだろ!?だったら途中までなら俺も進めること出来るって!帰れ帰れ!!」


と言われ、ポイと会社から追い出されるように退社してから一夜が明け。
そんなわけで不本意の休日がスタートした。
朝起きた時にやっと、休日を貰えたことに感謝した。
久々にたっぷり睡眠をとり、朝食もしっかり食べて。
溜まっていた洗濯物も全部洗って今は乾燥機の中だ。
こうしてゆっくりコーヒーを飲むのも久しぶり。
隆元はぼんやりとこれからやることを考えた。

「・・・・・・なにもないなあ。」

・・・。
なんか抜け殻みたいだ。

ダメだ。こんな気分は無理矢理吹き飛ばすしかない。
まだ20代半ばなのに何を今から50代定年間近の係長みたいな気分になってるんだ!
今日ぐらい、栄養ドリンクも胃腸薬も忘れてやる!
ずっと放置している自転車にだって乗ってやる!
そうさ、外の青空は私を待っている!
飲みかけのコーヒーをキッチンに戻し、リビングの棚に立てかけておいたスケッチブックをさっと取り上げて、いつものビジネス鞄にしまってある最低限の持ち物だけを茶色の肩掛け鞄に詰め込んで。
目の端に写った色鉛筆も、今日は一緒に連れて行こう。
隆元は颯爽と外に出た。





なのに。

「・・・なんでここに来ちゃうんですかね・・・。」

割と近い所にいたせいもある。
近くの公園や河川敷とか、色々なところを巡って完全にとはいえないが、心のリセットをすることができた。あとはスッキリと帰るだけとなった時、先生の顔を思い出したのだ。
ちょっと様子を見てみるだけ、マンションの下まで行ってみるだけと思う手には、なぜかプリン二つが入ったコンビニ袋がぶら下がっている。
目の前に聳えるマンションをどんよりと眺めて隆元は肩を落とした。

まあ、ここまで来たのだから仕方がない。
隆元はマンションの入口に足を進めた。




玄関から出てきた信親は、私服姿の隆元を見てパチクリと瞬きをした。
何かを思ったようではあるが言葉には出さず、すぐにニコリと笑ってどうぞと通してくれた。
信親はそのまま仕事部屋に行き、それに続いて隆元も仕事部屋へ入ってドアを閉めた。

「今日はいい天気だね。さっきまでキノコの写真集を眺めてたよ。」
「(いい天気とキノコはどこでどう繋がるのだろう・・・)仕事してくださいよ・・・。」
「あはは、うん。今から今から。」

信親が椅子に座るとしばらくして紙の上をペンが走る音が聞こえてきた。
どうにも私服だと、慣れているはずの環境も違うものに思えてくる。
スーツ姿ならば“コーヒーを頂きますよ”と軽く言えるはずなのに、今日はただ座ってもじもじとするしかできない。
先生はいつもと同じなのに、自分から仕事を取ってしまえばこんなにも無に近くなってしまうとは・・・。
そういえば、この部屋に出入りするようになった頃もこんな心境だったっけ。

違う。今日はそんな日じゃないんだ。
気を紛らわすために、何か描こう。
隆元は一つ瞼を閉じ、ゆっくりと開いた。
鞄の中から色鉛筆を取りだす。
それからスケッチブックも。
壁に背中をつけて、体制を整えて顔を上げた視線の先には、見慣れた先生の横顔。
ちゃんとこの人の顔を描いたことはないな・・・。

なんとなく、隆元は目の前の彼を描いてみたくなって、早速全体の大まかな輪郭を捉えた。

「隆元ー、」
「なんでしょう。」
「今日はどうしたの?いつもと違う。」

あ、いつもと違うことはわかっていたんだ。

「今日は休みなんです。たまたま通りかかって先生の仕事のはかどり具合を見ようかと思って寄りました。」
「へえ。」
「あ、お土産にプリンを買ってきたんですが。」
「え〜、すごい甘いのはやだよ〜。」
「と、言うと思って、一番小さくてカラメルも少なめのものを買いました。」
「おお、流石だね。」

