Spice!(現代信隆)

※現パロ・小説家×編集担当者という設定です。


殺風景な部屋に万年筆の筆音が響く。信親は今日も今日とて仕事中。
隆元もいつものようにやってきて、自分のノート型パソコンを持ち込んで仕事をしていた。
進捗状況は良好。このままいけば締め切り前に原稿を提出という快挙を成せるかもしれない。既に冷え切ったマグの中のコーヒーを飲み干し、さてもう一息と、信親は半分ほど文字で埋まった原稿用紙に目を落とした。

と、その時、突然地響きのような低音がゴロゴロゴロと鳴り響いた。
地震かと思うほどの鳴りっぷりは直ぐに止まず、やがてフェイドアウトして消えた。

「・・・なんですか?今の。」

思わず手を止めた隆元が信親のほうを振り向く。その顔はどこか呆れ気味である。
信親のほうは、何事もなかったかのように一所懸命原稿用紙とにらめっこ。

「ん、俺の腹の音。」
「(腹の虫にしては凄くないか・・・?)・・・お腹が減ってらっしゃるのですか?」
「うん、そうみたい・・・でも・・・あと少しだから・・・」

そういえば、今日先生が何か口に食べ物を入れたところを見ていない気がする。コーヒーは飲んでいるようだから、まだマシか・・・。
いや、口にしてないのは今日だけじゃない。昨日も何かを食べている所を見ていない。
もともと食にあまり執着していないとはいえ、栄養失調で倒れられるのは勘弁だ。

「先生、最後に食事をされたのはいつですか?」
「・・・一昨日の昼、近くの定食屋に行ったけど・・・・・・。」
「コーヒーだけでは胃を壊しますよ・・・?」

1日飲まず食わずでいるのは隆元も何回か経験している。また、信親は仕事に熱が入るとどうしても他の事…食事ですら摂らないことがあった。
今現在もそれだ。
真剣な横顔は言葉少なでそれ以上を語ろうとしない。灰の瞳は奥の奥まで輝いている。
隆元は小さくため息をつくとパソコンに向き直って自分の仕事に再び取り掛かった。

開放した窓からの爽やかな風が心地いい。
日差しはないが、空の青が柔らかく丁度良い。
ちぎれ雲の塊がゆったりと流れている。
ああ、車の騒音が邪魔だな。それからビルも、人も。
というか、先生、一人で定食屋に行ったのか。

「・・・・・・・・・で・・・き、たっ!!」

嬉しげに万年筆を置いた信親は万歳するように盛大に伸びをした。
ニコニコしながら原稿の端を合わせている様を隆元も微笑みながら見つめた。

「お疲れ様でした。すごいじゃないですか、最短記録更新ですよ。」
「うん、それでさあ、さっきのご飯の話なんだけどさあ。」
「私の話はまるで無視ですか。言わないでおこうかと思いましたが、いつもこの調子でお願いしたいものです。」
「それは無理。」
「・・・(即答か)・・・。」
「でね、一昨日、定食屋に行ったんだけどさ。美味いし安いし速いから今までも結構使ってたんだよね。でも、一昨日行ったときは美味いって感じなかったんだ。」
「それは・・・味が落ちた、という意味ですか?」
「いや・・・・・・美味いんだけど、美味くない。」
「少々理解し兼ねますが…」
「う〜ん、なんていうんだろうな。響く美味さじゃない。何かが足りなかった。・・・う〜ん、もっといい表現があるはずなんだけどな・・・。」

信親は封筒に原稿を入れた手を止めて、腕組みをして本気で考え込む。
眉間に深い皺を蓄えて、空を眺めたかと思えば卓上を睨み。
隆元はウィンドウに予算の数字を打ち込みながら、ぼんやりと口を開いた。

「では、先生が美味いと感じるものはなんですか?」
「・・・そうだなあ、あ!あれだ!隆元が作ってくれたおにぎり!あれは美味かった!」

信親の記憶に浮かんだのは、一ヶ月ほど前に隆元が作ってくれたおにぎり3つと、味噌汁と、なすの漬物の日本人の舌を潤す黄金の3点セット。
あの時は〆切に追われていて、何かを食べる余裕すらないほど時間に追われていて、ただひたすら文字を書いていた。
無心のままに思い浮かぶ話の流れを書いていると、盆の上に盛られたそれら一式をそっと出された。何だと思ってそちらを見上げると“腹が減っては戦はできぬ、と申しますよ?”と、笑顔。
おにぎりの輝く白と味噌汁の匂いとなすの照りも然る事ながら、隆元の笑顔で食欲が一気に膨らみ、なんだか受験勉強に勤しむ学生のような気持ちになって、一気に出されたものを平らげてしまったものだ。
思い出したら空腹がさらに増し、隆元のほうに身を乗り出したと同時にさらにグウと腹が鳴った。

