さようなら(就+幸鶴丸(輝元))

※隆元没直後設定です


嵐が数日続いている。
まるで毛利家中の空気が天に昇ったかのようだった。

吉田郡山の一室に家中の者が一同に集まっていた。
上座には薄く白い亡骸が一つ。
下座には悲愴に暮れたすすり泣きが絶え間なく響いていたが、元就だけはいつもの氷の面で亡骸を見つめて立ち尽くしていた。

隆元が死んだ。
その悲報を聞いたときは、それも計算のうちに入っているつもりだった。
あの優柔不断な己の嫡男の内政手腕には元就自身一目置いていたのだが、実戦で采配をふるう分には己に似なかったようで、そのせいで怒りもしたし時には手をあげたりもした。
が、最近は自身のやり方を覚えたのか、今まで見たこともないほどに明るい表情をしているのが…少し羨ましかったし、それでいいとも思った。

それがこの様か。

「父上・・・父上・・・」

じろりと視線をずらすと、まだ幼い孫が白い亡骸の胸に縋って泣いている。
隆景が一歩膝を進めて咎めた。

「幸鶴丸、元就様の御前でなんたる姿・・・控えよ。」
「嫌じゃ!伯父上は悲しくないのか!?・・・父上・・・父上・・・ッ」

孫の姿は、その部屋の中では一際浮いていた。
大人達が静かに…己を抑圧しながら泣いているなかで、ただ一人激情を亡骸にぶつけている。
元就はそんな小さな子供の姿を不思議と浅薄とは思わず、時折頭の動きにあわせて揺れる頭の後ろで一つに括った髪をぼんやりと眺めていた。
「・・・・・・・・・幸鶴丸を置いて皆下がれ・・・元春、隆景。総力を率いて和智一門一派を悉く殲滅せよ。女子供、犬鳥まで一匹たりとて逃すでない。」

元就が口を開けば、それまでのすすり泣きはピタリと止み、皆静々と下がって戦の準備。
幸鶴丸だけが未だ父上父上と泣いていて。

元就は音もなく幸鶴丸の隣へ歩み寄ると、身を屈めて白い隆元の頬に触れた。
隆元は無言のままだ。
毒でやられたと聞いたが、少し体調が悪いぐらいに見えなくもない。まだ身を起こすかもしれないと思ったが。


冷たかった。


「幸鶴丸、泣くな。」
「・・・っできぬ・・・」
「隆元は死んでおる。」
「そ、そんなの、父上は・・・っ・・・戻って来ぬ故・・・・・・泣くななどと・・・無理じゃ・・・」

元就がこちらを向いた。
幸鶴丸はいつものように頬をぶたれると思ってギュっと目を閉じ背筋をビクリと震わせたのだが、いつになっても祖父の冷たく痛い手は飛んでこなかった。
恐る恐るまぶたを開いてみると祖父の無表情が首を傾げてこちらを覗いていたものだから、ひどく驚いて身を引いた。

「・・・も、元就・・・様」
「なんだ。」
「・・・。」
「・・・。」
「・・・・・・、・・・。」
「早く申せ。」

別に何か聞きたかったわけじゃないのだけれど・・・
幸鶴丸は自分の濡れた頬をぐいと袖で拭い、俯きがちにして元就の気をうかがうように口を開いた。

「元就様は・・・泣かぬのか?」

幸鶴丸はなんとなく頭に浮かんだことを尋ねただけだった。
今まで特に支障があったわけではないが、祖父は喜怒哀楽の全てが欠如しているようだった。
毎日の朝の挨拶も、戦の前の見送り時に声をかけても、じろりとこちらを睨んでフンと一言。そうして元就様の脇に馬をつけている父が苦笑いを浮かべて・・・こちらを向いて・・・二コリとほほ笑んで・・・元就様の代わりに言葉を述べる。
また、自分が少しでも学問や武術の鍛練を怠ったり大きないたずらをしたりすると、誰から話を聞きつけるのか、祖父は何の前触れもなく突然やってきて己に折檻する。そうしてしばらくすると騒ぎを聞きつけて父もやってきて、割って入って祖父を静止するのだ。
が、父はそこで優しい言葉をかけてくれるかと思うとそうでもなく、父なりの厳しい言葉で咎めてきて、その背中ごしにやっぱり冷たい目をした元就様が佇んでこちらを見ていた・・・。

今、この場に父がいたら元就様の変わりに何か話をされたはずだ。
だが、祖父の隣にいたはずの父はもういない。
また幸鶴丸は鼻をすすった。

元就はやはり顔色もどこも変えぬまま、首を上げて空を仰いだ。
一つ目を閉じ、ゆっくりと開いて小さくため息をついた。

「・・・我は大丈夫だ。」
「・・・。」
「代弁する者がいなくなったとて、我は我を見失わぬ。」

今度は幸鶴丸が不思議そうにぱちぱちと瞬きしながら、元就の顔をのぞき込む。
一方で元就は自身の言葉にひどく戸惑っていた。

(我は、此奴を慰めようと・・・?)