そういって先生が笑う。つられて隆元も。

しかしこうして描いていて思う。
綺麗な顔立ちだと改めて気付かされた。しっかり鼻筋が通っていて、唇の形も綺麗な曲線。
輪郭にも無駄がなく、顔全体のパーツの大きさと配置具合が完璧なのだ。
確かにこれはマスコミが黙ってはいないな。
その中で、一際輝いているのが瞳だ。
先生の瞳には相変わらず原稿用紙が映っていて、でも瞳で原稿用紙そのものを見ているかというとそうではなくて、その奥の話の情景を見ているんだ。

(あ・・・。)

絵に瞳の色を入れようとしたら、普通の灰色だけではその色にならないことに気が付いた。
黒だと潰れてしまう。
茶色というまで赤みはない。
青や緑を入れるほど外人めいてはいないし、紫もどこか違う。
不思議な色だ。隆元は困ってしまった。

「先生。」
「何?」
「先生の瞳の色、ご自身は何色だと思っていらっしゃいますか?」

ペンの音が止んだ。

「あ〜・・・そういえば自分の目の色が何色かなんて考えたことなかったな。」

信親はペンを置いて、コーヒーをひとすすり。

「ていうかね。この色は生まれつきじゃないんだよ。」
「え?」
「元々はちゃんとした黒だったんだよ。隆元より黒目だった。」
「・・・はい。」
「それが小学校高学年ぐらいから、どういうわけか色が抜けてきちゃってね。視力も悪くなったから眼科にも通ったりしたけど、親父もおんなじ色だから、大丈夫だって思ってさ。結局ずっと原因不明のまま。」
「そうなんですか・・・。」
「だから、もしかしたらいずれまた目の色が変わるかもしれない。・・・そうだ、空!」

信親が隆元のほうを振り向いた。
とても嬉しそうに、机に手をついて立ち上がるほどに。

「空・・・ですか?」
「うん、俺の目。黒から灰色になって、雨が上がると同時に夜明けになる・・・空みたいじゃん?」
「あはは、でも夜明けなら、茜色じゃないんですか?」
「冬の空だよ、雪空だ。」

信親はにっこり笑うと、キッチンへと向かった。

(雪空・・・ねえ。)

隆元は信親の足音を聴きながら、雪空は何色かを思い出す。
やはり思い当った先は灰色しかなく、灰の色鉛筆で絵の中の瞳に丁寧に色を入れていった。
出来あがった瞳は、やっぱり本物とは少し違うが、今日はそれでいいだろうと。
別に、これからまた色を探していけばいいのだし。
隆元が一人納得した頃にはもう気持ちも落ち着いていて、戻ってきた信親の手にはいつものコーヒー豆ではなく、最近好きになったという紅茶の葉とティーセット一式が乗ったトレイがあって、これから絵の髪の毛に色を入れる前に期しくもティータイムとなった。

「そういえば初めてまともに目の色の質問されたかもしれない。」
「そうなんですか?」
「みんなタブーだと思うみたいなんだよね。俺はなんとも思ってないのに。マスコミは興味本位でしか聞いてこないし。」
「・・・。」
「別に目の色なんて色んな色があっていいよね。それが俺は人より何種類か楽しんでるだけで。でもちょっと嬉しかった。ありがと。」

別に感謝されるようなことはしていないのだが・・・
だが、先生は嬉しそうに笑っているし、なんだかいつもより饒舌な気もする。
外は青空。飲んでいる紅茶は雨の国で作られたブレンドティー。紅茶の味は雨上がりの街を望んでいるかのようにひどく爽やかで、隆元は再び激務に追われるであろう自身の明日を思い描きながら、カップの中の紅茶をゆっくりと味わった。


灰色は希望の色なのでしょうか。
ならば、彼の人の双眼は希望そのものですね。
その目に私が映っていることを感謝しなくては。ねえ?レディグレイ?



「そういえば、何描いてたの?」
「ふふ、秘密です。」







フリリクでリクエストいただいたお話。
雪空の灰色が通じることを願って。