「あれだ!あれをまた食べたいです!!」
「また、って・・・。あの時はたまたま材料が揃っていたので、あり合わせで作っただけですよ?だから今すぐには無理ですよ、なんせ冷蔵庫の中に何もないんですから。」
「じゃあ今度作ってください!」
「は、はあ・・・あ、でも今は無理ですからね!ですからほら、まずは外に食べに行きましょう。」



信親は自炊をほとんどしない。
まず料理が出来ないらしい。
炊飯ジャーは家にあるから、なんとか米を炊くぐらいは出来るのかと思いきや、米を消し炭にしたことがあるそうだ。
それだけではない。一度、家を訪れた時に部屋全体が焼け焦げた臭いに包まれていた時があった。何かあったのかと隆元は焦りながら仕事部屋を開け放つと、普通に仕事に打ち込む信親の姿。問い詰めようとしたがどこか哀愁を帯びた背中を見て、“ああ、何かやらかしたな”と瞬時に分かってしまった。
何も言わずにキッチンへ行ってみると、黒こげた鍋が無造作に流しに突っ込んであって、その横には丸焦げになった何かの塊が皿の上に乗っかっていた。
死体だ。食べ物の焼死体だ。
隆元は全てを悟ってしまった。
予想外のものが出来た上、自分の腕に幻滅した・・・というところか。
努力はしようとしたようだし、隆元は本人に何も言わず、何も見なかったことにしてそっと仕事部屋に戻った。

隆元自身は、自分の料理がそんなに美味いと感じたことはない。
必要になったから作り始めただけだ。
実家にいた時は、家事全般は家政婦がやってくれていたが、家を飛び出したとなれば全て自分でやらなくてはいけない。
外食する金もないから、見様見真似でやり始めた自己流の家事である。中でも料理は手さぐり状態で始め、至ってシンプルな手順で行う料理しかできず、今だって手の込んだものはそう作らない。それでもよかった。食べるのは己しかいないのだから。
だから、信親におにぎりを作ったのは、本当に偶々だった。
今日のように、一日二日食べ物らしい食べ物を摂っていないにも関わらず、必死に頑張っている様子を見て、力をつけてほしかったのと、自身も丁度小腹が空いたから。
キッチンへ行ってみれば、見慣れないダンボールに入った米と味噌。それから乾燥ワカメに真空パックのなすの漬物。段ボールには宅配便のラベルが貼ってある。成程、実家から届けられた兵糧らしい。
それを拝借して、作ってみただけだ。
すると異常に喜ばれ、今日も褒められまた作ってくれといわれたから戸惑ったのである。
だが、褒められて悪い気を起こす者はいない。
料理を始めて数年。これは自分がどのくらい上達したか、腕の見せ所となるのではないか。
隆元は仕事帰りに本屋に寄ると、今まで買ったこともったこともないような料理本をどっさりと買い込んでしまった。

「私も中々単純だな。」

隆元は買ってきたうちの一冊を手に取り、表紙を捲りながら苦笑いを漏らした。





その日はいつもより早めに隆元がやってきたように思う。
手にはいつもの黒い鞄の他に、大きくパンパンに膨れあがったエコバックが2つ。
これから所望の料理を作ってくれるそうで、色々と材料を調達してきたのだそうだ。しかも今日のために、社内で行う諸々の仕事を全て片付けてきたというから恐れ入る。
信親は一瞬目を丸くしたがすぐにそれは喜びの顔となり、早速キッチンへ案内した。

「さて。」

スーツのジャケットをリビングのソファに掛けて、エコバックから取り出した黒いエプロンに颯爽と腕を通し、Yシャツの袖をまくる姿はまるで戦前の武士(もののふ)のようだ。

「・・・じゃあ、俺は仕事やっててもいい?」
「ええ。出来たらお呼びしますよ。」

どこか楽しげな隆元の声に見送られ、信親は再び仕事部屋に戻って筆を持ち直した。
つい先日書き終えた話の後、すぐに取り掛かり始めたのは、来年出版予定のオムニバス本に載せる小説だ。重鎮から若手まで文壇で活躍する様々な小説家が作品を連ねるそうなのだ。そうなると、自然と読者は作品や作家同士を比べるようになる。批評家達もこぞって読むだろう。信親は批評には何ら興味はなかったが、重鎮等の中には好ましい人物もいる。その人たちと背表紙を同じにするからには間違ったことは書けない。与えられたページ数も多くはないし、ここは腕の見せ所だと、信親はいつに無く単語一つ一つを丁寧に調べながら手を進めていた。

再び辞書を手に取ったとき、焼いた醤油のにおいに気が付いてつい手を止めた。
耳を澄ませば何かを洗う音、切る音、混ぜる音。
懐かしいな、信親は思った。
母親は小さい頃に末の弟を産んで他界してしまったから、母の味というのはよく知らない。
実家の料理で思い浮かべるのは、小さい頃父が作ってくれた豪快な漢の料理と、いつどこで覚えてきたのか末の弟のしっかりとした手料理だった。
そういえば、大学受験の朝に盛親が弁当を作ってくれたっけ。眼鏡の奥で瞳が細められた。