それは無意識に語りかけた、本能に近い言葉。
ずっと昔の幼い自分をそこに見た。

毛利の繁栄とはなんなのだろう。
両親も兄も兄の子すらも、守ろうと思った人たちはいつだって先に逝ってしまった。
天下を望まず、毛利の繁栄だけを盤石にすることはそんなに悪いことなのだろうか。
家督を継いだ頃の毛利は、例えるならば鋏を向けられた糸のようだった。
か細く今にも途切れそうな糸を丹念に縒って、少しずつ少しずつ太くしていかなければならなかったし、やっとそうできてきた。
練策もそのためだ。
策が成ることは毛利を守ることに繋がる。それを自負してはいけなかったのだろうか。
そのことを理解してくれていた人物は隆元のみであったに等しい。
隆元は己の補佐を十分にしていたとは思うが、奴は補佐ではいけなかった。
将来毛利の大黒柱となる者が、いつまでも補佐ばかりでは本流の威光を失ってしまう。

隆元の言葉が、聞きたかった。

ふいに、元就の頬に温かいものが触れた。
我に返ると、目の前には幼い顔が視界いっぱいに広がっていて、頬に触れていたのは小さな手だと気づくのにしばらく時間がかかってしまった。

「父上の父上は元就様じゃ、大丈夫ではなかろう?」
「我は泣かぬ。」

すると幼い孫は困った表情を浮かべて、もとなりさま・・・と呟いた。

「元就様は意地っ張りじゃのう。」
「貴様・・・」
「元就様、父上の次は幸鶴丸が家督を継ぐのじゃろう?」
「そうだ。」
「幸鶴丸は、元就様より早く死にませぬ。」

隆元の面影を引き継いだ顔が、そういって笑った。
そうか。
策は、まだ、ある。

元就は己の頬を包む小さい手を取り、ニヤリと笑いかけてきた。

(あ。)

幸鶴丸はこのとき久しぶりに元就の笑ったところを見て息を飲んだが、息を飲んだことを知られてはまた折檻されるかもしれない。つい下を向いてしまった途端、元就が立ち上がった。
立ち上がった元就は己の手を握ったまま離さず、幸鶴丸もまた冷たく骨ばった手を振りほどくことはできなかった。
幸鶴丸は強制的に立たされ、そのまま元就に従って黙って一緒に部屋を後にした。
もうちょっと父のところにいたくて少し後ろを振り返ったが、元就は足を止める気もなければ手を離す気もないらしい。
父のいる部屋が少しずつ遠くなる。後ろ髪引かれる思いでおずおずと元就の顔を見上げた。
やっぱり祖父の顔は無表情である。

「幸鶴丸、これから貴様は毛利家中で我に続く第二の駒ぞ。覚悟はできておろうな。」
「は、はい。」
「貴様の父は優柔不断だった。それが仇となりあの様だ。」
「・・・。」
「貴様は見極めよ。」

いつも怖い祖父はどこか優しく思えて、握られた手をギュっと握りかえしてみた。

「でも・・・父上は元就様を尊敬していたぞ?」
「当然だ。我は父であり毛利家当主ぞ。」
「当主とはそんなに偉いのか?」
「偉くなければ家臣に顔向けができぬであろう。」
「そうか!幸鶴丸も元就様のようになれるであろうか?」
「知らぬ。」
「・・・なんだか元就様、今日は優しいな。」
「幸鶴丸、慎まぬと口を裂くぞ。」

どちらも会話には出さなかったが、この話は二人だけの秘密。
そんな空気が薫る嵐の夕方である。





おまけ

「元就様はどうして祖父上と呼ばせてくれぬのじゃ?」
「似合わぬからだ。」
「どうしてじゃ?似合わぬも何も幸鶴丸のお爺さまなのに。」
「我の自尊心が許さぬ。」
「じゃあ、じーじはどうじゃ?」
「・・・。」
「あ、あの、元就様、ごめんなさい、幸鶴丸が悪かったのじゃ!太刀をしまってくだされ!」






ご要望がありましたので再録しました。
うちの輝元は殆ど出てこないのですが、無双のガラシャ口調です。
元就に輝元がいてよかったっていう話。