(さて・・・じゃあ家まで届くようにしっかり仕事しなくちゃね。)

それからしばらくいくつかの辞書を読み、それでも足らずに近くの本屋に出向いて複数の辞書を買い込み(仕事中は滅多に外に出ない信親にとってみれば、天と地がひっくりかえったような出来事である)、帰ってきたら丁度隆元がキッチンから顔を出した。

「あ、外に出てらっしゃったんですね。」
「ただいま〜。」
「食事、できましたよ。」
「え、ホント!?」

買ってきた辞書そっちのけでリビングに直行してみると、綺麗にセッティングされたテーブルの上には2人分のランチセットが乗っていた。

「どっちが俺!?どっちが俺!?」
「どちらでもどうぞ。」

信親はカウンターの前に陣取り、味噌汁を持ってきた隆元も信親の前に座って、二人そろって頂きます。
隆元の腕は素晴らしかった。
遊ばずに基本を押さえた白米はしっかり粒が立っていて光っているし、副食のれんこんのきんぴらも丁度いい甘辛さでシャキシャキ、トマトソースで煮込んだロールキャベツなどは肉臭くないうえ、ひとつひとつが大きく、そのへんの主婦が真似しようにも出来まいと思えるほどの絶妙なトロトロ加減。

「どうですか?味薄くないでしょうか?」
「大丈夫大丈夫!!・・・・・・・・ご飯おかわりしてもいいですか!」
「はい、いくらでもどうぞ。」

即1杯目のご飯を平らげた信親は、今度はサラダに着手する。茹でたほうれん草と小さめに切られた胡瓜とオクラの梅肉和えだ。それもぺろりと平らげ、2杯目のご飯で残りのロールキャベツを食べ、締めに残しておいた具沢山の味噌汁を一口啜って、そこでやっと深いため息をついた。

「あったまるねえ…。」
「擦った生姜を少しだけ入れてみました。しかし素晴らしい食べっぷりですね。作りがいがあります。」

隆元もロールキャベツを食べてみて、我ながらいい味だと顔をほころばせる。

「でもこれ、どうやって作ったの?創作?」
「料理本を元に食材の特質と調理の基本を押さえて、あとは創作です。」
「ふうん・・・。」
「そういえば、ご飯を作っていて思い出したのですが・・・。私の父も料理がてんでダメで。家政婦が病気で家に来れなくなった時があったんです。父は何か作ろうと思ったんでしょうね、オーブンを爆発させてしまったんですよ。」
「・・・・・・なんか、それちょっと親近感。」
「あはは。それで仕方がないので、学校の調理実習で覚えたてのスクランブルエッグを作ったのが、私の初めての料理でした。」
「へえ〜。・・・でも、なんかいいなあ。」
「?」
「うち、お袋も早く死んじゃってさ、親父も最初は色々作ってくれたけど段々忙しくなってきて中々料理作れなくなって。俺も料理てんでダメでしょ?弟たちに何か食べさせてやりたくてもどうしたらいいのか分からなくて、結局近くのコンビニから菓子パン買ってきたりとかさ。だから、母親の手作りってあんまり記憶にないんだ・・・あ!!」
「ど、どうしたんですか?」

突然叫んで目を丸くした信親は驚いた表情をしながら固まってしまった。

あの定食屋の食事に何も感じなかった。
でも隆元の作った料理は美味しかった。
この違いは何だろう、理由が判ってしまったのだ。
きっとあの店の亭主も心を込めて作ってくれたに違いない。でも、交わす言葉は少なく所詮他人。あちら側からすれば、自分は沢山いる客のなかの一人にしかすぎない。
足りなかったのは、気持ちってやつか。
・・・当たり前か。

信親は自然と柔らかい表情となっていて、隆元をじっと見つめた。

「・・・?何でしょう・・・?」
「ありがとう、美味しかった。」
「は・・・はあ。」
「あの定食屋よりも数十倍も、数百倍もね。」

隆元は訝しげな顔をしながら白飯を口に運んでいる。
その耳はどこか赤く染まっているように見えた。

信親は味噌汁を美味しそうに飲み干して席を立った。

「・・・ごちそうさま。じゃあ、お礼にコーヒー淹れるよ。信親特製・スペシャルブレンドね。」
「え!?いいですよ!ていうか!え、豆から挽くんですか?」
「勿論。まかせて〜。これでも一応カフェのバイトしてた時あるんだから。」

この後も仕事がたっぷりあるし、お互い英気を養わなくちゃね。
それに本当にお礼がしたいんだ。
そうだ、隆元はこのランチをスケッチブックに描いただろうか?
描いてなかったらまたご飯を作ってもらおう。
今日みたいな凄いものじゃなくてもいいから、また作ってもらおう。

楽しいことがまた増えた。
信親はキッチンに入ってそっと微笑んだ。







フリリクでリクエストいただいたお話。
新婚夫婦みたいで書いていて自分で恥ずかしくなってました。でもとっても楽しかったです。